第34話 そしてわたしは、姉ぶる。
遥君に助けてもらって入院した次の日の朝。着替えて、ベッドを囲むカーテンを開ける。
「お世話になりました」
「おう、二度と来るな」
「善処します」
ペコリと頭を下げて振り返る。今日からまた、仕事だ。
「おう」
医務室に出たところで、廊下の壁に背中を預けて、腕を組んでいる遥君を見つけた。
「迎えに来てくれたの?」
「そんなところだ」
そう言って、先導するように歩き出した。……うん。
「えいっ」
「うおっと。どうした?」
細いけど、その内はしっかりと鍛えられているのがわかる。
なんだろう、落ち着く匂いだ。温かい匂いだ。
トントンと、遥君が優しく背中を叩いてくれる。少し、呼吸が楽になった気がした。
「わたし、遥君のこと、大事にする」
「急にどうした?」
「君にとって、わたしが必要である限り、君のこと、大事にする」
少しだけ、わたしを抱きしめる腕の力が、強まった気がした。だから、少しだけお返しする。
どうしてか。具体的に何かを感じたわけでも、何かを思ったわけでも無い。だけど初めて、彼の心に触れた。そんな実感だけがあった。
どれくらい経っただろうか。足音がいくつか聞こえた。離すタイミングを逸した。でも、好きな時間だ。だから、どれだけ経ってもどうでも良い。でも、遥君が少しだけ困っている気がして、少しだけ、吹き出しそうになった。
「あー。コホンっ。あの、そろそろ良いですか?」
……この声。確か、遥君が最近面倒を見ている。
「えっと、更科、さん?」
「はい。更科彩芽です。以後よろしくお願いします。……いつまで抱き合っているのですか?」
「ん……? ふにゅっ! いったぁ……」
壁に背中をぶつけてしまった。長い黒髪を一つにまとめた更科さん。困ったような笑顔をわたしに向けた後、ジトっとした目を遥君に向けた。
「先輩も、そういう顔をするんですね」
「どういう顔だ」
「教えませーん、だ。先輩、行きますよ」
「あぁ。じゃあ、有希。これ。それじゃ」
小袋をわたしに押し付けて、遥君は速足で歩いて行った。
「……水筒? ……これ」
ひと口飲んでみた。……紅茶だ。爽やかな香りが鼻を抜ける。結構貴重品。
「ん? まだある」
小さな箱、開けてみる。
「えっ、これ」
イチゴのフルーツタルト。なかなか食べられないやつ。
「ふふっ……ありがとう。遥君」
ちょっとパサパサしてるけど、甘味と酸味のバランスが良いジャムに、少し頬が蕩けた。
「改めまして。更科彩芽です。望未有希先輩。以後、よろしくお願いします」
「ん。よろしく~」
折り目正しく姿勢正しく、更科さんはペコリと頭を下げた。
なんだろう。物凄く、大事にしたくなる子だ。
一緒に任務にも行った。
「先輩方。息ぴったりですね」
本当にそうだろうか。わたしが、後ろにいるのは、必要なのか。そんな疑問を胸の内に押し込めて、振り返って笑う。
「そうかな。ふふっ。照れるね」
後ろから近づいてくる足音は、増援が来てないか、確認を終えた遥君のもの。
「帰投するぞ……どうした?」
「ううん。何でもない」
あの件依頼、遥君はさらに強くなった。二刀流を使いこなし、危なげなく敵を狩り倒していく。もうこの辺一帯の眷属で、遥君に勝てる眷属は、もういないだろう。
彼が一人で出撃することも増えた。わたしは新人の指導に当たることが多くなった。
それでも彼は、時間が許す限りわたしの傍にいた。
「どうして?」
そう、問いかけられれば良かったと思う。でも、終わらせたくなかった。この時間を。
「はーるか君っ」
だから、自分でもびっくりするくらい甘い声を出して、抱き着くんだ。
「晩御飯。食べよ? 配給もらってきたから」
「あぁ、サンキュ」
それからひと月、参謀本部は新たな大隊の創設を決定。わたしと遥君は、その大隊を任せられることになった。
「落ち着いて聞け、四季」
「なんだ」
「望未の方に行った。あの黒フードは」
「……なんだと」
施設への潜入、信者たちの無力化自体は、簡単に完了した。御門のエレメント解放、大地の操作。誇りは揺るがない大地の如く。それを利用すれば、抜け穴を利用させないのも容易い。僕たちが突入して、合図したと同時に、有希達が入ってくる。その筈だったのだが。来ないのだ。上の建物から足音もしない。
「行け、四季」
「あぁ」
聞こえて来た無線。それは、あの黒フードが心成兵器での戦闘のプロ集団相手に、大立ち回り。その騒ぎに乗じて、幹部を逃がしたという情報だ。
僕たちの襲撃は、事前に察知されていたと考えるべきか。
待ってろ、有希……。
咄嗟に前に構えた鎌に、必殺の刃が衝突した。
防衛隊員も流石、反応が早い。しかし、それ以上に、黒フードの男は攻撃を的確に躱す。
間合いが開く。黒いフードを被った、背の高い男。今でも、はっきりと覚えている。
「久しいな。軍人として生きていたか」
「……二度と会いたくなかったよ。相変わらず、こんな組織で粛清担当なんてしてるんだ」
噂程度でしか聞いたことが無かった。新世界教の粛清担当。その名の通り、裏切者を殺す。他にも、HDFに嗅ぎつけられた時も動く。心成兵器使い相手でも戦える。対人戦のプロ。
遥君と御門君が突入したと同時に、家の入口から飛び出してきた。幹部三人、そして、この黒フード。
「あの三人を逃がし、我も撤退する。それで任務を完了だ」
わたしを含め五人、一瞥して青い剣を構えた。記憶にある通り、深い青だ。丁度昨日見た、あの海を思い出す。
「追って。幹部達を。全員で」
「で、でも」
「わたしが、抑える。多分、遥君がすぐに出てくるだろうし。銃には気をつけて。ここで終わらせる」
「りょ、了解!」
走り出した防衛隊員に男は飛び掛かる。速い。けれど。
「あの時とは、違う」
刃と刃がぶつかり合う。例え、武器同士の有利不利のあっても、使い慣れた武器は、状況に応じてどう使えば良いか、身体が理解している。丁寧に、間合いに入り込まれないように。細かな打ち合いには応じず。隙を待つ。大振りの攻撃をするな。無理矢理決めに行くな。我慢だ。我慢しろ。
「チッ」
フードの中から漏れる舌打ち。遅滞戦闘に付き合わされているのは、向こうもわかっているだろう。だが、逃げるために背中を見せてみろ。グサッと行くぞ。
「小娘が」
「あなたの選べる道は二つ。わたしを殺すか。わたしに殺されるか」
「……ふっ、そうか。……一つ教えてやろう」
「なに?」
「お前が他の奴に追わせた三人の中に、お前の母親がいる」
「ふーん」
……どうでも良い。
「それで、わたしを揺さぶれると思ったんだ」
手の中で回る黒い鎌は、怪しく光る。
「どうでもいいよ」
「……ふっ、立派な軍人じゃないか」
瞬間、理解した。勝負はこれから。この男は、わたしに対して、まだ本気をだしていなかったと。
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