第29話 海の脅威。

 「有希。起きろ。おーい」

「んー? ……おー。遥君」


 澄んだ声に目を開けると、端正な、人形のような……あぁ、遥君だ。目に少しだけ、光がある。死んだ目ではない。


「船降りるぞ」

「ごめん、寝てた。襲撃来た?」

「問題無い」


 そう言って小さく笑う。あぁ、これ。遥君が気を使おうとしている時の顔だ。


「襲撃は、あったんだ」

「あぁ。大体彩芽が処理したが」

「……そっか」


 殆ど僕は手を出さなくて良かった。一体何を警戒していたんだ、元帥は。

 わからないけど。でもまぁ、この調子なら、明日には完成しそうだ。そこまで完了すれば僕たちはお役御免。日本への帰還だ。


「あー。そうだ」

「ん?」

「お前がどう思っていようが、僕は、君がここにいることを、心底から、嬉しく思う」


 遥君が随分とらしくないことを言う。


「彩芽ちゃんから何か聞いた?」

「いや。ただ、なんだ。なんか、思い詰めているように見えたからな」


 ……そっか。


「ふふっ。遥君、ちゃんと隊長だね」

「なんだよ急に」

「んー。成長してるなって」


 陸の上。足元がしっかりしている。そのありがたみを感じる。


「あ、有希先輩起きましたか。てっきり先輩がおぶって来るかと思いました」


 既に降りていたあやめちゃんが待っていた。みれいちゃんとみさとちゃんは作業員の手伝いで荷物を運んでいる。

 良い隊員たちを持ったじゃないか。遥君。


「ごめんね。任せちゃって」

「気にしないでくださいよ」


 彩芽ちゃんの笑顔。うん。そうだ。

 遥君はもう、大丈夫だね。


「! 全員、上に飛べ!」


 言いながら僕も飛ぶ。港を薙ぎ払うように、凶器と化した水が港の地面を深く切り裂いた。


「! っ、あれは」


 なんだ、あれは。

 そろそろ日が沈む。茜色に染まる海に、巨大な影蠢いている。いや、違う。巨大なんてものじゃない。海そのものが蠢いている。

 でも確かに、浄化網の内側には入っていない。だけど。


「下手に暴れられたら、浄化網が破壊される」


 くっ……やるしか、ない! 


「遥君。下がって。本調子じゃない状態で相手するような相手じゃない」

「えぇ。ここは私と有希先輩で」

「馬鹿言うな。僕も戦える」


 まだ向こうの姿は見えない。だが、明らかに敵意を持ってこちらに攻撃してきた。


「来い!」


 よし、集中できる。大丈夫、二本の剣。腕に確かに、重さが生まれた。


「僕が前だ。美鈴、美沙都、作業員をさっさと逃がせ。あと、記録用のカメラ持って来い」

「了解」


 心成兵器を構えてやって来た二人には一回下がってもらう。とりあえず。三人で相手したいがどうしたら良い。相手にするどころか、こっちは向こうの全容すら掴めてないぞ。 

 完全にテリトリーに潜られ、一方的に攻撃される。戦闘のお手本じゃねぇか。負け戦の教科書があれば是非とも載せたいところだぜ。


「流石に海に飛び込もうとは考えてないぞ」


 槍と大鎌を構えながらも、完全に困り顔の二人に目を向ける。

 確認はできないし証拠はない。だが、勘が言っている。陸の王、空の王と戦ったからこそわかる。直感だ。こいつは。同格だと。

 神たる脅威の一柱だと。

 それは、他のみんなも感じていることだ。


「……可能性は、ある」

「彩芽?」

「いきます。強い奴。ギリギリの」


 バチッと、微かに紫電が走る。こ、この出力。


「大丈夫です。先輩。結構、制御できてます。ふぅ……もっと……もう、少し……ここっ!」


 一瞬、視界が白く染まった。極太の雷が、海に向かって飛んだのが何とかわかった。そして海に、奴がいるであろう白い海に紫電が波打ちながら一瞬走る。そして……。


「……こいつが」

「これが、神魚」


 いつの間にか来ていた美沙都が、カメラを構えている。

 特大な水柱と共に、巨大な魚が、細く長い。その体躯は神龍を思わせるが、より泳ぐことに特化している印象だ。

 びっしりと並んだ円鱗、夕陽に反射して煌めいている。その大きさは、今日見たコンテナ船よりもでかい。胸びれと背びれが怪しく赤く輝いている。

 再び、そいつは海に飛び込む。全身を叩きつけるように。


「逃げろ!」


 そう声を上げながら剣を振るう。が。


「くそっ」


 威力が、全然でない。普段の五分の一か……。その程度では、海の脅威には。神魚が海に飛び込むことによって起きた波を収めるには全然足りなくて。

 港に白い脅威が襲い掛かる。歴史書を読めば、大波が街一つを飲み込む記録がいくらかあることは知っている。それはたとえ、汚染され白く染められても変わらない。

 足が取られる。立っていられなくなる。心成兵器を離さなかっただけ褒めて欲しいくらいだ。声を上げる余裕も無くなる。

 背中が何かに叩きつけられた。コンテナだとちらりと振り返ってわかった。


「くそっ」


 これ以上神魚に暴れさせられない。コンテナから倉庫の屋根に飛び移る。


「……くっ」


 だめだ。いつも通りの斬撃を放つためのエネルギーを引き出せない。


「遥君! 撤退! 神魚が離れていくって!」


 あぁ、あの波に揉まれて僕の無線機は流されていたのか。

 コンテナの方向を指で指し、泳いできたところを引き上げる。


「怪我は無いか? 他の奴らは……」

「わたしは大丈夫。他のみんなは……」

「……落ち着け。有希がいる。落ち着け。大丈夫。有希と探せば、見つかる」

「……遥君?」

「はぁ、すぅ、はぁ……」


 呼吸を落ち着けて。いつも通りの呼吸を取り戻して……行こう。


「有希は通信できるか試しながらここら辺を探してくれ。僕は引く波に飲まれている可能性を確認してくる」

「うん」


 結果から言えば、美沙都が二人を担いで高いところに避難していた。


「すまねぇ、カメラの画面の方、壊れてた」

「本体は残ってるんだろ。データが無事なら良いさ。よく二人を回収してくれた」

「あーいや。彩芽せんぱいがあたしと美鈴を庇ってくれてな。あと、タイチョーがあたしらのところに波来るの、少し遅らせてくれただろ」


 回復体位を取って気を失っている二人。目立った外傷もなく、呼吸も心音も安定していた。


「というか、最初に波に飲まれて平然としてるタイチョーがやべーよ」

「かっこつけてるだけだ。僕が取り乱したら駄目だろ」

「タイチョーの矜持って奴か?」 

「矜持じゃない。義務だ」


 それに。僕が万全なら、もっと余裕をもって逃げられたはずだ。不甲斐ない。戦場に『もし』なんて無い。それでも。いや、やめておこう。


「あっ、有希センパイ、今タイチョーと合流しました。あっ、位置情報送っときます」


 よし、あとは迎えのヘリ待ちだな。


「僕は他に被害が無いか確認してくる。美沙都は彩芽と美鈴を連れて迎えのヘリに乗れ。二人を頼む」

「リョーカイ」

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