第20話 彼のいない時間。

 そろそろ、一週間になる。

 先輩は、起きない。


「先輩……」


 有希先輩は、来月の運用計画を完成させて提出した。五人体制での計画だ。

 起きてよ。先輩。


「思い人、取り返したんですよ。なら、起きなきゃ、駄目ですよ」


 きっと明日も笑えると確信できる、そんな日々が始まるはずなんですよ。


「起きてくださいよ。先輩。起きないと、来月のパーティーの衣装。先輩の分もドレスにしちゃいますよ。白が良いですかね?」


 安らかな寝顔は、少女と見紛うような、伸ばしっぱなしの髪は、もう、肩にかかるくらいまで伸びていた。


「髪、切ってあげたかったな」


 もう、彼の隣は、私の席ではない。いや、最初から私の席なんて無かった。


「ちょっとの間でも、夢が見れたのなら、よしとしましょうかね」


 有希先輩がいないのなら、もしかしたら、チャンスがあるかもしれない。そんな、吐き気を催す発想。 

 最低、だけど。


「仕方ないじゃないですか。好きになってしまったのですから」


 そっと髪に触れた。


「……男のくせに、さらっさらじゃないですか……また来ますね」


 ふらっと医務室を出て、廊下を、当てもなく彷徨う。ふらふらする。景色が揺れる。

 気がつけば、隊の部屋の前、扉から出てきたその人を回る世界の中に認識する。


「有希先輩」


 殆どぶつかるように有希先輩に崩れるように寄りかかる。


「うわっ、どったの?」

「いつ、目覚めるんですか。いつ、いつなんですか」

「落ち着いて。あやめちゃん」

「明日、ですか? 明後日? 来週? 来月? それとも、年単位ですか?」


 小声でブツブツと、何やってるんだろ。でも、言葉を、止められなかった。


「どうして、有希先輩は落ち着いていられるんですか。わかんないですよ。私は」

「……落ち着きなよ。あやめちゃん」


 脳が縛り付けられような、胃がキュッと締め付けられるような。低い声に竦んだ。

 俯いた有希先輩がどんな顔をしているのか。前髪に隠れて見えない。


「今から、みれいちゃんとみさとちゃんと訓練に行くんだけど、行かない?」

「は、はい。いきます」


 顔を上げた有希先輩は、いつも通りの笑顔だった。心が落ち着く、そんな笑顔。


「ん。じゃあ、行こっか」


 有希先輩は後輩の訓練によく付き合う。教官の人達もありがたいとよく言っていた。


「信じたい未来があるなら。信じなよ」

「えっ」


 小声で囁かれた声に思わず振り返るけど、ぴょんと跳ねるように、有希先輩は前に出て、先導するように歩き始めた。

 




 訓練を終えて、四人で夕食を取って。そして私は、また、病室に足を向けた。


「相変わらずだったなぁ」


 四季先輩は実戦形式で、身体で覚えろ。有希先輩は反復練習で、身体で覚えろ。

 帰る前に、いつも通り、先輩の病室に足を向けた。

 扉に手をかけて、すぐに離した。

 有希先輩の、声。


「わたし、君に言いたいことがあるんだけど、勇気が出ないんだよねぇ」


 蜜を含んだような、そんな甘い声。


「君が起きたら言おうって思ってるんだけど。あはは」


 毎日語りかけること。

 それは、心成兵器使いの心が枯れて壊れた時の、数少ない、治療できる可能性がある方法。


「折角、帰って来れたんだから。あの時は、一緒に戦えた時は、最後のチャンスかもしれないと思ってたけど、生きてるんだよね、私。夢でも一時的な奇跡でも何でもなく、帰って、来れちゃったんだよね」


 有希先輩……。

 やっぱり、有希先輩も。怖いものは、怖いんだ。

 やっぱり、私、駄目だなぁ。自分ばっかり取り乱して。

 こんなので今後、副官なんて。副官、なんて。

 ……私、今、先輩が帰ってくる前提で考えてた? どうして。

 でも、その未来が、とてもキラキラしていて、眩しくて。そうなれば良い。当然だ。

 うん、先輩が帰って来て、五人で活動する未来、想像できる。想定できる。

 私は、その未来を信じたい。

 有希先輩の気持ち、今なら、何となく理解できる。

 信じたい未来があるから、信じるんだ。

 本当に馬鹿だ。私達が信じないで、誰が信じるんだよ。


「先輩、待ってますから。ゆっくり、帰ってきてください」


 ……大好きですよ。

 今度、直接、言おう。言っておきたい。

 やめた方が良いかな。困らせる、だけかな。迷う。でも、決着だけは、付けたいな。

 さぁ、今は帰ろう。明日、やらなきゃいけないことは……。近いうちに地形や調査任務がある。他にも、臨海地域の新支部への転属の話もあった。近いうちに、隊のみんなと話し合わないと。


「……有希? ……彩芽?」


 静かな建物の中、掠れた声でも、確かに聞こえた。

 



 「よう。起きたか」

「……え」


 目を開けると、白い部屋の中にいた。その向こう、氷でできた椅子のようなものに、その人は座っていた。


「俺の武器、思ったより使いこなせてんな。こうして話すのは、あの時以来か」


 その人は、どこかで覚えがある通り、冷えた目にニヤニヤした口元を貼り付けて、どこか不気味だった。上を指差し、そして。


「起きて早々、迎えだ。呼ばれてるぞ。というか、ずっと毎日、お前のことを呼んでるんだぜ。愛されて

んな。いつまで引きこもってやがる」

「壊れたんだよ。僕は」

「アハハッ。何言ってんだおめー。あんだけ暴れれば損傷くらいはするさ。だが、俺とお前。ずっと二人でやってきたんだ。一人では耐えられなくても、二人ならな。さっさと掴め、そんで行ってこい」


 その人がそういうと、手が目の前まで降りてきて、僕の手を掴んだ。それに引っ張られながらも、最後に、聞いておかんきゃ。


「あんたは……」

「気にすんな。覚えていなくて良いことだ。起きたらどうせ忘れる」


 そしてそのまま、引っ張り上げられて。景色が暗転した。

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