第16話 生存者。

 神域の奥地。また、ここまでこれた。

 景色は当然変わっているが、それでも、ここだとわかった。


「ここが、始まりの場所」

「あぁ。そして、僕たちの終わりが始まった場所だ」


 車を離れたところに置いて、岩場に身を隠しながらゆっくりと移動。

 ここまで来た時点で、神龍がいたら、見つかりませんようにと祈ることしかできないが。

 何もない景色の中に突然現れるクレーター。ここは、まだ浄化が及んでいないのか、もうどうにもならないのか、記憶にはっきりと残っている黒色そのまま。

 あの時は、この上を神龍が飛んでいた。そして、今回は。


「いるね」

「……あれが、神龍」


 赤い鱗、赤い目、長く伸びる髭、空を泳ぐように飛んでいる。

 グッと手を握る。斬りかかりたい。ここで墜として、もう一度殺す……。

 いや、駄目だ。駄目……。

 目を閉じて心を落ち着けて、開いた。


「ん? あれ、は……彩芽、双眼鏡」

「はい」


 クレーターに改めて目を移して……クレーターの底に、前は無かった台のような、表面が滑らかな岩があって。

 そこには、九人の人間が横たえられてて。


「……有希!」


 有希がいた。……胸が、微かに上下してる。息、しているのか? 生きて、いるのか?


「有希! 彩芽、あいつらを回収しろ。僕が神龍を引き付ける!」

「で、でも」

「逃げていられるか、こんな状況で」


 生きていても、死んでいても、ここに置いて行ってたまるか。

 心成兵器を具現化。一気に飛び出す。クレーターから離れたところまで一気に走り抜け、斬撃を二つ。それぞれ炎と氷を纏わせて飛ばす。神龍に当たったことを確認。

 甲高い、天を割くような咆哮が響く。ゆっくりと、神龍は低空に降りてくる。その双眸は真っ直ぐに僕を見ていた。僅かに緊張して見えたのは、僕を覚えているからなのか、それとも気のせいなのか。どちらにせよ。


「来いよ。もう一回、負かしてやる」




 飛び出していった先輩は、迷うことなく一直線に神龍の方へ走り、先制攻撃。そのまま狙い通り引き離していった。


「……まずは」


 すぐにでも追いかけたい。でも。グッと堪える。まずは。副官として。先輩に、勢いだけで生きている女とは、言われないように。


「あの九人を回収します」


 美鈴ちゃんも美沙都ちゃんも、異論はないと頷く。


「……有希先輩」


 眠っているように見える。呼吸も。心音もある。服が所々敗れているが、外傷は見当たらない。

 生きていると言って良い状態だ。


「有希先輩」


 そう呼んでみる。


「有希先輩。わかりますか? 更科彩芽。あなたをとてもとても尊敬している可愛い後輩です」


 意識は、戻らないか。

 思わず手を握って、動けなくなる。今目を開いたら、駄目だ。泣いてしまう。祈るように、縋るように手を握った。


「有希先輩。起きてくださいよ」


 有希先輩なら、先輩だって、素直に。

 こうしている間にも、美鈴ちゃんと美沙都ちゃんが続々運んでいく。


「……そうだ。まずは、運ばなきゃ」 


 冷静じゃないな、私も。

 目元を擦って、涙の気配を消して立ち上がると、二人が傍に立っているのに気づいた。身体能力を底上げするために、心成兵器を出して、背負っている。


「彩芽先輩。あとは、その人だけです」

「うん。ごめんね。ありがとう」


 用意されていた即席の担架に有希先輩を乗せて、クレーターの外へ登っていく。

 今更、先輩が、大きめの荷台を希望した理由がわかった。

 先輩は神龍だけじゃなくて、有希先輩達も、探していたんだ。いやむしろ、こっちがメインだったんだろうな。だから、迷わなかった。




 荷台にちゃんと九人並んだ。

 応急処置なんて施しようが無い。眠っているようにしか見えない。

 雷鳴が轟いて聞こえた。荷台の上から、大きな黒い雲が見える。その下、赤い龍が地上に向かって激しく攻撃している。あれが収まらない間は、先輩は、生きている。

 すぐにでも行かなきゃ。でも、今回は。私達が行ったところで、何ができるんだ。そんな冷静な自分の声が聞こえた。

 今回は、神獣や神龍に比べたら雑魚な、眷属の増援を防ぐ。なんていう役回りじゃない。

 私達も、神龍と向かい合わなきゃいけない。

 私は先輩の隣どころか、後ろに立つのにも、頼りなさ過ぎる。

 逃げた方が、先輩の……隊長の思いを、叶えられる。あの先輩だ、神龍を倒してしれっと帰ってくるかもしれない。神獣だって、手こずってもまともに攻撃をくらうことなく、倒せるような人だ。

 頼りない副官だから。頼りないなりに、ちゃんと仕事を……。

 『撤退の判断を選べる覚悟をしておけ』って、そういうことなのでは。

 私は、弱いから。先輩の背中を預かれるほど、強くない。美鈴ちゃんと美沙都ちゃんを足しても、今回は。あんなの。

 うん。逃げよう。

 戦術担当官として、戦略的な撤退を。選ぶべきだ。

 荷台の中に戻る。もう一度改めて、容態の確認を……。


「あやめ、ちゃん?」

「えっ」

「あやめちゃんじゃん。わたしのこと、覚えてる?」

「有希、先輩」


 そう呼ぶと、有希先輩はゆっくりと起き上がり、身体の調子を確認するように立ち上がる。


「ふふっ。随分と久しぶりな気がする」

「どう、して」

「何だろう、わたし達を縛る力が今、急激に弱まったからかな。ん! ……心成兵器は、出せないか。信じられないかもしれないけど。わたしたちに血? を振りかけてくる巨大な眷属がいて、それで、傷が治っていったんだけど、意識がね。……みんなの身体の損傷が治っている……かけられた血の量が多いから、わたしと違ってまだ起きられない……」

「有希先輩?」


 顎に手を当て、凄い勢いで考察を始めた。状況の整理は早い人だった。


「いま、遥君は?」

「復活した神龍と、戦っています。それと、有希先輩達に血をかけたという眷属、私達は神獣と呼んでいるんですけど、それは、先輩が倒しました」

「なるほど……状況が見えてきた。あやめちゃんは、これから援護に行くの?」

「それは……」

「彩芽先輩、そろそろ行きましょう。その人が起きたのなら、今寝ている人は、任せても良いと考えます」

「あ……」

「そうだね。ここは任せてよ。戦えないなりに、役に立つよ……あやめちゃん?」

「……行かなきゃ、駄目でしょうか」」

「な、何言ってんだよ彩芽センパイ」

「彩芽先輩が来なくても、美鈴たちは行きます!」

「待ちなよ。落ち着きなよ。二人とも。そっか、今は三人が史郎の率いている隊のメンバーか」


 有希先輩は二人の傍に行くと、頭を優しく撫でて、振り返る。私よりも低い位置から向けられる視線なのに、どうしてか、吸い寄せられて、合わさせられて、逸らせなくなる。


「後悔しない方を、選ぶと良いと思うよ」


 そう言って首元に手を持っていて、空を掴んだ。恥ずかし気な笑みを浮かべる。


「あやめちゃん。負けたら、ぜんぶ同じなんだよ」


 記憶にある通りの笑みを浮かべて、一歩、二歩、三歩、距離を詰める。


「絶望するのは、ぜんぶ負けてからで良い。どうせ絶望するなら、後悔が少ない方が良い。できること全部、やり切ってからが良い。わたしは、そう思うな。だから、あやめちゃんが後悔しない方、選びなよ」


 後悔、しない方。そんなの、決まっている。


「行きます」

「うん。良い顔、してるよ」

「先輩と一緒に、帰ってきます」

「うん。頼んだよ。あやめちゃんが副官かな」

「はい!」

「遥君のこと、支えてあげてね」

「! はい! 行こう、二人とも」


 二人が頷く。もう、迷わない。

 走る。真っ直ぐに。

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