第5話 夢の中。
巨大な鷹のような眷属。識別名称・ソニック・ホークに飛ぶ斬撃を飛ばす。くっ、一匹躱したか。羽ばたきの衝撃で攻撃してくるのは防がなければならないから、間髪入れずに攻撃し続けなければならない。
それを続ければ……来た!
「急降下、来るぞ! 備えろ!」
指示を飛ばす。警戒すべき攻撃であると同時に、攻撃のチャンスだ。
一人。盾を構え攻撃を凌ぐ。
「副官!」
「うん。ありがとう。……さようなら」
有希が盾を踏み台に飛び上がる。貫くことに特化した衝撃を纏った大鎌を振り下ろし、鷹の目を貫き、衝撃は頭を吹き飛ばした。ふわりとセミロングの髪とマフラーが揺れた。
灰色の空。黒い荒野に、その光景はどこか眩しく見えた。
周囲の警戒……よし、終わりだな。
「遥君。はい、お疲れ様」
「あぁ。有希は大丈夫か?」
「大丈夫だよ。最後の一撃を当てただけだし。ふぅ。珍しいものも見れたね。陸戦型と空戦型の縄張り争いかぁそんなのあるんだね……空戦型の数が増えて来たってことは、空戦型の縄張りなのかな、ここ」
「あぁ。かもな。とりあえず、空の奴は僕が相手する方針で行くしかない」
侵攻ルートにいた眷属を斬り伏せ、受け取ったボトルから水を流し込んで、一息、なんてついている暇は無いが、ここは戦場、その中でも、人類の生存を許さない、天敵とも言える存在が跋扈している場所ではあるが。
「……ごめん」
「効率が良い手段を探したらそうなるだけだ」
「うん……お願いします」
「あぁ。それよりも、部隊の様子は?」
「問題無いよ。戦える」
「よし。じゃあ、進むぞ」
神撃作戦。神域の奥。かつて神が発生し、人類への侵略が始まった地。未だそこにいるという龍を討滅しに行く作戦。
僕たちフェンリル遊撃隊は神域の奥に突き進んでいく。
これのために仲間たちが今、眷属の大軍を引き付けてくれている。
フェンリル大隊の中から選ばれた、フェンリル遊撃隊、隠密性を重視し、十名にて出撃。生存者一名を残し、任務の達成が確認された。
「有希、お前はこの任務に来るな」
「ふふっ、なんで?」
水色のマフラーと肩まで伸びた黒髪を揺らして、彼女はこちらに振り返った。
人類からの攻撃の試み。人類から仕掛ける決戦。神撃作戦。その中でも重要任務。神龍の討伐部隊の編制。正式決定は明日。志願した者の中から十名選ぶことになっている。僕は勿論、有希も志願していた。
「頼む。管制室に、いてくれないか」
「……君にも、怖いことってあるんだね。何を怖がっているの? ……ううん、怖いよね。これに失敗したら、戦力の殆どを失い、この東京地区は確実に神域に飲まれる」
「あぁ、だから」
違う。僕は、敵を怖がってなんかいない。僕が怖いのは。
「でもね、このままでも、滅びる。絶望するのが早いか、遅いかの違い。どうせ絶望するなら、君の横にいたいな」
有希はそう言って、笑顔を咲かせる。
「だが……」
「君はいつも守ってくれるじゃん。だから、わたしは君の背中を追いかけていられる。いつもと同じだよ。負ける時は、一緒だね。あはは」
恥ずかし気に笑って、ゆらゆら揺れながら近づいてくる。
「この戦い、勝てたら。君はもう、殺意の氷なんて、抱かなくて良いんだね。憤怒の業火も、必要無くなる……殺意なんて、悲しいからね」
「怒るのは良いんだな」
「何でそうなるのって……まぁ、怒ることは、誰だってあるから。でも、殺したくなるのは、悲しいから」
「眷属を殺す気になるのが、悲しいか」
「うん。わたしは何もせずに諦めたくないから、戦うの。それだけなの。絶望するのは、やるだけやって、全部負けてからが良いな。最後まで。だから悲しいけど、戦うの」
有希が咲かせた笑顔はそのままだった。
「守るよ。僕が」
僕は、有希を止めれなかった。守れなかった。
「もー。また命令違反の独断専行。不許可の出撃。大隊長がそれじゃ駄目じゃん! 始末書書くのわたしなんだからね!」
「良いじゃないか。救助できて、命に別状なし。むしろ、もう少し遅れていたら手遅れだったかもしれん。つーか。書いてくれるんだな、始末書」
「だってわたし書かないと書かないじゃん、遥君」
「まぁ、そうだけどさ」
だって、何も悪いことしてないし。
ヘリから下りた僕を出迎えたのは、怒っているというより心配している顔の有希だった。後ろには医療班を連れていた。
「優秀な副官が持てて、僕は幸せ者だ」
「そう言うんだったら、さ」
「なんだよ」
有希は背伸びして、耳元に顔を寄せて。
「今度からは、そういうことする時、わたしくらいには、声、かけてよ」
「? なんで? 一緒に怒られたいのか?」
「うん」
「わけわかんねーよ。馬鹿じゃねーのか」
「そうかもね。わたし、馬鹿かも」
「はーい。はーるか君、髪切る時間ですよー」
「げっ。有希、僕は別に」
「良いから、切るよ」
大隊用宿舎の小さな庭にて、有希は僕を椅子に座らせ、ケープを被せてハサミを構える。
「はい、チョキチョキしましょうねぇ」
「あはは、大隊長がまた姉に捕まってらー」
「くっ」
配給の酒を賭けてカードゲームしてる奴らがそんな光景をけらけら笑っていた。後でシバく。
「戦う時邪魔そうにしてるじゃない」
「気が向いたら切るっての」
「それ、ひと月前も聞いたなぁ」
そう言いながら椅子に座らせてハサミを迷いなく動かしていく。
「折角の可愛い顔、台無しだぞ」
「僕は男だ」
「……ふふっ。そうだね。確かに、遥君は、男の子だ」
有希の黒い髪が、頬をくすぐったことに気づいた。スレンダーと言うべき体型だが、それでも、柔らかさがある。それに、温かだ。
って、今僕、抱きしめられてるのか。
「……髪切るのか、抱きしめるのか、どっちかにしてくれ」
「ふわっ! ごめんごめん」
すぐに、背中から熱が離れて行った。
「お客さまー、痒いところはありませんかー」
「ないな」
「頭、洗ってあげよか?」
「いらん」
「四季大隊長殿。望未少佐殿。式を上げる時には是非呼んでいただきたく」
なんてわざとらしくそんなことを言う声が聞こえる。
「し、式? 式!」
「やらねーよ。ていうか『しき』を連呼するな、ややこしい」
「は、遥君。あのね、確かにね、できるよ。できる歳だよ。で、でもね」
「落ち着け有希。ハサミを持った手を振り回すな」
珍しく、明るいこれからっぽい話ができた。そんな気がした。
「ごめん、守る、守るって、言ったのに、ごめん」
「ううん。……わたし、負けちゃった。君は、負けてない。だから、まだ、絶望、しないでね。一緒に絶望、できなかったよ」
首にかけられたのがマフラーと気づいた頃、ようやく、涙が収まった。
「連れてってよ。わたしの、希望。絶望の先に。わたしが見られない景色に」
「……あぁ。任せろ」
……立ち上がる。そうだ。まだ、僕は、絶望を許可されていない。
もう、僕の周りに味方は立っていない。
「誰も、守れなかった。だから……せめて、お前には勝つよ」
絶望するのは、全部負けてからで良い。
有希を、部下たちを、守れなかった。でも僕はまだ、こいつに負けてない。
僕は、僕の不甲斐なさに燃えて。せめて、この龍だけは殺すと、凍てついた。
目が覚めた。朝だ。
今日は非番だ。非番なんて制度ができていることに驚いた。
「……行くか」
支部まで徒歩十分の集合住宅の一室。そこが寝るために帰る場所。
着替えて最低限の荷物を持って外に出る。集合住宅の五階、廊下から、街の景色が見えた。
「……わお」
こうして見ると、着実にひと月で改善されているのがわかる。
夏の終わりを感じる。神撃作戦の日の朝は、暑かったのを思い出した。
人の動きが活発で、遠くには新しい建物を造ろうと、作業着を着た人が忙しく働いていた。
欧州本部は本部と言うだけあって、結構状態は良かったけど、この様子なら、すぐに追いつけそうだ。
「土地が広がるだけで、大分変わるものだな」
使える土地、使える水源。それが広がってる。
神の血にどんどん汚染され、使えなくなった土地を放棄して逃げ惑う日々。これが初期の神人大戦。戦いとも呼べない。
欧州本部にて、神の血の浄化、心成兵器の発見、実戦運用が始まり、人類は、破滅への先延ばしを許される。これが二期。
そして、僕が神龍を倒し、少しずつ取り戻していく。これが今。三期と言うべきか。
「大分安くなったな。おばさん、一つください」
何となく買った、パンに焼いた肉と野菜を挟んだだけのもの。うん。美味いな。
「あんた、英雄様だろ。ありがとねぇ」
「いえ。兵として仕事をしただけです」
「海まで取り返せたら、もっと美味しくなるから、お願いねぇ」
「……はい」
塩は、海の浄化も進めている欧州から輸入はされているが、まぁ、高い。
空の安全が確保されたことで、前より空輸の安定は確保されたが、それでも、運べる量の少なさはどうしようもない。他にも必要物資はある。
道中の店で花を買った。それから、防衛軍軍人用の墓地に足を向ける。
街の中を歩くだけで、変化を感じられる。子ども達が元気に駆け回り、大人の顔も、少し明るい。
なぁ、有希。僕はいつ、絶望すれば良い。
神撃作戦に参加した隊員の墓。一つ一つに花を添えていく。だが、遺体は無い。有希の遺体もだ。戦闘の最中で場所を覚えていられなかった。神域の奥地という場所故、調査回収もままならず、墓は形だけだ。
「お前たちがいたおかげで、僕は勝てた。隊の長としての役割は果たせなかった。だが、一兵卒としての役割は、果たせた」
もう一つ。備えるものがある。
「貴官達への勲章だ。代表して、僕が預かって来た。それを今から、授与する」
一人一人、名前を呼んでいく。
「長瀬春樹大佐。僕と同じ階級じゃないか」
一つ一つの、形だけの墓標に、備えていく。
「伊賀夏生准将。僕より上に行きやがって。隊長職押し付けるぞ」
「神尾秋久少佐。強くするという約束、まだ果たせてないんだよ。勝手に逝きやがって」
「古部冬香大尉。君の母君、無事に出産できたことを報告する。弟の名前は冬治だ。名付け親という名誉ある役を賜ったこと、君にも感謝を申し上げる」
遺族は、誰も僕を責めなかった。みんな「ありがとう」と言った。
……泣くな。僕にその資格はない。
「芳賀北斗准将。君の妹さんが結婚したことを報告する。既に来ているだろうが、僕の目から見ても、良い男だと保証しよう」
「青葉東一大尉。君の隠したい本。約束通り処分しておいた。安心してくれ」
「飯田広西大尉。君が渡してくれと言っていた手紙。ちゃんと思い人に渡しておいた。……青葉中尉、飯田少尉。なぜ一緒に出撃している僕にそういうことを頼んだんだ。まったく」
「宍戸南少佐。いつか隊を率いたいと言っていたの。僕は覚えているぞ」
いつも通りに。ちゃんといつも通りに接するんだ。
「望未有希大佐。君が僕の副官で、良かった。君が可愛がっていた後輩。更級綾乃少尉、覚えているか? あっ、昇進したんだぜ、あいつ。彼女が、今僕の副官になった。変な縁だろ」
……雨だ。こんな時によ。
「僕は、隊を率いて良いのだろうか。僕は、守れるのか。教えてくれよ。有希」
返事は返って来ない。
「君がいなかったら、僕はフェンリル遊撃隊を、あそこまで連れて行けなかった」
なぁ、有希。
「僕は、君に生きて欲しかったんだよ。有希。隣で、希望を目指したかったよ」
空を見上げた。少しだけ茜色に染まっていた。鳥が飛んでいた。あれは、カラスという鳥だと思う。
「有希……いや。今これを言うのは、卑怯だな。もっと早く、言うべきことだったよ」
行こう。
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