第2話 部下はいりません。
参謀本部を訪れるのは、識別名称・神龍・デウス・ジェネシス討伐のための、『神撃作戦』の前のブリーフィング以来だ。
壁の大きなスクリーンと山積みの資料。香るコーヒーの香り。ギリギリの中でも作業環境の水準を保とうとする姿勢に、少しだけ反感を覚えていたのは、今も覚えている。
「任務ご苦労。四季大佐。帰投早々に呼び出して済まないが、急を要する案件でね」
「問題ありません」
九人からなる参謀本部の長。日本防衛拠点の頭脳。白髪は年老いていることを示しているが、瞳の奥に見える深い知性は損なわれる気配がない。平等院中将はテーブルに紙束を置いた。
「早速だが、我々は生存圏拡大をするべく、攻勢に転じなければならない。よって、貴官には、新たな分隊を任せたいと考えている」
「お言葉ですが、小官には部下を率いる資格は 無いと考えます」
即答には即答が返ってくる。が、弁舌で参謀本部の連中に勝てるわけが無かった。
「それを決めるのは我々だ。貴官には部隊を率いた経験が豊富にあり、個人の戦闘力に関しては今更疑いようもない。よって、三か月後に行われる大規模侵攻作戦に向けて、新たなフェンリル遊撃隊を率いてもらう。人員の選定は任せる。二か月以内に実戦をこなせる程度にしてもらいたい」
「……しかし」
「これは命令だ」
机の上で差し出される紙束には確かに、参謀本部の判が押されている。
震える手でそれを受け取る。
仕事だ。これは、仕事だ。一旦は試みる義務が、組織に所属する人間として存在する。
「了解、しました」
「よろしい。期待している」
参謀本部を出て、一人廊下を歩く、途中、休暇前には無かったカフェテラスというものを見つけ、そこで一旦休むことを選んだ。
「ひと月で随分と贅沢ができるようになったものだ」
感情を排して、改めて命令の内容を確認する。
心成兵器を作れる者はそもそもの絶対数が少ないから、作れてもせいぜい大隊が限界だ。確かに僕は、大隊を率いたことがある。
今回は分隊規模か。資料を捲る。
「……全員、エレメント解放ができる程度が望ましい。……あ?」
エレメント解放。純粋な感情の昂ぶりを現象に変換する、人の身で成せる奇跡。それはただ、例えばただ激しく怒れば良いというわけでも、盛大に大笑いすれば良いというわけでも無い。
できないままに任期を終える者の方が圧倒的に多い。心成兵器の奥義とも言えるもの。
今なら育てる余裕くらいあるだろという、参謀本部からの無言のメッセージを感じる。
「どうしろって言うんだよ、これ」
「飲みますか? コーヒー」
「ん?」
目の前に置かれたマグカップには黒い液体がなみなみと注がれている。所謂貴重品だが、平等院中将が超コーヒー党として、その権力を発揮して、市場に流れた物を私情で買い占めているあのコーヒーである。
「どうぞ。この前初めて飲んだんですけど、美味しいんですよ。意外と。お久しぶりです。四季先輩」
「……更級」
「おぉ、四季先輩が覚えていてくれた。びっくりです」
長い黒髪を一つに束ね、細身の印象を受けるが決して小柄ではない少女。新兵時代に教育係として戦いの基礎を教えた少女。更級彩芽がそこにいた。
「生きて会えて良かったよ」
「はい。私こそ。英雄殿に教えを受けた者として、再び会えて光栄であります。相席良いですか?」
「どうぞ」
教えた時に思っていたが、彼女はセンスが良い。余程の難敵と相まみえなければ、生き残っているだろうとは思っていた。
「ところで……新たにフェンリル遊撃隊を募集していると、支部長から聞いたのですが」
「……だったらどうした」
「その……私を、遊撃隊に一員に加えていていただきたく、直談判に来た次第であります」
「断る」
「ですよね……ですが、あの頃の私ではもうありません。絶対に認めていただきます」
「いや、貴官の実力を……」
「実は、今から出撃するところだったので、出撃前のコーヒータイムって奴です。憧れていたことが最近できてうれしいです。では! 是非管制室でモニタリングしていてください!」
「あっ、おい」
一応の貴重品であるコーヒーを一気飲みし、マグカップを置いて走り去ってく。
更級彩芽。相変わらず、勢いで生きている奴だ。
僕はこの命令をどうやって断ろうか、考えていたところだって、言おうとしていたのによ。
管制室。中に入ると、既に更科はミッションエリアに到着しているようだった。
巨大な蛇。ジャイアント・スネークが一体か。ベテランでも苦労する時は苦労する相手だ。鋼の如き鱗を攻略できるかどうかが勝負だ。
槍型の心成兵器を構え、その巨体を活かした攻撃。動体で囲み噛みつく、押しつぶしに行く。そんな攻撃を躱していく。
「悪くない動きだ」
「英雄殿がそう言うならそうだな。実際、他の同期と比べても、安定感がある。それはともかく。あんたさんがここに来るのも、氷の鬼教官と呼ばれた四季遥大佐が後輩を褒めるも珍しいな。明日は雪でも降るのかね」
レーダーから目を離すことなくそんな軽口を飛ばしてくるのは観月だ。
相変わらずのボサボサ頭だな。眼鏡は新しくしたみたいだが。
「僕だって良いものは良いと言う……すまないお邪魔してる」
「良いさ。聞いたぜ。新しく部隊メンバー、募集するんだろ。なら候補者の戦いぶりが気になるのは当然さ」
「……いや」
更級の成長が気になったのはそうだが、それとこれとは別だ。と言うのも言い訳がましいので、飲み込む。
「……なんだ、これは」
観月の声に、レーダーを覗き込む。
「……デカいな。スクランブルだ。僕が出る」
「頼む、出撃許可は取っておく。ヘリはすぐに出撃できる奴が一機ある。急ぎで準備しろ」
「了解」
冷静に、飲み込むべく大口を開けての突進を躱し、鱗の隙間を狙い突く。
力で勝負しようとするな。真っ向から勝負しようとするな。欲張るな。必ず隙はある。そこだけを突けば良い。
口酸っぱく先輩から言われたことを実行する。
冷静に。常に冷静に。乱されるな。余分な感情が湧いたら心成兵器に流し込め。
感情を束ね、心を刃とした武器。心成兵器。武器に込めた感情が強ければ強いほど、強力な得物になるが、感情の流れを操作できなければ、ただただエネルギーを持て余す結果となる。
「この戦いで認めてもらって、私は、あの人と、一緒に!」
蛇が脈打ち離れる。大分血を流させた。頑丈な鱗、全身の筋肉。どこを突いても硬さがある。だが、貫けないほどのものじゃない。
あと少し。そう直感し、より冷静に構えなおす。ここで勝ち焦って死んだ奴だって、いる。そう教えられている。
その時だった、遠くで、何か大きな影が蠢いているのが見えたのは。真っ直ぐにこちらに向かってきているのに気づいたのは。
巨大な蛇。識別名称は単純。ジャイアント・スネーク。純粋にその巨体のみで勝負しに来る。ただそれだけなのに、脅威に数えられる一体。
『フェアリー1、更級君! 良いかい、絶対に逃げ続けろ。生きることだけを考えるんだ』
管制官の観月さんの声も、遠い。
どうしよう。駄目かも。流石に、二体は。
いや。ここで諦めてどうする。
認めてもらうんだ。この二体を、倒し切る!
頭に浮かぶのは先輩の顔。色んな事を諦めながら、ただ目的もなく、義務感だけで動いている。そんな目。
有希先輩が亡くなったとは聞いてからひと月。私の知らない先輩。
今でも思い出せる。自分で浮かべているとは気づいてもいないだろう。ちょっとだけ気の抜けた笑顔。もう、気配も無い。
私なんか、眼中に無いのかもしれない。私では、あの笑顔を引き出せないかもしれない。
槍を構えなおす。槍の先に、紫電が迸ったのが一瞬見えた。
「であぁああああ! あああああ!」
『更級君! くそっ』
私の気持ちなんか、届かないかもしれない。意味の無い徒労かもしれない。
それでも、何もしないのだけは、嫌だから。
突き出した槍は堅い鱗を貫き、肉にまで到達する。
「よし、これなら」
大口を開けて飲み込みに来る二体目の蛇。一体目が痛みでひるんでいる間に……。
「えっ」
槍が、抜けない。
固い筋肉に捕まり、自分の武器が、ピクリとも動かない。
そして、槍が突き刺さりながらも、こちらをじろりと二つの目が捕らえる。
武器を捨てて離れなきゃ。そう思うのに。死神の気配が、私の足を縛り付けた。
「あ、あ……たす、けて」
漏れ出る情けない声。足が、手が、震えた。
最後に思い出すのもまた、憧れの先輩からの教えだった。
「神に祈るな、敵だぞ。祈るならもっと信じられるものにしとけ」
私が今、信じられるもの。そんなの。
あはは。あは。来るわけ、無いのに。見ていてください、って言ったのに。でも。
「たすけてよ、せんぱい」
その時だった。大口を開けて降って来た蛇が、解けるように崩れ落ちて行ったのは。
「さようなら……業火、剣乱」
上から振って来た灰色の影は、炎を纏った剣で、蛇の堅い鱗を、必要が必要である、ただそれだけのために鍛え上げられた筋の太い筋肉を、あっさりと切り捨てた。
その体捌きは戦場でなくどこかの劇場なら、誰もが見惚れるもの。
エレメント解放と超高威力の遠距離斬撃。高等技術を惜しみなく合わせて使い。巨大な脅威を燃える肉片に変えていく。
「無事か?」
先輩は油断なく剣を構え、こちらを一瞥する。
「は、はい!……すいません、腰が抜けました」
「とりあえず立って武器を構えろ。ここは戦場だ」
「う、うす」
よろよろと生まれたての小鹿を思わせる足取りで、どうにか立ち上がり、槍を構えなおす。先輩は一つ頷く。
「よし。こちらフェンリル1。対象を撃破。確認を」
「こちらでも確認した。周囲、敵性反応なし。帰投せよ」
「了解……終わりだ。帰るぞ」
「はい!」
……まだ、遠いな。
隣に立てなくても、せめて、背中を預けてもらえる。それくらいには、なれていたかった。
痛みに気づいた。手のひらに、爪の後、少し血がにじんでいた。
「動きは良かったぞ。だが、慎重になり過ぎて、仕留めきれなかっただろ。お前の技量なら、もう少し攻めに意識を傾けても良いはずだ」
「えっ」
思わず顔を上げたのは。四季大佐から聞いたことのない、お褒めの言葉が聞こえたからで。
「ちゃんと強くなってるな」
そして、そのおかげで、初めて自分に向けられた笑みが見えた。
「あ、ありがとうございます。と、ということは。私も、フェンリル遊撃隊に!」
「いや……」
「よろしくお願いします。隊長!」
しっかりと勢いよく、はきはきと。私は私らしく頭を下げた。
「……はぁ」
相変わらず、勢いで生きている女だ。
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