神殺しの絶望の先。明日の果て
神無桂花
神殺しの背中
第1話 神様を殺した後。
その日僕は、神様を殺した。
牙を躱し、爪を受け流し、その赤い鱗に覆われた胴を踏み台に飛び上がる。
全力の斬撃を飛ばす。感情のエネルギーが刃になって飛んでいく。これで、ひるませるくらいは……その隙を……!
鮮血が噴き出て、痛みに呻く声。まさか……!
「! 効いてる」
至近距離で全力を込めなければ傷もつかなかったのに。やっと、やっと突破口を。……ここまで追い込まれなきゃ、僕は……いや、今は。これなら。今の、僕……俺なら!
溢れる感情を次々に剣に込めていく。右手の剣は地獄の業火をも超える熱の炎を纏い、左手の剣は周りの空気すら凍てつく冷気を纏う。力が溢れて全能感が駆けめぐる。
「ハハッ、フハハッ! 堕ちて、消し飛べ!」
纏った炎は、冷気は、巨大な刃になって、人類の仇敵となった神たる龍に迫る。吐き出される息吹を切り裂いて、届く。貫く。貫いて尚、輝きを増して。空を、大地を、照らした。
突き立てた二本の剣に感じるのは、確かな手ごたえ。まだだ。まだ、ありったけを、全部、全部、全部ぜんぶぜんぶ、全部、つぎ込め。全てだ。
気がつけば、焦げて凍った、神として人類を追い詰めた龍が、そこに残った。
息が、腕が、出がらしになった気分だ。
戦い終わってへたり込むのは初めてだ。むしろ、そうする奴に叱咤を飛ばして立たせるのは、僕の役割で。
寝転がり見上げた空は、とても、とてもどこまでも、蒼だった。
青空って奴を奪われたのは、生まれる前の話で。三十年も前らしくて。ずっと灰色に覆われた空で。
やたらと眩しかった。太陽が逆に霞んで見えるくらいに。でもどうしてか、それは本能なのか、これが正しい、そんな気がした。
「あぁ、これで、終わったんだな」
頬を拭うと、汗と血が混じっていた。
僕らは勝利した。勝鬨も、一緒に喜び合う誰かも、いなくなってしまったけど。
「お前ら、生き残っちまったよ……なに許可なく死んでんだよ。命令違反だぞ」
一人になってようやく、あいつに届く攻撃が、できるようになって。
無意識に、首に巻いたマフラーを掴んでいた。「ごめん」と口の中で呟いた。
仲間が死ぬなんて慣れている。慣れているから。何も思わない。思わないんだ。だから。
「すまなかった。青空、見せられなくて」
人々は、これから何に祈るのだろう。
僕はこれから、どうやって生きていくのだろう。
「フェンリル大隊。大隊長。四季遥大佐。参上しました。大門支部長。お久しぶりです」
支部長用の机と椅子。壁に沿って並べられた本棚とそこにぎっしりと詰められたファイルだけの簡素な部屋。ファイリングしきれていない資料が机や床に山積み。それは終戦前と変わらない光景。
奥に座るのは堀の深い顔立ち、短く切りそろえられた髪。岩のような印象を受ける男だ。
人類生存圏防衛軍、通称HDF。その最前線と言われる支部。日本防衛拠点東京支部支部長室。約ひと月ぶりに訪れた。
「ご苦労。英雄殿、欧州本部での休暇は楽しまれたかな?」
「一兵卒として、鍛錬は怠っておりません」
「そうか。通達書は既に行っているだろうが、君の大隊は情勢の変化による再編成のために、一度解体となった。後ほど、参謀本部から次の指示があるだろう。さて、早速だが任務だ。これからこの東京地区に接近する眷属どもを蹴散らしてもらいたい」
机に置かれた指令書を受け取り、ポケットに突っ込む。
「了解。出撃します」
即答。命令を受けたら即行動。それは戦中と変わらず。急を要する事態しかなかった頃と変わらず。ひと月の休暇を経ようとその習慣は抜けない。
「待て。敵戦力も聞かずに行くのか」
「問題ありません。十体でも百体でも。全部殺すのに変わりません。失礼します」
そして僕は、最後以外、負けない。
踵を返す。仕事の時間だ。
「良いから待ちたまえ。わざわざブリーフィングのためにここに君を呼ぶと思うかね?」
……確かに。その通りだ。おかしな話だった。
「何か異変が?」
そう聞くと、支部長は一つ頷き、ここからが本題だと、資料を一つ手渡す。
「君の休暇中、眷属の動きが活発化し始めた」
「んなっ……あり得ない。神は殺した。神からのエネルギー供給が断たれた眷属は自然に死に絶える筈」
「その通りだ。君が確実に倒したことは、あの時モニターでも。その後に行われた調査にて、調査部隊に私自身も同行して、確かに君の戦果を確認している」
奥歯が擦れる音。気がつけば手をきつく握っていた。ポンと肩に手を置かれる。
「引き続き調査を進める。そのためにも、眷属は一体でも減らしてもらいたい」
「えぇ。どちらにせよ。掃討してしまえば確かめられる事。全滅させてなお湧き続けるなら、探し出してもう一度殺すだけです。絶対に」
少女にも少年にも見える中性的な顔立ち。大門は一瞬息を飲む。だが、見惚れたわけじゃない。釣り上がる頬。不気味に輝く瞳。大門は静かにため息を漏らす。
「……そうだな。では、早速だが、行ってきてもらう」
妖しく燃える表情は、すぐに冷徹な戦士の顔に変わる。
「了解。フェンリル1、出撃します」
今度こそ、部屋を出ようとドアノブに手をかける。
「……そのマフラー。背負い過ぎて、潰れるなよ」
「……失礼します」
任務用の灰色の制服に身を包み、ヘリに揺られ、空から眺める東京エリアは活気に満ちていた。人類の勝利が宣言されてから、街は少しずつ、失われたものを一つ一つ拾い、取り戻すように覚束ないながらも日々を送っている。
僕が生まれた時には既に、人類と神の戦いは本格化していて。所謂世間の事情、大人の事情というものがわかる頃には、日々、人類の生存圏というものが失われたなんてニュースを毎日聞いていた。十四で入隊した時には、あとどれくらいで負けるのか、なんて話は日常会話で。
本格的に戦線投入された時には、明日の話なんて誰もしなかった。
十八になって、大きな勝利を得るなんて、思っていなかった。
東京エリアとその外、神域……要は係争地だ。それを区切る壁を越えてさらに五キロ。ここを突破されたらエリア内にも警報が鳴り、非戦闘員はシェルターへの避難が呼び掛けられる。
「ここで良いよ。終わったら呼ぶから」
「しかし。まだミッションエリアまで十キロは」
「良いよ。止まって。ここから飛べばすぐだから……危ないから離れてて。それじゃ」
ヘリが止まる。それを確認して、返事を聞かずに飛び降りる。
「……いくよ」
感情を束ね、心を、刃にする。
心成兵器というものらしい。黒曜石を思わせる黒さの一振りの両刃の剣が、手の中に出来上がる。
「……五体か」
剣を一振り。巻き起こる衝撃で減速して着地。前髪を払い、敵を見据える。
ライオンを大きくしたような奴。口の端から火が漏れてるけど。これが三体。識別名称・インフェルノ・レオン。
象を大きくして、背中に大砲を乗せた感じの奴。これが二体。識別名称・タンク・エレファント。
どっちが良いかな。近距離での戦闘ならライオンが厄介だから。
「象からだな」
街を砲撃されたら面倒だし。
余分の力をトンと一つ飛んで抜いて。そしてもう一つ、トンと地面を蹴る。
心成兵器。これを抜いている間、身体には心力が巡る。それは身体を頑丈にし、感覚は鋭くなる。そして、身体能力を高めてくれる。
恐れはない。攻撃は、全部見えている。
振り下ろされる獅子の爪を掻い潜り、叩きつけられる象の鼻を横目に駆け抜ける。
獅子の鋭い爪が叩きつけられた後に立つ火柱がじりじりと
一気に一体目の象の目の前に。鼻が振り上げられるのが見える。
「三体目」
そう呟き横薙ぎに一振り。さらに飛び上がりながら一振り。両断された象の身体は地面に崩れる。そして、突然足を失った獅子二体もまた、地面に倒れ伏すことになる。
斬撃飛ばし。それ自体をできる人は珍しくない。が、眷属を一撃で仕留めるほどの威力で放てる者は少なく。さらにそれを走りながら、跳びながら放てる者は軍の中でも僕だけだ。
「うん。一ケ月前線から離れても、動けるね」
突然群れの内の三体を失った二体。油断なく飛び掛からんと構える獅子と。大砲をこちらに向けてくる象。
「……ハハッ」
感情の昂ぶりに応じて、剣は火を吹きだし、火に火を重ねていく。
「さようなら……業火剣乱」
余分な力を抜いて、敵の動きを見切り、斬撃に炎を乗せて飛ばす。剣戟は燃える火と共に容赦なく。舞い散る血は鮮やかな赤。滑らかに容赦なく、的確にそう定められていたかの如く、敵を燃やし、斬り飛ばす。
燃える肉片が舞い散り、戦場に赤い花を咲かせた。
「状況終了。確認を」
無線で管制官に連絡。レーダーで周囲の状況を把握、適宜指示をくれる管制官は、戦中もかなり世話になった。
「こちら管制。対象の撃破を確認。周囲に敵の反応なし。ご苦労」
「了解、帰投する」
「相変わらずの、見事な戦いぶりだな」
「あぁ、観月か。まだやってくれているんだな」
管制官、観月和人は仕事モードの真剣さに、少しだけ気軽さを交える。
「ククッ、相変わらず、女みたいな声しやがって。後で参謀本部からの呼び出しがある。帰投後、すぐに向かってくれ」
「了解」
ふと、辺りを見渡した。草一つ生えない黒い荒野は、見慣れたもので。ちらりと振り返り目を凝らせば、避難していた生存圏拡大研究部の車両が戻ってくるのが見える。定期浄化任務に当たっていた人達だろう。浄化しても神域の拡大が止まるわけじゃない。水際で止める作業も必要だ。
だが、その場当たり的な対応も、そろそろ終わるべき時だ。
神の血により汚染された土壌を元に戻し、再び緑あふれる大地にする。終戦後の方針は当然、生存圏を拡大し、全てを取り戻すことに軍の目的はシフトしている。
「空を取り戻して、土に緑を、海に命を」
灰色の空は、どうにかまだ思い出せる。
首に巻いた、水色のマフラーを掴む。
『空も海も、昔はこんな色なんだって。今は、こんな色だけど。いつか、きっと』
そう言って、あいつは笑っていた。戦いが、似合わない奴だった。管制官に転属しろと、何回言って、何回それで喧嘩したんだろう。
「また、生き残っちまったよ。もう少し戦ってから、いくことにするよ。最後まで生き残ったら……いや、その時はその時になったら考えるよ。それなら、お前も、許してくれるだろ」
マフラーを口元まで引き上げて、髪をグイっと後ろに持って行く。
「説教してくれる奴がいないから、伸び放題になっちまったじゃねーか。なぁ、有希」
そんなことを愚痴りながら、降りてくるヘリに足を向けた。
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