第7話

その名を「長屋王(ながやおう 又は ながやのおおきみ)」といい、飛鳥時代から奈良時代に存在した皇族である。


長屋王は第40代天皇・天武天皇の孫にあたる人物。


時の権力者である藤原鎌足の次男・藤原不比等に次ぐ位置に、早い段階で駆け上がった事実から考えても、当時の長屋王に特別なスポットライトが当たっていたとわかる。



さらに藤原不比等が亡くなると、そのポジションを引き継ぐほどの時の権力を得た。しかし、藤原不比等の息子たち・藤原四兄弟はこの出世をよく思わなかった。


藤原四兄弟は自分たちが権力を持つために妹を皇后にさせようとしますが、これに反対したのが当の長屋王。


天皇は複数の配偶者を持ち、中でも皇后は特別な存在。しかし、皇后になるには相応しい身分が必要でしたが、藤原氏は皇后を出せるような家柄ではなかった。そういった政治のゴタゴタから、「長屋王の変」が起こる。


神亀6年(729年)、下級の官僚によって、「長屋王が妖術によって国家転覆を狙っている」との密告がある。


長屋王は弁明する機会もなく、家族と共に自害してしまう。この自害は強要によるものなのか、自ら進んで実行したのかは不明。


これが「長屋王の変」。その後、妹を皇后に立てて権力を持った藤原四兄弟。しかし、藤原四兄弟の栄華は思いのほか早く終わりを告げる。


長屋王が自害した後、天平7年(735年)に疫病が流行するようになり、天平9年(737年)には藤原四兄弟が相次いで病気で亡くなる。この出来事をきっかけにして、長屋王の祟りではないかと囁かれるように。

こうして京は長屋王の怨霊が吹きすさぶ魔の都となる。


平安時代に編纂された「続日本紀」という書物には、密告した下級官僚のことを「長屋王を誣告(ぶこく・人を貶める)した人物」と記しています。すでに当時から、長屋王が無実の罪を着せられたことは周知の事実だったようだ。

家族共々葬られた長屋王の怨念。

そんな長屋王の呪いは、現代でも続いているとまことしやかに囁かれている……。



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