第3幕 ここにいるよ
【3-1】
あの日から、真弥は予定のない休日だけでなく学校の帰りにも病院を訪れるようになった。
伸吾の返事がなくても構わない。手を握れば温もりがある。それで十分なんだと。
そんな彼の手を握り、学校であったことや天気の話などを時間になるまでそっと話していく。
伸吾の両親も真弥の決意を感じ取ってくれたようで、一般の面会時間を過ぎた後も家族同伴者として付き添ってくれては、帰りは駅まで送ってくれるようになった。
「真弥さんは、伸吾のことを構っていて大丈夫なの?」
その日も駅までの帰り道を辿りながら、伸吾の母親から聞かれた。
「はい。わたしは伸吾くんが6年生のときに話しかけてくれていなければ、きっと今ここにいません。だから、今度はわたしの番です。信じて待ちます」
「そう……、こんなに想ってくれる女の子がいるなんて、あの子も幸せね」
寒い2月も終わりを告げ、陽の光が柔らかくなって来た日のこと。
授業を終えての放課後、数日ぶりに病院を訪れた真弥。
いつもどおりに病室に入ると、昨日までそこにいたはずの姿がない。
「そんな……」
抱えていた鞄が床に落ち、制服姿のままその場に座り込んでしまう。
もう、今度こそ立ち上がることもできない……。その道しるべが無くなってしまったというなら……。
「は…づき……」
最初はその声が彼女の頭の中に現れた幻聴だと思った。
「真弥さん、冷たい床で冷えてしまうわ」
今度ははっきりと聞こえた。何度も駅まで送ってくれた人の声だから空耳じゃない。
恐る恐る、声の方に振り返る。
「やっぱり……。本物だった」
「……ばかぁ……! 本物だ…じゃないよ……!」
車椅子に座っている、先日まではベッドの上で何も言わずに横たわっていた伸吾にすり寄って、今度こそ彼の足元で泣き崩れた。
落ち着きを取り戻した真弥を座らせ、二人は事情を話してくれた。
伸吾が長い眠りから目を覚ましたのは、前々日のことだったと。
真弥には学校のことがあったので、知らせなくて申し訳なかったと頭を下げられたけれど、怒るわけにもいかない。
「母さんから聞いた……」
まだ長い眠りから覚めたばかりで、あまり長い会話はできないと言うけれど、0と1とでは全く違う。
伸吾はおもむろに車いすにつけてあったトートバッグの中に手を入れた。
「葉月のリボン……。懐かしい……匂いがした……」
真弥が小学生の頃から変えていない髪型。肩まで下ろした髪、頭の左右上側に黄色いリボンを結んでいる。
前回の見舞いを終えた帰りがけ、数日間の留守にしてしまうからと、その片方を自分で外して伸吾に握らせて帰った。
少しずつ時間をかけて伸吾の言葉をつないでいくと、目を覚ました彼が一番最初に手にしたのが、枕元のリボンだったという。
真弥が帰りがけに握らせたものはすぐに手から放れてしまっていたけれど、彼女の意図に気づいた両親が枕元に結び直して置いてくれたそうだ。
「ずっと葉月が……、横にいてくれたような気がした……」
これまでどのような手法を使っても伸吾の意識を呼び戻すことができなかった。
もし単なる偶然だったとしても、関係者にとってのそれは魔法のようなアイテムに感じられただろう。
「それ、持っていて? 毎日使うものだから予備はいっぱい持ってる」
「葉月……」
このリボン、どこを探しても同じものを手に入れることはできない。
理由は簡単で、姉の美弥と二人で生地を買い、自宅のミシンを使って作っているものだから。
姉は太めに作ったものをポニーテールの飾りにしていて、妹は細長い形にしている。
「安心して? それを置いて離れたりしない。わたしはずっとここにいるよ」
「葉月……?」
「だから、わたしはずっと伸吾くんのそばにいるから」
あまり急いで話をして興奮させてはいけないと思い直し、真弥は伸吾の手を握って、彼にもう一度ゆっくり話しかけた。
「伸吾くんも、わたしも、ひとりじゃない。わたし、『ここ』にいるから……」
握った手を自分の胸元に持って行く。
「帰ってきてくれて……、本当にうれしい。ありがとう……」
泣き笑いの顔で告げた真弥の頬に、春の光を受けた筋が何本も流れていた。
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