【2-2】



 真弥の思い出は小学6年生にまで遡ることになる。


「ねぇ、葉月は遊ばないの?」


「え?」


 昼休みに自分の席に座ってぼんやりしていた真弥は、突然声をかけられて、きょとんとしてしまった。


 真弥に声をかけてきたのは、同じクラスの男の子。春にクラス替えもあり、まだ全員の名前も覚えていない。


 元来人見知りで、友達を作るのも苦手な真弥のこと、学年全体を通じて顔を合わせたことのない同窓生も少なくない。


「うん、わたし、こんな体だからね……」


 胸に手を当てて、小さな声で話す真弥。


「そっか、学年に体が悪い子がいるって言ってたの、葉月の事だったんだ」


「なんでわたしのこと? こんなに目立たないのに……」


「体育だっていつも見学じゃん。先生も何も言わないし、何かあるって思ってたけど、そっか……。ごめん」


「謝らないで? わたしこそ一緒に遊べなくてごめんね……」


「気にするなよ。帰るのは一緒で平気?」


「うん、それならいいよ」


 真弥は初めて声を明るくして答えた。



 放課後、真弥と男の子は二人で学校を出た。


 彼の名は坂本さかもと伸吾しんご。今まで一緒のクラスになったことはなかったけれど、真弥のことは知っていた。


「そっか、生まれつきか……」


「うん、あきらめてた。遠足だって一度も行ったこと無いんだよ…」


「違うクラスだったから気が付かなかったけど。修学旅行もダメ?」


「うん、お医者さんも勧めないって。何もなければいいけど、もし発作とか起こしたらみんなに迷惑かかるし」


 恐らく初めて他の子に本音を話したのではないだろうか。


 普段の生活をしていれば問題はない。時々起こる発作になると急を要するから、地元を離れられないと。


「でもね、よく頑張ったって言われる。いつ動けなくなるか分かんないって話されたことあるし……。今は手術ができるようになるまで大人しくしているしかないって」


 彼は真弥がいつも学校で走ることすらないことを思い出す。


「そうなんだ……。だからあんなにひどいこと言われても……。悔しいのに」


「でも仕方ない。本当に動けないわたしが言ったって…」


 いつの間にか、二人は学校の帰り道にある住宅の空き地の前まで来ていた。


「でもね、ここにはよく来るんだよ。晴れた暖かい日だけどね」


 そこで初めて、伸吾は真弥の笑った顔を見た。


「へぇ、葉月ってそんな顔して笑うんだ…」


 彼女は学校ではほとんど笑わない。


 いつも隅の方で一人で大人しく本を読んでいるから、表情を見せることがない。


「え? 恥ずかしい。そんなに見ないでよぉ」


 顔を赤らめる。友達にも、ましてや男の子になんて一度も言われたことがない。家族以外で、彼女の笑った顔を見るのは彼が初めてだろう。


 まだ夕焼けが明るかったので、二人は空き地に積み上げてあるブロックの上に座った。


「葉月はどこか遊びに行くことはないの?」


「あるよ、三沢公園ってあるよね? 時々お姉ちゃんと遊びに行くの。そのくらいかな……。遠出もできないからね」


「つまらなくない?」


「仕方ないよ。いつか自由に遊んだり旅をするのがわたしの夢」


「治んないの? それって…?」


 伸吾が訊ねると、真弥の顔が曇った。


「ごめん、言いたくないならいいんだけど」


「ううん、手術をすれば……。でも、今のわたしにはまだ無理みたい……。それに……」


「それに?」


「難しい手術なの。ベッドに寝たきりになるかもしれない」


 真弥の悲しそうな顔を見ると、何も言えなくなってしまう。


「ごめんな、変なこと聞いて」


「ううん。わたしだって自分で分かってる。手術しても平気なくらいまで大きくなったら、ちゃんと受けるつもりだから」


 真弥の顔が見慣れたものに戻ってしまう。


「ここまで帰ってきてたのね」


 すぐ近くで、聞き慣れた声がした。


「あ、お姉ちゃん、おかえんなさい」


 すぐ隣に、私立中学の制服に身を包んだ美弥が立っていた。


「わたしのお姉ちゃんだよ」


 真弥は立ち上がると、そんな姉にギュッと抱きついた。


「こんな所でやらないの。こちらは? お友達?」


「うん、坂本君っていうの」


「そう、はじめまして。いつもこんな調子だから学校で大変でしょう?」


「い、いや、葉月はいつも大人しいから…」


 彼は正直驚いていた。クラスメイトの中でこんな真弥を見るのは初めてだろう。


 普段は話すことも笑うことも少ない。それが、姉の前ではこんなに満面に笑いを浮かべて甘えている。これが葉月真弥の本当の顔なんだと。


「今日はもう遅いから、帰りましょう。坂本君って言ったっけ? 妹のことお願いね」


「うん…」


 美弥に連れられて帰っていく真弥を、彼は角を曲がって見えなくなるまで見ていた。

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