第11話 純妙逸成は回想する

 もう来ないだろうと高を括った翌日の昼休み。僕は再び盤上遊戯部の部室に来ていた。


「来たんだね」

「約束は違えない……少なくとも覚えているものはそうしようって思ってるからね」


 先に来ていたボアネは盤を机の上に置いていた。


「……これは肩の力を抜いてやっていいヤツかな」

「これで僕、逸成にも真魚にも勝てたことないからね」

「だから僕が後攻なの?」


 ボアネは頷いた。

 それを見て僕は黒側の席に座る。


「こうしてボアネとボードゲームで遊ぶのも久しぶりだね」

「……そうだね」


 白いコマが動かされる。それがスタートの合図だ。

 コツ……コツと、不規則な駒が動く音だけが部室内に響くこと数分。沈黙に耐えられなくなった僕は何となくボアネに話しかけた。


「こうしてると、あの頃に戻った気分だね」

「……ああ、確かにね」


 ボアネが進めた駒を進める。

 それは簡単に取れる、チェスにおいてとても重要な駒だけれど、僕は取らずに駒を進めた。


「あの時はバックギャモンをやったね」

「僕とボアネのどちらもがルールを知っていたのはそれだけだったからねぇ」


 あの後、ボアネはチェスのルールを覚えたわけだけど。


「……もう、十年も前なんだね」

「……」


 ボアネの呟きに無言を返す。正直、実感はあんまりない。

 あの頃は楽しくて輝いていた……それもあるのだろうけど、僕はのも理由だと考えている。


「……逸成は覚えているかい。僕と出会った時のことを」

「勿論。昨日のことのように思い出せるよ」


 あれはそう。小学校に上がってすぐ、だったボアネはいじめられっ子だった。


「確か、髪色が理由だったね」

「そう。それで僕はこの金髪で回りからからかわれていたんだ」

「『カツラだー!』とか言われて髪の毛引っ張られてたねぇ」

「逸成は他とは違って、髪色でちょっかいをかけなかった」

「髪色で『あ、彼ならチェスを知ってるかも』って思っただけだよ」

「だからあの時の第一声が『ねぇ、チェス出来る?』だったんだね……」


 ボアネは遠い目をして呟く。そういえば言ったことなかったかも。

 ……あー、今思うと僕、昔からチェス好きなんだなぁ。


「まあ返答は『バックギャモンなら』だったけど」

「それでも『本当!?』ってすごい嬉しそうにしてたよね」


 そりゃあね。ボードゲームが出来る同級生ってだけであの時は希少価値高かったし。


「バックギャモンは基本ルールしか知らなかったけど、楽しかったなぁ……」

「今でもバックギャモンあれなら勝てる自信があるよ」

「僕は負ける自信がある」

「そんなことに自信持つなよ……」


 事実だからねぇ。

 苦笑しているボアネに、少し攻めた手を打つ。


「意地悪だね?」

「よく言われる……空海にも言われたよ」

「……覚えているのかい?」

「それが全く。けどそう言われるような手を打つだろうからね。僕なら」

「それは言えてる。ねぇ、ならだよ逸成──」


 ボアネは生き残っていたビショップを動かしてから言う。


「──君は空海とした《約束》を、覚えているかい?」


 約束……ねぇ。


「さぁ? 全く記憶にない。ちなみにそれって『放課後チェスで遊ぼう』とか、そういう軽い約束じゃあないんでしょ」

「もっと大きな約束だよ」

「だよねぇ……」


 なら、記憶にない。きっと今後思い出すこともないだろう。

 僕はクイーンを白のキングの斜め前に置いて言う。


「そういえば、空海とは恋仲になったの?」

「……知ってたのかい?」


 キングを引きながらボアネは聞いてきた。

 反応からして恋仲になってなさそうだけど……。


「あれだけ分かりやすく贔屓してたんだから当然だよ」

「……」


 動かした僕のルークをボアネは無言で取った。

 僕はルークを取ったポーンの前にビショップを置く。


「……僕には、無理だよ」

「どうして? お似合いじゃない」

「空海は逸成が好きだったからね」

「……」


 好きだった……か。


「ならば、今から恋人同士になっちゃえば?」

「話を聞いてなかったのかい?」

「聞いてたから提案してるんだよ」


 僕はクイーンで白のキングを追い詰めて言葉を続ける。


「察するに、僕と空海の約束とやらはお互いの関係に何らかの変化を起こすものだと思う。当たってるかな」

「……」

「沈黙は肯定と受け取るよ?」


 ボアネの表情はとても暗かった。

 僕は席を立つ。


「深入りはしないよ。僕も約束とやらは気にはなるけど……空海も忘れてるなら、口約束なんて無くなったも同然でしょ」

「……逸成は強いね」

「覚えてないだけだよ」

「逸成らしいね」


 持ってきていた包みを机に置く。


「お昼は食べたの?」

「……今日は持ってきてない」

「じゃあ、はい。これ」

「お弁当かい?」

「よかったら食べておくれ。中身はサンドイッチだから」


 僕は教室を出ようとボアネに背をむける。


「逸成。もう一言だけいいかい」

「……」

「空海は間違いなく逸成が好きだった。記憶を失う前は絶対に」

「!? 空海も記憶喪失なの!?」

「心因性のね」


 ……それは、可哀想なことをしたなぁ。


「……そうなんだ」

「今は知らないけど、思い出したらまた、彼女との《約束》の続きをしてあげてくれよ」

「それくらいなら、いつでもいいよ」


 僕は盤上遊戯部の部室を出る。

 出た際、ガタンと何かが崩れる音がした。

 音のした横に振り向くと、そこには漆墨さんがいた。


「……」


 しかしかけていい言葉もわからず、僕は心の中で謝罪をして、無言で教室へと戻ることにした。

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