第7話 漆墨真魚は憂鬱になる

 いつのまにか差し込んでいた夕日が、駒と盤面を照らしている。


「……そろそろ、終わりにしない?」


 そう言って純妙君は時計を見上げる。私もつられて振り返ると、時刻はもう五時半を指していた。下校時刻を大幅に過ぎている。

 私は拗ねた子供のようだと思いながらも無言で頷いて、黙々と片付けに入った。


 ──負けた。


 戦績は四戦四敗……先手でも後手でも、一度も私は勝てなかった。手も足も出ない、文字通りの完敗だ。

 完敗なのだけれど、何故か悔しさよりも嬉しさが勝っている。それに対局中、思い返せばずっと不思議な気持ちを抱いていたような気もする。


「……強いのね、純妙君」

「ん? まあ、昔からやってたからね」


 時折雑談を交えながら、純妙君がチェス盤をもとの位置に戻して、流れるような形で解散の雰囲気になった部室の入り口が急に開かれた。


「電気が付いてると思ったらまだいたか……っと、純妙もここにいたのか」


 入ってきたのは顧問の橘先生だった。

 先生はいつものように気だるそうに「ほら、さっさと帰れー」と私達に帰宅するよう促す。


「あ、純妙はちょっと残れ。話がある」

「わかりました──じゃあ丹緋君、漆墨さん、また明日ね」

「うん。また明日」

「……また明日ね」


 きっと転校してきたばかりだから色々あるのだろう。

 少し気にはなったが、私はボアネと共に玄関へと向かう。


「そういえばはや──純妙君って何処に住んでるんだろうね」

「マンションだって」

「マンション……というと、真魚の家の近くの?」

「だと思う……」


 自身はない。けれど確信に似た何かはある。

 不思議と純妙君には、謎の信頼を寄せているいるのだ。何故信頼できているのかはわからないけれど……。


「部活も、あれなら合格だよね。入ってもらうつもりだけどいいかな? 最後には本人の意思を尊重するつもりだけど」

「……うん。僕もそれには異論はないよ」


 部員の確保は急務だからね。とボアネも笑って頷いてくれた。

 だけどその表情はとても辛そうにみえた。


「それに楽しかったんでしょ、純妙君との対局」

「……うん」


 純妙君との対局はとても楽しかった。負けている筈なのに楽しくて、次はこの手で、次はこの手でと、になった。

 それに純妙君の打ち筋は私に似ているから、対局しているだけで勉強にもなった。


「……そっか」


 ボアネは寂しげにそう呟く。

 その一言は私とボアネの間にある溝を深くしたような気がして、先ほどの余韻を塗り潰すように憂鬱とした気持ちが広がっていった。

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