第5話 漆墨真魚は思い出せない

『──真魚、か。美しい名前だね』

『わたしの名前が、美しい?』

『うん』

『……はじめて、そんなこと言われた』

『そう? それじゃあきっと、今までキミと出会った人たちはキミの素晴らしさを理解できないんだろうね』

『そうかな?』

『きっとそうだ』



 ──今日もまた、不思議な夢をみた。

 今日はいつもと違ってチェス盤はなく、二人で通学路を歩いている夢だった。その夢の中で、変わったTシャツを着た“彼”に自分の名前が嫌いだと言ったのか、“彼”に名前をいじられている場を見られたのかはわからないが、どうやら私は初めて赤の他人から名前を褒められた

 しかし私の記憶にそんな場面はないし、そんな同級生は知らない。そもそも自分の名前を嫌ったこともない。卒業アルバムなんて見たことも触れたこともないが、たぶんそんな少年の姿はない。だからこそ不思議な夢なのだけど、何故かとても懐かしい気持ちと嬉しい気持ちを抱いたことが気になる。

 さすがにこればかりはボアネに相談する気になれず、登校を共にした時もそれが話題にのぼることはなかった。ボアネは私の様子を心配してくれたけれど、言う気はない。いつかはボアネとも離れてしまうのだから。

 私も友人という存在の意義はわかる。必要性の有無も十二分にわかっている。だからこそ、今からでも動くべきだと思ったのだ。さしあたっては席が隣になった転入生、純妙君と話す。

 昨日見た限り、彼はとても社交的だ。雰囲気が“彼”に似て柔らかく、人畜無害が服を着て歩いているような──


「(……“彼”か)」


 二日連続で“彼”の夢を見るのも珍しいことだ。そもそも夢自体、眠りが浅い証拠だからあんまりいいものではない。春休み中の不摂生が祟ったのかもしれないけれど、そこまでの不摂生は記憶にない。ストレスもないと思うけれど……。

 どれだけ考えてもわからないことはわからない。そう思って頭を振り、私は教室に入る。

 純妙君はまだ来ていなかった。それを残念に思いながら自分の席に座る。


「……」


 朝の時間は暇だ。それが廊下側だと尚のことで、更にボアネもいないから話し相手もおらず、本当に何もすることがない。

 始業時間までまだある。惰性で早くに出て学校に来ているけれど、やはりもう少し遅くてもいいと思う。


「──おはよう。漆墨さん」


 生徒数も疎らな教室の、私の隣の席からそんな声が聞こえた。


「あ、おはようございます……」


 思わず素で返すと彼は優しく微笑みを浮かべる。

 笑顔が眩しくて、私は思わずそっぽを向いてしまった。そしてすぐに他の子が彼に挨拶にきたから視線はもう私に向かなくなる。


「……」


 無言で、遠目に外の景色を見るフリをして、視界の端に入れている彼の姿を観察する。

 ──適度に切り揃えられた異様に目立つ黒髪、少し鋭い黒目、常に柔らかい笑みを微かに浮かべている表情……まあ間違っても不細工には入らない容姿だろう。身長ももしかしたらボアネよりあるし、勉強関連に関してはわからないけど社交性はとても高い。

 ……ちょっとだけ『雲の上の住人』と思ってしまい、昨日の無知で阿呆な自分の決意を責めたい。


「(……でも、変わるって決めたから)」


 その為に、昨日は少し夜更かしをしてしまったくらいだ。

 私はその夜更かしの理由となったモノをバッグから取り出す。

 別になんてことないごく普通にあるノートだ。市販の、五冊程度でまとめてうられているノートの一冊。

 名前も何も書かれていないそのノートの一頁目の一行目を見る。


『まずは話しかけてみる』


 ──それすらも出来ないから笑えてしまう。

 私は開いたノートを閉じて机にしまう。未だに純妙君の周りには人が沢山いる。


「──逸成はどの部活に入る気なんだ?」

「あー……実は決めかねてるんだ」


 候補はあるんだけどね……と本気で悩んでいる様子で言う純妙君。

 この高校は自称進学校と呼ばれるくらいには部活に力を入れていて、校則で生徒は部活に入ることを絶対と制定している。私もそれがなければ部活に入っていなかった口なのだけど──


「どこにする気なんだ?」

「図書部かなぁ」

「あ、そうなん?」

「まだ決めてはないんだけどね」


 ──どうやら、純妙君はきちんと部活動を見てから決めるらしい。

 でもきっと、それが普通なのだ。一応とはいえこの高校は文武両道を生徒に求めている自称進学校なのだから。

 思考のプールに使っていたら、会話を聞くことも忘れていて、気がついたら始業のチャイムが鳴っていた。しかし担任はこない。橘先生はそういう先生だ。


「ねぇ、漆墨さんってどんな部活に入ってるの?」

「──」


 突然の、純妙君からの質問に驚いて固まってしまう。気付けば彼の周りにいた同級生は席に戻っていた。

 純妙君は私の様子を見て、慌てて次のように言葉を紡いだ。


「あ、言いたくなければ「盤上遊戯部」──え?」

「盤上遊戯部……興味ない?」


 緊張で、何か言う気もなかったことを口走った気がする。えーっと……あれ?

 

「(なんで私、勧誘してるんだろ……)」


 確かに今年は勧誘しないとヤバい。けれどそれは同学年ではなく新入生に対してなのだ。だけれど何故か、私は彼ならば入ってくれるという強い確信を抱いていた。

 その確信の通りかはわからないが、彼は戸惑いを浮かべながらも頷いた。

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