第9話、隣のクラスのねこのマブダチ、やさしくあざとい不思議系
で、まあ、その日がこれで終わればまだましだったんだけど。
嵐はまだ過ぎ去ってはいなかった。
それは、僕が、収まらないドキドキ感と不思議な高揚感を持て余しつつ、一応言われた通り扉から出た時だった。
「……ぐふふっ」
いきなり奇怪な笑い声がして、そんな声のした方に振り向くと。
女子生徒用の制服の上に、藍色のケープを羽織った女の子が一人、手に持っていた本で顔を隠すようにしてこちらを見ていた。
はっきり言って怪しいの一言で。
声をかけるのもどうか思ったが、何か気になったのでとりあえず声をかけてみることにする。
「何や、何か用か?」
「……おいっす、覗き変態魔さん。すぅに何した?」
その女の子はしゅたっと片手を挙げ、あまり抑揚のない声で、いきなりとんでもない事を言ってくる。
よくよく見れば、その子は坂額恵美(さかびたい・えみ)という名の少女であることに気づかされる。
アマゾナイトの瞳に、氷のような藍色のボブの髪。
もう少しで落ちそうなって所に結んである側頭部の白いリボンは、間違いない。
「何やねん、坂額さんっ。僕はなんもしてへん! 変なこと言わんといて欲しいなっ」
してないよね?
そんなこと思いながら叫んだのがいけなかったのか……。
坂額さんは何かに驚いたそぶりを見せた後、ぽむと手を叩いて言った。
「何処の変態魔さんかと思ったら……女はキライや、とか言いながら学園の女の子のプロフィールを全部把握しているって噂の……むっつり吟さん?」
「てめっ、知っとってわざと言ってるやろ!」
何でそんなことまで知っとんねん!
とは言えずに、とにかく突っ込みを入れる僕。
すると坂額さんは、辺りを気にする素振りを見せた後、人差し指を唇に添え、静かにしろのジェスチャーを取って言った。
「あまり騒がないほうが……いいと思うよ、吟さん。死神が鎌を構えているから」「物騒なこと言うなしっ!」
彼女の場合、なまじ未来視だか千里眼とかいう力持っとるせいで洒落にもならん。
「だから、騒がないほうがいいって言っているのに……吟さんは馬鹿? 馬鹿なの?」
「こ、このっ、関西人(ニセだけど)にバカゆーな! それも二回もっ、おもっきしヘコむやろ!」
僕がそう言うと、坂額さんはいかにも何かたくらんでそうな表情で、ぐふふと笑みをこぼす。
どうでもいいが、その笑い方似合ってないから止めた方がいいんじゃないかと思っていると。
「私が……ここで『キャーッ、 誰かっ、助けてぇっ!』って叫べばきっと面白い事
が起きる」
「な、何を言って……」
とてつもなく嫌な予感を覚える僕に、坂額さんは変わらぬ笑みのまま答えてくれた。
「吟さん、今自分がどこにいるのか分かってる?」
「どこって……どこですの、ここは」
そう言われ、辺りを見回す。
どこかで見た事があるような、ないような、典型的な洋風のお屋敷に見える場所。
床のカーペットが赤よりも軽めの暖色系な所がアットホームさを感じさせる。
「……ここは女子寮、じょ・し・りょうなの。言ってる意味、分かる?」
「なっ」
僕はまたまた言葉を失った。
どこかで見た事があるような気がしたのは、男子寮に似た造りだったからなのだと気づく。
って! 冷静に状況を把握しとる場合じゃなかった、早うこっから出ないと!
脱兎のごとく踵を返し、そこから立ち去るべく駆け出す僕だったが。
しかしそれは、坂額さんの心底楽しんでそうな声に止められた。
「逃げるのはなし、これ、なーんだ」
言われるままに振り向くと、坂額さんが手に持ってひらひらさせている一枚の写真が目に入る。
知っている僕が見ればいきなり早まった真似をしようとしてるすぅを止めている絵にすぎないが、知らない人が見れば誤解されまくり間違いなしのシロモノだった。
「てっ……いつの間にそんなものをっ!?」
「逃げたらこれをばら撒いてある事もないことも話す」
そう言ってニヤリと笑う坂額さん。
どう見てもそれは脅しの笑みだった。
「な、何が目的やねん、そう言うってことは、僕に何かさせる気やなっ」
「さすが吟さん、話が早い」
僕が三文芝居のような地団太を踏み掛けると、坂額さんはそんなお決まりのセリフを吐く。
「いいからっ、早うっ!」
「訊きたいことと、お願いがふたつ、あるの。まず質問。これは前々から誰かに訊いてみたかったんだけど……吟さんは、『すぅ』のこと、どう思う?」
「どう思うってなんやっ、僕は別にどうもっ」
僕が思わず抗議めいた声をあげると、それを遮るように坂額さんは言い直した。
「言い方が悪かったみたい……吟さんは、すぅのことが男の子に見える? それとも女の子に見える?」
それは、一見意味のないような訳の分からない質問だった。
でも、いろいろ考えてる暇も選択肢もなかった僕は、思うまま正直に答えた。
「せやなあ。最初は男やって思てたけど、今はその……女にしか見えへんな」
坂額さんは僕の言葉にふむふむと頷いて返す。
「私には最初、男の子にも女の子にも見えたの。……というより、両性……どっちもなのかなって思ってた。でも違うみたい。だって今は、私にも女の子に見えるから」
例えて言うなら両性具有(アンドロギュヌス)。
神さまとか、神族って言われるものたちの幼年期のことをこう呼ぶって聞いた。
中には大人になってもそのままの奴もいるらしいが、小さい頃は性別が決まっておらず、何かのきっかけで性別が確定するらしい。
「で? そんなん訊いて何か意味があるんか?」
「……別に。ちょっと知りたかっただけ」
僕の当然の問いに、坂額さんはそっけなく答える。
「じゃ、次はお願い」
そしてすぐにそう続けて、意地悪な笑みを復活させた。
僕は、嫌な予感がぶり返して腰を引いてしまう。
「お願いは……今週末の試験で落ちないこと」
「……は?」
一体どんなひどい事をお願いされるのかと思っていた僕は、拍子抜けしてしまった。
「何やそれ、それがお願いなんか?」
「そう。何が何でも合格するの。吟さんは未来の見えない……運命の先駆者だから」
表情は意地の悪そうな笑みのままだったが、その声色は真剣だった。
言ってる意味は、よう分からへん、って感じだったけど。
「もとよりそのつもりやけど、何かそれって坂額さんにはなんのメリットもないような……」
これじゃあただ応援してくれただけじゃないか。
ひょっとして坂額さんって思っていたより良い人?
「メリットならある。吟さんが合格してくれないとつまらない。この写真で強請る人がいなくなるから……」
前言撤回。
やっぱりこいつは悪い奴だ。ハナからそういうつもりだったに違いない。
合格でも不合格でも僕を陥れるっていうのは変わらないわけだ。
僕は半ば観念して、息を吐いた。
「しゃーないな。ま、坂額さんに応援してもろたと思って頑張るわ。とは言っても、僕のやりたいようにやるだけやから、はっきりと断言はできひんけどな」
「うん、それでいい……」
僕がそう言うと、坂額さんは意地悪な笑みを初めて柔らかな笑みに変えた。
おぉ、やっぱり睨んでいた通り、笑顔が可愛いじゃないか。
……はっ、いかんいかん。さっきから僕ちょっとおかしいぞっ!
「じゃ、そゆことでっ、さいならっ!」
再び襲いくる胸の昂ぶりを悟られたくなくて、僕は今度こそ踵を返す。
「……あ、吟さん、あと一つだけ」
「まだあるんかい!」
そのまま壁にぶつかったように止まり、僕はもう一度振り返る。
「名字で呼ばれるの慣れてないから、名前で呼んでほしい。……『えっちゃん』でも可」
「分かった、えっちゃん。ほな、よろしくな!」
「……っ」
僕が恥ずかしがってリアクションに困るんを見たかったんだろうが、そうはいかんってやつだ。
逆にふいをつかれたように言葉を失うえっちゃんに、してやったりとか思いつつ。
僕は何とか誰にも見つからずに女子寮から出ることに成功したのだった……。
(第10話につづく)
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