第7話、足りないものは、見えているはずなのに見えない雪白の翼



「ところで、ピアノが壊れたって? 何か困っとったみたいやけど」


僕が話題を変えるためにそんな事を言うと。

すぅはバツの悪そうな笑みを浮かべつつもそれに答えてくれる。


「はい、その、急にピアノの音がおかしくなって……調律もしたし、そんなに乱暴に扱ったつもりはなかったんですけど」

「さよか、ならちょっと見せてもらってもええか?」

「え? あ、はい」


僕はすぅの許可を得ると靴を脱ぎ、片手で窓枠を飛び越えると中にお邪魔させてもらった。


「あっ、そんな所から入っちゃ、怒られるですよ?」

「かまへんって、帰りはちゃんとドアから帰るから」


こんな部屋あったんだなと思いつつ、少し慌てた様子でそう言ってくるすぅを軽くあしらいながら、ピアノへと近づく。

それは、音楽室にあったピアノにも引けを取らない年代物のグランドピアノだった。生活感を感じるこの部屋の、グレードを二つも三つも上げていそうなシロモノだ。


「どれどれ?」


僕は、鍵盤に指を落とし、音の変わり具合を確認した後、ピアノに調子を伺うことにする。


「ちょっくら中見させてもらうけど、堪忍してや~」

「吟也、ピアノに話しかけてるのですか?」

「……まーな、クセみたいなもんや」


不思議そうな声をあげるすぅに、僕はそれだけを返すと、さくっと中身を点検。

問題修正個所を捕捉し、あっさりと修復し、再び立ち上がる。

そこまでの時間ジャスト五分。


「あれ? 吟也、もう終わったのですか?」

「まあな。このピアノ、しばらく埋もれてて、最近使い出したばっかやろ?」

「え? はい。すぅがここ最近使うまでは寮の倉庫に眠っていたんですって」


何で分かるのです? といった表情ですぅは答える。

僕はやっぱりなと呟いてから言葉を続けた。


「……埃がな、詰まってたんや。その状態で弾いたから、音が割れたんやな」


実のところ、ピアノの仕組みなど全然分からない僕だったけど。

まさか本人に聞いたとも言えず、誤魔化すようにそんな適当なことを言う。


「ふ、ふーん。良く分からないですけど、もう直ったってことですよね?」

「せや」


まあ分からへんやろなーと思っていると、再び鍵盤に手を触れ、正しい音が出ているのにすぅは感心したらしく、何やら羨望の眼差しを向けてきて。



「すごいなー、吟也ってこんな特技があったんですね」

「まあな、人がつくったもんを改造したりするのが昔っからの趣味なんや」


実際は、『もの』の要望と意見を聞いているだけだけど、なんて内心で思いつつ。

僕が少し得意げになっていると。

さらにすぅは言葉を続けた。


「ねぇ、吟也。この特技を試験とかに応用することとかって出来ないんですか?」「あ……」


僕はそれを聞き、言葉を失う。

何故なら、そんなこと考えたことすらなかったからだ。


僕が、生まれつき持っている、『もの』に干渉する力。

何故だか分からないけど、僕には『もの』の声が聞こえたし、それに宿る『もの』の姿が見えたりすることがよくあって。

明確にそのことに気付かされたのは、ジャスポースに来てからだったけど。

自分は普通な存在でないからこそ、ここへ連れてこられたんだな、なんて妙に納得してもいて。


ここで、今すぅに言われたこと。

よくよく考えてみると、いくらでも融通が利くんじゃないかって気がしてきた。



「ナイスアイディアやんけ。それもらったわ」


目から鱗の大発見に、僕は声を上げる。

思えばこの一言こそが、僕の、僕としての力に目覚めた最初のきっかけだったんたと思う。


そんな有頂天な僕を見て。

すぅも自分の事のように喜んでいたのが印象的で……。




            ※     ※     ※




その後、僕は流れに乗ってすぅの弾くのピアノを聴いていくことにした。

無意識にもピアノとすぅが両方見える位置にイスを陣取り、聴く準備をしていると、落ち着かない様子ですぅは言う。


「本当は、歌つきの曲なんですけど、すぅ歌はあんまりうまくないので、ピアノ一本でいきますね」


こりゃまたご謙遜を、音系(サウンド)魔法だって段ちのレベルのくせにと思ったが。

それなりに弾くことへの緊張があるらしく、僕は黙って頷く。

すぅはそれを受け、表情を引き締めてピアノに向き直ると、鍵盤に指を置いた。



その曲は、何て言えばいいんだろう……。


たとえるなら、しんしんと降り積もる雪のようなバラードだった。

ただ、終始曲の根源に在するのは哀しみ……そして強さ。

永劫繰り返す時の中で、儚げに生き、死を抱き続ける。


そんな旋律が僕の心を揺さぶった。

それが何を現しているのか。

顔を上げ、曲を奏でるすぅに目を奪われ……僕は理解した。


この曲は、きっとすぅ自身なんだって。

ピアノの優しく切ない音につつまれたすぅ。


そのアプリコットブラウンの髪も。

ブルーベリィの澄んだ瞳も。

滑らかな質感を持ち、容易く手折れてしまいそうな華奢な手足も。

どこまでも純粋さを追い求めるかのようなまっさらなアンサンブルも、その全てが神秘的であり、人を超越した何かを思わせた。


だからこそ、何か足りない。

決定的な最後の一片が、今のすぅには欠けている気がして……。



そんなことを考えていると、やがて曲は終わりを告げる。

気が付くと僕は、自然と拍手をしていた。

こんな間近で本物の演奏ってやつが聴けて、感動ひとしおだった。


「今の曲は……なんて名前なんや?」


呟くように出たのは、そんな言葉。



「『終の火、うたかたに溶ける』……です」


すぅには終わりにしたい何かがある。

それは、そんな事を考えてしまうような、重いタイトルだった。

その、どこまでも悲しみに沈む、だけど心に良い旋律が耳から離れない。

だから、僕は自分が受けた感動を少しでも分かってもらうために、素直な感想を述べることにした。


「すぅこそすごいやん、こんな特技あったんやな。プロ並み?」

「い、いくらなんでもそこまでじゃないですよ~。褒めすぎですって」


それは大げさですよって照れ笑いを浮かべるすぅ。


「そうか? 僕にはそんくらい凄いもんに聴こえたけどな。……なんて言うか、感動した。冗談やのうて、ピアノで飯食っていけるんちゃうかって思ったで」


こんないつ死んでしまうか分からない危ない橋を渡るよりも。

他にもっと進むべき道があるんじゃないかって、そう思いながらそう言うと。

すぅはふるふると首を振ってそれに否定した。



「駄目なんです。だってすぅの役目とは違うから……」

「役目ってなんや? 好きなもんやるのに何が駄目なんや?」


重い諦観を含んだその言葉に、僕は何かもやもやしたやり切れない思いを抱いてそう聞き返す。


すぅは、そんな僕に少しだけ戸惑った後、自分に言い聞かせつみたいに……言った。



              (第8話につづく)







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