お茶のあとに… 第四話

 テーブルに並べられた茶器を眺めてため息を落とす。

 正面ではなぜか楽しそうに兄、アイザックがお茶を淹れている。

 普段は家を空けることの多い兄だが、今日は朝からダーシーをお茶に誘った。


 目の前にお茶を置かれ、まじまじと眺める。

 ミルク入りのお茶は淡い色をしている。わずかな波紋が広がっていた。


「まぁ、一口飲んでみろ」

 そういわれてもダーシーは躊躇う。

 すでに頬が緊張し、ピクピクと震えている。


「今はどんな感じだ?」

「口の中が苦いものを食べている感じ。頬の奥がイーッてギーッてして」

 言いながら両手を頬に添え、指を慌ただしく動かす。

 何が正しい表現か分からない。

 ただ、頬の奥から何か出ているんじゃないかと思うほどの感覚がある。


 アイザックはそっと肩を落とす。

「自分で入れる分には大丈夫なのか?」

「何とか、そこまでは回復させたの。何度も練習して飲めるまでなったけれど、他人が淹れたものはまだちょっと口が開かないわ」

 ミルク入りなので苦さはないはずだが、過去の記憶を呼び起こすのか、条件反射のように頬が拒否反応を示す。


 ダーシーはもの悲し気にカップの淵を撫でる。

「ミルク入りだし、そんなに苦くないって頭では分かってる。でも、飲む気にはなれない。ごめんなさい、お兄様」

 眺めているだけでも頬の奥の違和感が消えず、両手で解す。

 ミルクでまろやかになっているはずのお茶に対しても反応が同じでダーシーは情けなくなる。


「フィンリー殿下を怨むしかないな」

 アイザックはダーシーのカップのお茶に口をつけ、自分でも満足に淹れられたことにほっと息を吐く。

「本人があまりに嬉しそうにしているから、指摘する暇がなくて気がついたら、カップに茶葉なんだもの。王家ではそうするのかなって思ってしまって」

「だからって、飲んで最悪だったんだろう?」

「目と鼻と口から色々、出してしまったわ」


 相手は王子だし、王家の依頼は受けるのがヴィルフォークナー家だし、等などが頭を駆け巡り、飲むしかなくなったのである。

 しかし、全て吐き出すことになった。

 エルフィー殿下にとんでもない姿を見せてしまったのは今でも悔やまれる。


「このところは、変な淹れ方はしていないのだろう?」

「誰かに習ったのかしら?」

「さあな?」

 アイザックは素知らぬふりをしたが、フィンリーの兄、エルフィーが絡んでいることは分かっている。


「ミルクの入れ方が初めは先にカップに入れていたのに、最近は後からになったのよね。何かあったのかしら?」

「そうなのか?」

「貴族の中にはミルクを後に入れる人たちもいるって聞くけど、私はあまり出会ったことがないわ」

「お前の狭い交友関係では当てにならんな」

 令嬢たちのお茶会にあまり参加しないことを知っているアイザックは、冷たく言い放つ。


「だって、自分でお茶を淹れたら笑われるんだもの」

「ふん、茶ぐらい自分でできんのか」

「そういうところもあるってことよ。私たちは自分たちで色々できるように躾けられたけど、召使いや身分が下の者にさせるっていう人たちもいるのよ」

「人件費の無駄だな」

「うちが貧乏だからでしょ」


 アイザックは一度、視線を逸らしたが向き直り

「ヴィルフォークナー家は建国以来、王家に忠誠を誓い…」

「はいはいはいはい!」

 またお決まりの文句が始まったとダーシーが遮る。

「ったく、何かあればすぐそれを言う」

「いかんな。父上の口癖が移った」

 はたと頬に手をあて、しまったという顔をする。


 幼い頃から呪文のように言い聞かせられた言葉である。

 それは今も生きる盟約の証で、二人を王家という足かせに捕らわれるものでもあった。


「とにかく、早くフィンリー殿下のお茶を飲めるようにならないといかんな」

「いっそのこと、口に含むくらい出来れば何とかなりそうなんだけど」

 言いつつも想像してしまって、再び頬が緊張する。

 ぐりぐりとダーシーが拳を頬にあてる。

 その情けない姿に、アイザックは息を落とすのだった。





「おや、ハンティントン伯爵令嬢が気になるのかい?レジナルド殿下」

 エルフィーはにこやかに声をかける。

 国賓が招かれる大きなパーティーに遊学中のレジナルドも参加していた。

 さっと顔色を変え、レジナルドが振り返る。

 エルフィーも長身だが、彼もまた、同年代の中では背が高いほうだろう。まだ、伸びるかもしれないとさっと上から下までエルフィーは眺める。


「申し訳ありません。大叔父がロックウェルを治めている関係で、無意識にハンティントン伯爵に目が行くようでして」

 決して、伯爵令嬢が気になるわけではないこととやんわりと因縁があることを示唆する。


 今、伯爵令嬢は父であるハンティントン伯爵に連れられて、国王陛下に挨拶をしている。

 礼儀正しい様子に彼女の教育係の力量が知れる。

 あまり他には見せない朗らかな表情は今まで見たことがなく、レジナルドは目が離せなかった。

 王家の者には他の貴族たちがするのと変わらない対応が意外のように思い、彼女も伯爵令嬢としての役割を分かっていることに失望に近い安堵がある。


「国境近くはどうしても揉め事が起きやすい。仕方のないことかもしれないが、いつまでも引き摺らせて民を困らせてはいけないよ」

 エルフィーはレジナルドに優しく声をかける。

 ハンティントン伯爵が治めるロチェスターはレジナルドの故郷ロイドクレイブ王国との国境にある。

 二人は領土が隣り合う国の王子である。

 時機が違えば剣を交えていた関係でもある。

 しかし、レジナルドが感じるエルフィーの印象は遠縁の兄のようだった。


「エルフィー殿下のお言葉、胸に刻みます」

「大げさだね。実際にどう思っているかはお互い、口には出せないものだ」

 どこか遠くを見る姿にレジナルドは鋭い視線を送る。

 それに気が付いているのかいないのかふっとエルフィーは頬を緩める。

「今回はこちらに長くいるんだね」

「はい、これからのロイドクレイブは峠を雪に閉ざされ、国境越えもままなりませんから、こちらで過ごさせていただきます」

「厳しい土地だと聞いているが、実際に私も行って体験すべきだろうな。その時は案内をお願いできるかな?」

「はい、喜んで」

 レジナルドの返事に満足そうに頷く。


 再び、二人はハンティントン伯爵と令嬢に目をやる。

 陛下の元から下がる令嬢に表情はない。

 父に命令されて仕方なくパーティーに出席しているように見える。

「少しは笑うと良いのにね」

 エルフィーが零した言葉にレジナルドはわずかに肩が跳ねる。

 同じことを考えていたためだ。


 目が合うとエルフィーは明るかった口調とは違い、厳しい瞳を向けていた。

「ヴィルフォークナー家の事はもう調べたんだろう?あの家の令嬢がグラントブレア王国以外の男性に嫁ぐことはない」

 すでにその辺りの事はレジナルドの耳にも入っている。

 だからといって、納得するかしないかは別問題だ。


 用心深くエルフィーの出方を見ていると彼は肩をすくめて踵を返した。

「シーズンとはいえ、疲れない程度に楽しむと良いよ」

 軽く手を振り立ち去る。

 さっと、彼の取り巻きが背後を守り、その姿がレジナルドの視界から消える。

 一人、最後までこちらを見ている青年は、ハンティントン伯爵令息だと分かり気を引き締める。


 見送りながら、エルフィーの言葉の意味を考える。

 牽制?それとも忠告?

 どちらにしても、分かりやすい態度を指摘されたようでレジナルドは暫くその場から動けなかった。


~~~~


次回はちょっと長めの投稿になります。

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