お茶のあとに… 第三話
窓から夜の涼しい風が入ってくる。
ふわりと頬を撫でられて、エルフィーはほっと息を吐く。
背後では賑やかな音楽が流れ、幾人かがダンスを楽しんでいるようだった。
手に持った飲み物を飲み干すと傍にいた給仕の者に杯を渡した。
「お疲れ様です。先ほどのラッセルリベラ侯爵への対応、中々です」
アイザックは意地の悪い笑みを浮かべて近づいてきた。
王城で催されたパーティーで、王太子であるエルフィーは次から次へと挨拶を受ける。
国内の重鎮は勿論、各国の大使など幅広い。
ラッセルリベラ侯爵は最近、力をつけてきた注目すべき人物だ。
噂は色々あるが、何かと贈り物だと言って持ち込むのだけはいただけない。
「試しに飲んでくれと押し付けられそうになったが、受け取れば次の日にはお墨付きといって触れ回りそうだな」
転がる狸。
そう揶揄されるラッセルリベラ侯爵は丸いお腹でとことこと広間を忙しそうに歩き回っている。
今は公爵に声をかけているようで、身振り手振りで相手の機嫌を取っている様が見える。
パーティーで力ある貴族たちに順番に声をかけていく。
大きなお腹を揺らしつつ、やや低めの身長で動き回る姿はどこか愛嬌がある。
しかし、自分のところで扱う商品をこれでもかと宣伝するので、彼が近づくと席を外す者も多い。
今のところ、大きく場を乱すわけではないので放置されているが、問題が起きる前に一度、忠告すべきかもしれない。
エルフィーは父にどう伝えるべきか頭を悩ませている。
ゆっくりと広間を見渡す。
フィンリーはそのラッセルリベラ侯爵令嬢のメイジーに捕まっているようである。
遠くからでもメイジーは目立つ。フィンリーを目の前にしているからか、幾分、顔を赤らめている。しかし、濃い色のドレスを着こなしているあたり、強い自信があるのだろう。
フィンリーと婚約を交わしたフェアバンクス公爵令嬢のフライアは、隣国ロイドクレイブの王子レジナルドと談笑している。
ふんわりとした彼女だが、レジナルドの様子から話は盛り上がっているようである。
友好的な態度は信頼できる。
フィンリーは良い婚約者を得たとエルフィーは嬉しく思った。
すっと、視線を動かす。
人々が行き交う広間の奥へ集中する。恐らく、いるはずである。
エルフィーは確信していた。
わずかな人の隙間から淡い色のドレスで完全に広間の壁と同化しているダーシーがこちらを見ていた。
こういう社交の場で年頃の娘は将来の夫を探すために、アピールするものである。
しかし、ダーシーはにこりともせず、ダンスにも参加せず、ただ、背筋を伸ばして椅子に座っている。
楽しめば良いものを。
エルフィーは苦笑を隠す。
その時、ダーシーに話しかける青年が現れた。
勇気ある者がいるとやや前のめりに窺っている横でアイザックが咳払いをした。
「ダーシーは断りますよ」
慌てて姿勢を戻しつつ、その言葉に振り返る。
「あれは以前、ダーシーに気付きながら、その横にいる令嬢をダンスに誘っていました」
兄の愛が重い。
青年が気の毒になりエルフィーはその背にエールを送る。
やがて、青年はぎこちない動きでダーシーの元から去って行った。
どうやら、アイザックの言う通り、断られたようだ。
「では私がダーシーをダンスに誘ってもいいかな?」
「ダメです」
速攻で返され次のセリフが続けられない。
「お立場をお考え下さい。こういう大々的なパーティーで身分の低い伯爵令嬢と踊るなど、ヴィルフォークナー家を貶めたいのですか?」
「私とダーシーが幼馴染みだとはみんな知っているし」
「そう思っているのは我々だけです。今日は地方から出てきているものもいます。彼らに変な噂を流されては困ります」
王太子の振る舞いは地方で数倍の大きさになって返ってくる。
耳がタコになるほど言い聞かせられたことだ。
一度くらい、ダーシーと踊ってみたいものだが、兄であるアイザックの許可が下りない。
参ったな、と口には出さなかったが、聞こえたかと思うタイミングでダーシーと目が合う。
広間の端と端で声も届かない距離だが、はっきりとエルフィーの顔を見た。
硬かった表情が幾分和らいだのが分かる。
膝の上に揃えられた手。キラリと光るアクセサリー。
エルフィーの頬も緩む。
片手をふわりと手首から胸へ流れるように動かし、合図を送る。
ダーシーも気が付いたようで、わずかに瞳が大きくなったようだった。
「止めろ。誰かに気が付かれたらどうする?」
アイザックが低い声で忠告しながら、自身は素早く辺りを見回す。
休憩として今はアイザック以外を寄せ付けていないので、二人の会話も周りの音にかき消される。
「ちゃんと付けてきてる」
良かったと胸の内で呟くが、アイザックは苦い顔をする。
「手錠だろう」
令嬢が付けるのにふさわしい繊細なデザインのものを手錠と切って捨てるアイザックにエルフィーは堪らず、息を吐く。
「お兄ちゃんが怖いな」
「御戯れが過ぎますよ、エルフィー殿下」
にっこりと笑いつつ、低い声で注意する。
アイザックの得意技だ。
「あれは私からの贈り物と言っています」
「えー」
選んだのは私なのに、とエルフィーは最後までは声に出さず抗議する。
「殿下からだと知れば、卒倒します」
アイザックは周りを見回し頷く。
そろそろ休憩時間も終わりだ。
エルフィーに挨拶しようと高官たちが近づいてきている。
息を吐いて気合を入れなおす。
王太子としての役割を務めなくてはいけない。
にこやかな笑みを頬に浮かべ、高官たちを迎えるのだった。
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