お茶のあとに… 第五話

 アイザックはエルフィーの執務机に届けられる書類を仕分けながら、ぶつぶつと呟く。

 それを苦笑いでエルフィーは受けていた。

「だいぶ上達したはずだけど、ダーシーはダメだって?」

「ああ。試しに昨日、私が淹れたが口も付けなかった」

 エルフィーはアイザックが淹れた茶を飲んだことがある。

 格別に美味かったわけではないが、とんでもなく酷いわけでもない。

 だからこそ、首をひねる。


「兄が淹れてもダメなら、フィンリーのは全くもってダメだろうな」

 そいつのせいだそいつの、と口には出なかったが、アイザックの態度は表していた。

「確かに、パーティーの時には手にカップは持っていたけど、口をつける様子はなかったな」

「パーティーで客に注がせるわけにはいけないだろう?」


 仕分けた山の一つをエルフィーに押し付けると、アイザックは眉を寄せる。

「お前、パーティーで何をしてるんだ?」

 ダーシーがパーティーで何も飲んでいないことを知っているのはどういうことかと詰め寄る。

 エルフィーはすぐに両手を上げる。

「失礼だな、ちゃんと王太子の仕事をしているよ。愛想笑いも上手になったし」

 にこにこにこ。

 嬉しくもないのに笑えるようになったと誇らしげに見せつける。


 アイザックは額を押さえる。

「ったく、レジナルド殿下に不審に思われたらどうする?」

「傷つく」

 そうじゃなくて、とアイザックは肩の力を抜く。


「あまりに熱心にヴィルフォークナー家のことを気にしているようだったから、話をしただけだよ。もし、そういう申し出があっても今のままじゃ、君のお父様は承諾しないだろうけど」

「王位継承が低い王子と隣国の伯爵令嬢、悪くはない組み合わせではあるんだけどな」

 もともといざこざが絶えない土地に縁がある者同士だし、やり方さえうまくやれば今後の発展もあるのではないかと、アイザックは勝手に希望に胸を膨らませる。


 その態度が気に入らず軽くエルフィーが睨む。

「妙なことは考えるな」

「もし、例の件がなっていなかったらレジナルド殿下も苦労しなくて良かっただろうに」

「お前は誰の味方なんだ」

「グラントブレア王国に忠誠を誓う、一貴族です」

 胡散臭い態度で、仰々しくエルフィーにお辞儀をする。


「お前の父親を説得してこい」

「どの件を説得ですか?」


 二人の机の上にある様々な案件のいくつかはハンティントン伯爵も関連する内容だ。

 アイザックは両手を広げて、どれだろう?と首をひねる。

 とぼける相手に、エルフィーは深い深いため息を吐く。

 分かっててアイザックは言うのだ、どの件ですか?どの件を説得しますか?と。


「酷い男だ」

「これでも妹の前では良い兄なんですけどねぇ」

 アイザックはとっておきの笑顔をエルフィーに返すのだった。




 廊下は窓から入る暖かい光が落ちている。

 それを眩し気に眺めて、エルフィーは小さく息を吐く。

 そろそろ決断を。

 父である国王陛下をはじめ、重臣たちが集う会議で詰め寄られても答えを出すことは出来なかった。


 すでに陛下には意志を伝えていたのだが、受け入れられないと却下されている。

 味方になってくれないかとハンティントン伯爵にも持ちかけたのだが、首を振られた。

 アイザックも今だ、何の策も練ることはできないと告げていく。


 分かっている。

 王太子である自分を有効に使うためには力を入れている交易で影響の大きな要人の娘か、交易相手国の姫君かどちらかが良いだろう。

 周りもそれを望んでいる。


 かといって、全てを投げ出し王太子の位をフィンリーに譲ることも出来ない。

 余計なことをしてくれた、とエルフィーは両手を強く握る。


 扉が開く音がして、顔を上げる。

 力のこもっていた拳をゆっくりと解し、頬を緩める。

 いつも穏やかに迎えることを望んでいるのに、それが出来ない悔しさに襲われるが、扉の向こうから現れた人物には伝わることがないように細心の注意を払う。


 質素なドレスに身を包んだダーシーがにこやかな表情で、こちらを向いた。

「エルフィー殿下、ご無沙汰しております」

 決められた挨拶だが、胸に宿る熱は確かなものだ。


「フィンリーはまだ中にいるのかい?」

 見送りもせずダメだな、と続けるとダーシーが首を振る。

「わたくしが遠慮したのです。フィンリー殿下のせいではございません」

「では、代わりに私が表まで送ることにしよう」

 ダーシーが驚いたような顔をする。


「エルフィー殿下、毎度そうおっしゃいますが、お忙しいでしょう?本当に一人で帰れますから、大丈夫です」

「では、ダーシー。いつも言うが、女性を一人で歩かせる気は私にはないよ」

 そうして、毎回ダーシーは抵抗できず暫く沈黙した後、小さな声でお願いしますと答えるのだ。


 静かな廊下は誰もいない。

 物陰には王太子であるエルフィーを守る騎士や護衛の者たちが控えているが、ダーシーの目につかない様に隠れるよう頼んでいた。

 屈強な男たちに囲まれてしまえばダーシーは萎縮してしまい、表情が硬くなるだろうと見越しての事だ。


 こんなことをしてはエルフィーの気持ちに気付くだろうが、ダーシーはそんな様子は見せない。

 そんなわけはないと思っているのだ。

 本当に、可哀そうなくらいに家に縛られている。

 それはそのままエルフィー自身のことでもあった。


 微かに染まる耳を眺めては口許に笑みが浮かぶ。

 わずかに後ろに下がるダーシーの姿を目の端に認め、ゆっくりとした歩調で歩く。

 話す内容は大したことではない。

 天気や最近の関心事、それでも詳しい内容には踏み込まない。


「今日はフィンリーが珍しいお茶が手に入ったと言っていたが、出てきたかな?いつもダーシーに是非飲んでもらいたいって張り切ってて、自分の分を用意するのを忘れるのが定番って話だけど」

 言いつつエルフィーは自分が道化のように感じていた。

 何しろそのお茶を淹れるところを見ている。

 試飲だってしたのだ、感想を聞きたくて仕方がない。


「確かに、珍しいと仰っていました。けれど、ミルクのせいか香りがちょっとかき消された感じで…」

「ミルク?」

「はい。あの、どうかしましたか?」

 エルフィーは額を押さえる。

 あれはそのまま飲むものだと思っていたが、フィンリーはミルクを入れたらしい。

 試飲をした後、淹れるのまでは見届けた。予定があったので最後の最後まで確認しなかった自分の落ち度だ。


「いや、何でもないよ」

 何とか動揺を抑える。

 そうあれはたぶん、丸まった茶葉がお湯によって広がった様子を楽しむものだ。

 透明のポットは用意できなかったが、陶器でもふたを開ければその姿は見える。

 繊細な香りとともに揺らぐ茶葉を愛でる。

 ダーシーの様子だとそこも見せていないのだろう。

 そして、そのお茶はミルクを入れず、そのまま飲むのが正しい。

 好みによって入れても良いのかもしれないが、風味は損なわれるだろう。


 伝わらなかった思いにエルフィーはため息を隠す。

 落胆している姿をダーシーに見せるわけにはいかなかった。

「そうか。私もゆっくりと味わってみたいものだよ。いつかみたいに、ダーシーに淹れてもらおうかな?」

「兄の代わりでしたらいつでも」


 謙虚な姿を気の毒に思う。

 伯爵令嬢とはいえ、王家とのつながりはある。もっと堂々として良いのに、家訓がそうさせるのか発言が後ろ向きだ。

 兄のアイザックはあんなにふてぶてしいのに、とこっそり悪態を付く。


「また、家に遊びに行っても良いかな?」

「お暇でしたらいつでもどうぞ。兄と一緒に歓待いたします」

 ここでアイザック抜きでというわけにはいかないだろうことは分かる。

 うっかり零れてしまいそうな恨み言を笑顔の仮面の裏に仕舞う。

「期待しているよ」


 すぐそばにいるのに触れることもできない。

 パーティーでダンスに誘うことも出来ない。

 それでも、確かなものがあるとエルフィーは信じていた。



 ダーシーを送り、自室に戻ると控えていた侍女がお茶を用意してくれた。

 椅子に座ると当たり前のように出てくるが、実際に準備をするのに大変だと知っている。

 笑顔で礼を言うと、侍女は目を丸くして頭を下げた。


 夕食までのわずかな時間、長椅子でくつろぎながらお茶を飲む。

 先ほどまでいたダーシーとの会話を思い出しながら、幸せな気分だった。

 だからこそ、彼女を日陰者にしてしまいかねない自分の身が許せなかった。

 ヴィルフォークナー家はそれでよいとの返事を寄越した。

 ダーシーがそう言ったわけではないだろうが、簡単に結論を出すなと言いたい。


 いや、国のためとなればダーシーは文句も言わず受け入れるだろう。

 それではあまりに不憫だ。


 カップに映る自分の顔はさぞ滑稽だろうと覗き込めば、ミルクが入っているので鮮明には見えなかった。

 やれやれと口をつける。

 まろやかなミルクの味が茶葉の風味を包む。


 フィンリーがダーシーに淹れたお茶にもミルクが入っていた。

 人の淹れたお茶が飲めなくなったダーシー。

 ああ、そういうことか。

 急にすっと不可解だったフィンリーの行動に納得がいく。

 フィンリーなりに考えてミルクを入れたのだ。


 ゆっくりとテーブルにカップを戻すと、心臓が跳ねた。

 その違和感に胸を押さえる。

 覆いかぶさるような疲労感に目が回った。


 何が起きている?


 自分の体に何か異変が起きているのは分かるが、理由が分からない。

 朝から特にこれといって負担になるようなことはしていない。

 あとは毒だ。

 これもおかしい、自分には毒見役がいる。

 今飲んだお茶でさえ、いるというのに…。


 そこで思い出す。

 フィンリーが淹れたお茶だ。

 何処からか手に入れたというお茶は、侍女にも官吏たちの手にも渡っていない。

 つまり、誰からかフィンリーだけに贈られたものだ。

 そして、お茶は本当なら口をつけるのはエルフィーではない。


 ふと浮かぶ笑顔。

 狙われたのは、彼女だ。


 口を開けて息を吸おうとするのに、何も取り込めない。

 風邪を引いたときのように体が重く、指さえも思い通りに動かせない。

 ただ、抗えない眠気がのしかかってくる。


 視界はぼんやりと霞み、色を失っていく。

 それなのに、脳裏に浮かぶ顔は鮮明で声さえ聞こえそうだ。


 死ぬのか?


 浮かんだ言葉が胸を締め付ける。

 あれもこれもどれも未完成のまま。

 何もかもが中途半端で、どれ一つ作ることが出来なかった。


 悔いが、残る。


 指先には何のぬくもりもない。

 何も抱くことが出来なかった。


 だけど。


 だけど。


 ふと訪れる安堵感。


 口元に笑みを湛える…。


 飲んだのがあの子でなくて良かった。

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