第33話
「殿下はお一人で大変お忙しいようですわ。あなたなんかに構っている暇はない様ですの。ですから、わたくしが何とか都合をつけて時間を作ったのですわ」
そうですか。
としか言いようがない。
レジナルドは忙しいと言いながらも朝一様子を見に来たのは何だったのだろう?
特に話はなかったが、食事はしたか?何か食べたいものはあるか?など保護者かと突っ込みたくなったが、特にありませんと答えるに止めた。
アリスは透明なガラスでできたポットを卓上に置くとそこに茶葉を落とし、湯を注ぐ。
「目を凝らしてよくご覧になると良いわ。これは今、わが国の令嬢たちが夢中になっているお茶ですのよ」
丸くコロンとした茶葉がお湯によってふやけてくると、ゆっくりと開き中から可憐な花が現れた。
お湯が揺れることでその花もふわりふわりと風にそよいでいるように見える。
お互いにため息を落としたが、アリスは躊躇いなくカップにお茶を注ぐ。
ふわりと花のような香りが漂う。
「これは大変高価な品物です。わたくしも父に頼み込んでようやく手に出来たのです」
ダーシーも頷く。
お茶にこのような仕掛けが施してあるのは大変珍しいものだ。手がかかっている分、当然値が上がる。公爵令嬢だというアリスだからこそ、手に入れることが出来たのだろう。
「是非、お飲みになって」
「ありがとうございます。アリス様。しかし、あまりに素敵で飲んでしまうのは大変、惜しいですわ」
傍らのポットの中では残った湯の中でまだ、花が揺らいでいる。
花の種類は何なのかしら?どのような仕組みで開くのかしらとダーシーはそちらに興味を抱いてしまう。
アリスが大きなため息を吐いたので慌ててダーシーは姿勢を正す。
「焼き菓子を仕上げて持ってくるように頼んだのに、遅いですわね」
睨みつけるように東屋の先、廊下へ視線を動かす。
自分の事ではなかったと、ほっとしつつも出来立ての焼き菓子まで用意していることに少し驚いた。
形だけ呼びつけたのかと思ったが、やるからには本格的というところだろうか。
「仕方ありませんわね。様子を見てまいります。お茶でも飲んでお待ちになってて」
口元でぶつぶつ言いながらも自ら立ち上がる姿に笑いを隠す。
侍女を呼びつけなかったアリスに感心した。
彼女の背を見送ったのち、ダーシーはじっくりと茶葉の様子を窺う。
自分の領地でも茶葉を栽培している。本来なら今時分が一番、忙しい。今年の春は本腰を入れて育てるはずが、全くできていない。
歯がゆい気持ちを抱いていたが、思わぬ物を目にすることが出来た。
ポット一杯で二人、飲むことが可能。見世物だけでなく茶葉としての役割も果たしている。
透明のポットを用意しなければ意味がないが、お湯に耐えている茶葉の様子から見ても暫く観賞用として飾れるようだ。
伯爵令嬢の身では手に入れられないが、公爵令嬢のフライアなら知っているだろうかとダーシーは考える。この茶葉は恐らくグラントブレアを通っている。
つまり、誰かが何処からか交易にて手に入れている。
令嬢たちのサロンにもっと積極的に出るんだったわ。
自分の持つ情報の少なさにダーシーは後悔する。
どの令嬢たちとも距離をもって接していたせいで、彼女たちの流行や興味があるものの知識がない。
王都に帰ったらフライア様に頼み込むしかない。
胸の内でそっと決意する。フライアならばきっと快諾してくれるに違いない。
それにしても、とカップを覗き込む。
この香りがダーシーの何かを刺激する。
脳裏に薄暗い何かが浮かびかけたが、物音がして霧散する。
慌てて音がしたほうを見ればレジナルドが焦ったような表情で立っていた。
「如何されました?」
彼は一度、口を開きかけたが、思い直したのか息を整えてから東屋に入ってきた。
「アリスとお茶会ですか?」
「はい。アリス様は今、焼き菓子の様子を見に席を外されています」
卓上に広がる茶器を眺めてレジナルドは微笑む。
「可愛らしいお茶ですね。一口頂いても?」
「どうぞ。まだ、口を付けておりませんよ」
ダーシーはお茶の観察に忙しく、飲んではいなかった。
差し出されたカップを受け取りレジナルドはその香りの豊かさに目を見張る。
「花の香りでしょうか?」
「ええ、今、令嬢たちが夢中になっているそうですわ」
「でしたら取り上げてしまい申し訳ないですね」
「大丈夫です。一番いいところはすでに楽しませていただきましたから。それより、何かあったのですか?」
冷静さを失っている様はレジナルドらしくない。
どうやら気を落ち着けるためにもお茶を飲みたかったようだ。
彼はダーシーの期待に応えるようにカップのお茶の飲み干し、向き直る。
「実は先ほど、陛下から手紙が届いて…」
がしゃん。
激しく食器が割れる音が響き、ダーシーとレジナルドは振り返る。
そこにはアリスが呆然と佇んでいた。
彼女の足元には焼き菓子が載せられていただろう食器とともに散らばっている。
ドレスは焼き菓子を彩っていたクリームや果物の欠片がはねていた。
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