第34話

 あぁ、誤解させてしまったようだ。

 ダーシーの隣にレジナルドが寄り添うように立っている。

 遠目には仲良く談笑しているように見えたに違いない。

 やれやれ、とダーシーは立ち上がる。


「い、いやー!」

 泣き叫ぶ、という表現が相応しい叫び声が上がる。

 アリスの大きな瞳から次から次に涙の珠が溢れて頬を濡らす。

 両手を頬に当て、首を振る。


「いや、いやいやいやー!」

 声を聞きつけ、侍女たちが飛んでくる。

 レジナルドとダーシーは顔を見合わせ、アリスの元へ向かう。


「落ち着いて下さい、アリス」

「お怪我はありませんか?足元、気を付けて」

 侍女たちが慌てて散らかった食器や焼き菓子を拾い上げる。

 ダーシーはハンカチでドレスを拭う。しかし、範囲が広く追い付かない。


「あぁ、殿下…」

 アリスの涙は止まらない。

 必死に何かを訴えるが言葉にならないようだ。

 その視線はレジナルドの胸のあたりをさ迷う。


 その違和感にダーシーは気付いて、振り返る。

 アリスは何に対して感情をかき乱しているのだろう?

 東屋には先ほどまで楽しんでいたお茶一式がある。


 ゆっくりとアリスの顔を見る。

 青ざめ、口は震えて何も伝えることができない。この世の終わりかというような表情にハッとする。


「殿下、失礼を!」

 ダーシーはレジナルドの鳩尾に向けて肘鉄を落とす。

 懸命にアリスを宥めていたレジナルドは目を丸くし、2.3歩後ろへよろめいた。


「だ、ダーシー嬢。これはどういう」

 わずかに咳き込んだが、素早く身構えたようで吐き出すまでは至らなかった。


 その様子を見て、侍女たちが距離を置く。

「殿下、もう一度」

 勢いよく振り上げる手をレジナルドは止める。

 さすがに察したようで視線はアリスにあった。


「毒を仕込みましたか」

 低くひやりとした冷気を含む声にアリスは震えあがる。

「殿下、早く!」

 ダーシーはそれどころじゃないと慌てて押さえられた腕を振り回す。


「分かっています。一人でできます」

 レジナルドはダーシーたちから離れ、隅の花壇へ顔を向けた。

 自分の指を口の中に突っ込み、無理やり吐いているようだ。

 その背をさすりに行こうとしたが、駆けつけたライリーがそっとそこに留まる様に合図を寄越した。

 見られたくはないことを感じてダーシーは立ち止まる。

 代わりにライリーがレジナルドの背を優しく撫でた。


 ほっと息をつき、ダーシーはアリスに向き直る。

「毒の種類は?解毒剤はあるのでしょう?」

 厳しい目を向けられ、アリスはさらに動揺する。

「ないのですか?解毒剤を用意してこそ、交渉の意味があるでしょうに!」


「だって、だって…」

 嗚咽交じりの声にダーシーはイライラした。

「それほどまでに私が憎らしかったのですか?私たちのところには殿下がいらっしゃる可能性があることをどうして考えなかったのですか?」


 違う、言いたいことはそうじゃない。

 滲む視界は悲しくて泣いているわけではない。ダーシーは悔しくて仕方なかった。

「何故、誰も直接、私を狙わない!状況判断が甘すぎる!」


 吐き捨てたダーシーの言葉にレジナルドはハッとして顔を上げる。

 しかし、ライリーに吐くことに集中するように強引に花壇へ頭を押さえつけられる。


 乱暴に目じりを拭い、ダーシーは息を整える。

「至急、解毒剤を探してください。お茶の購入先もお調べください」

「だ、だって…」

 アリスは涙を零しながらレジナルドを見る。


「殿下殺しの汚名を着たいのですか?」

 その言葉に、アリスは大きく身体を震わせた。

「今のままでは公爵家も潰れますよ」


 あわあわ、と口を動かすが何もでて来ないようだった。

 大きく息を吐いてダーシーは首を振る。

「あなたの大切なお父様に泣きついて、公爵家総力をあげて殿下を救ってほしいと頼んでらっしゃい!」

 ピシッと中庭を出ていくように指をさす。


 アリスはぎこちなく歩き出す。周囲の侍女が不安定な身体をそっと支える。

「遅い!駆け足!」

 青筋を立ててダーシーは大声を出す。

 その声に侍女たちの姿勢が伸び、彼女たちはドレスの裾をからげて走り出した。


 ダーシーはアリスたちを見送ると、何度も深呼吸をして感情を落ち着かせる。

 大声を出すなど滅多にしないので、酸欠になったように頭が痛かった。

 騒ぎを聞きつけたのだろう、いつの間にかミリーが傍に立ち手を取られた。

 そこで初めて、自分が震えていることに気が付いた。


「新鮮な水を用意するように伝えてきました。一先ず、椅子に座りましょう」

 座るといっても傍には東屋しか場所はない。

 出来れば見たくもなかったが動揺してうまく動けない以上、そこに行くしかなかった。


 テーブルに広げられた茶器一式。

 先ほどまでワクワクして眺めていた花の形状をしたお茶が毒入りと分かり、その美しさが一気に禍々しいものへと変わる。


 幻であって欲しかった。

 しかし、花壇の脇でしゃがみ込んでいるレジナルドの背が現実だと告げてくる。


 こんなにゆっくりするわけにはいかない。

「ミリー、至急、医者を呼んで。あとこのお茶を調べないと」

 エルフィーは助けられなかった。

 だから、レジナルドは絶対に救わなければ。

「医者はすでにライリーが手配していました。このお茶は証拠品ですね」

「そうよ。このお茶は…」

 この香り、アリスがしきりに気にしていた胸。

 心臓に作用する?

「もしかしたら、このお茶は」


 浮かぶエルフィーの顔。

「なりません」

 まだ、花が揺れているポットをミリーがそっと隠す。

 言われてダーシーはゆっくりと顔を上げる。

 どうやら思いのほか凝視していたらしい。


 見下ろすミリーの顔は切なく歪んでいた。

「あとはあちらに任せましょう」

 今は休みましょうと優しく告げるのだった。

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