第3話
足早に階段を降りると、馬車の傍で待つ兄が顔を歪めて迎えた。
「髪まで犠牲にしなくても良かっただろう?」
「犠牲にしたからこそ、こうやって逃げる時間が稼げたんじゃない」
肩のあたりでぶつりと切られた髪は、かなり無様な印象がある。
年ごろの娘が何の躊躇もなく己の髪を切る姿は、どんな猛者でも心に深く突き刺さる。
「カツラを使うとか別の方法があるだろう?」
「やったことをとやかく言わないで」
未練がましく妹の髪を触る兄を手で払いのける。
「ここまでやったんだから、後はお願いね」
睨みつけるように見上げると、兄アイザックは余裕のある笑顔を見せる。
「分かっているよ。今度は抜かりない」
出てきた玄関から声が聞こえ、二人は振り返る。
どうやら猶予はないらしい。
馬車に乗り込みながらダーシーはそういえばと、アイザックに声を掛ける。
「レジナルド殿下が私に声をかけてきたけど、内容を聞けなかったの」
「分かった。聞いておく」
その言葉に笑顔を見せ、馬車の中からアイザックの首に手を回す。
抱きつくと、彼も察して背中を優しく撫でる。
「気を付けて」
優しい兄の声を聞いて、身を翻す。
慌ただしく扉を閉めると同時に馬車は走り始める。
流れはじめた景色を眺め、ダーシーは深く息を吐く。
これで暫く王都を離れることになるわ。
遠ざかる公爵家の大きな屋敷をぼんやりと見送る。
賑やかな世界がうたかたの夢のようだとダーシーは物悲しいような表情を浮かべた。
「王太子妃となる未来をお捨てになるのですか?」
鋭い声にダーシーは視線を馬車の中に戻した。
向かいにはダーシーの身の回りを世話するミリーが姿勢正しく座っていた。
不揃いになった髪を眺め、彼女は深いため息とともに肩を落とす。
「せっかく、整えましたのに。そんな惨めなお姿となって」
ミリーは自分の袖で涙を拭うふりをした。
「フィンリー殿下の妻にはなれないわ」
「どうしても、ですか」
「そう、どうしても」
フィンリーのことは幼い頃から知っている。
国王陛下と父は親しく、その子ども同士も顔を合わせる機会は幾度もあった。
そんな中アイザックは王太子であるエルフィーの傍付きとなり、フィンリーとダーシーは幼馴染として付き合うこととなった。
すでにフィンリーはフライアとの婚約を済ませた後であったし、幾らフィンリーが見目麗しいとはいえダーシーが二人の仲を裂こうという気は全くなかった。
外見だけは悪くはないのだが。
ダーシーはフィンリーと会うとため息が幾つも漏れてしまう。
フライアとの婚約破棄。
それは決してガーデンパーティー内で宣言するものではない。
フィンリーの意志によって行われた婚約ではないとはいえ、彼は王太子となる人間である。婚姻には政治的な思惑が付きまとう。
安易に結び、破棄するものでは決してない。
そのあたりがちょっとお目出たいのよね。
やや頼りなくも見えるがそこをふんわりしている割に芯のあるフライアが調整してくれるだろう。
将来、二人でこの国を治めるまでに教育をしっかりと行い、周囲を堅実な者でかためなくてはならない。
仕える先がなくなってしまったアイザックがその辺をうまくやるだろう。
そのため、ダーシーはフィンリーと距離を置くことに決めた。
自分も見聞を広めておかなくてはいけないと思ったからだ。
エルフィーの死去を使いフィンリーに近付いたが、少々彼の性格を見誤ったらしい。
いつの間にか彼からの視線に好意を感じ始め、不自然にならない程度に会わないようにした。しかし、今日、婚約話を持ち出すとは頭が痛い。
念のため色々と用意をしていたが、予想より早く行動に移す必要が出てきた。
「ミリー。この後、幾つか手紙を書きたいからお願いできる?」
「かしこまりました。王都を離れる準備も手配いたします」
すでにアイザックから会場の様子は聞いていたのだろう。ミリーの反応も早い。
まだ日は高い。
可能ならば今日中に動きたいのだが、さすがに無理だろう。
「明日の朝一、王都を出るわ」
その言葉にミリーの顔も引き締まる。
「承知いたしました」
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