第5話 少し近づく距離
結局午前中は、朝遅刻して来た事以外は何かが起こることもなく、授業が終わった。その間に何度か彼女に話しかけてみたのだが、その対応は氷のようだった。
それは、俺にだけではなく、クラスみんなに対しても同じ事だった。休み時間は、仏頂面をして一人で本に読み入っていたし、昼食時には、一人で教室から出てどこかに向かって行った。
『黒崎さん、どっか行ったぞ』
「入学式の次の日に、一体何処に弁当を食べにいったんだろうな」
『顔は可愛いのに、あんな態度だといつか"氷の姫"とかいうあだ名が広がりそうだな』
「確かにそうかもしれないな」
秋良とそんな会話をする。俺は、秋良と一緒に教室で弁当を食べていた。他にも何人かの人と食べたので、少しだけクラスの人達とも仲良くなった。それは間違いなく秋良のおかげだった。
秋良は、明るい性格で何事も楽しんで行うタイプだ。人に取り入るのも上手いのですぐに友人が出来ていた。俺はそんな秋良を凄いとは思うが、そうなりたいとは思わなかった。
踏み込んで欲しい所には踏み込んでこない。そんな気遣いもできる男なので、友人として一緒にいるのは心地よかったりする。
何やかんやで昼食も終わった。結局午後も話す機会はなかく、そのまま終礼も終わってしまった。
『光星、じゃあな』
「秋良も気をつけて帰れよ」
同じ中学でも秋良は自転車通学なので、帰りは別々になってしまう。隣に目を向けると、彼女も帰る準備をしていた。
「黒崎さんも、また明日」
『えぇ、また明日』
彼女とようやく話す事が出来たのは別れの挨拶だった。けれども、話すタイミングを見つけられず俺は彼女と挨拶をした後に教室を出た。
朝は、彼女から話しかけてきたので、少しは会話が出来ると思っていたが、最後の挨拶ですら素っ気ない対応だった。しかし、昨日のことを謝るなら今日のうちがいいだろう。
だが、昨日遅くまで考えた謝罪文を話す機会がもうなくなってしまった。いやまだ一つだけ残っていた。俺は覚悟を決めた。そうしてたった今、別れの挨拶をした教室に戻った。教室にはすでに誰もいなかった。
「あの、黒崎さん」
『あら、宮地さん。私にまだ何か御用で?』
彼女の顔には、困惑という言葉が似合いそうな表情が浮かんだ。
「あの、昨日の事で謝りたい事が……」
『昨日の事?』
彼女はより一層困惑の表情が深くなったが、その後すぐに昨日の出来事を思い出したのか、パッと表情に変わった。
『……昨日の事ですか?あれは私のせいでもありますし、別に謝るような事では………』
「いや、女の人は結構そういうのを気にすると妹から聞いたし、謝っておきたいんだ」
『…………分かりました。お、お聞きします』
彼女の顔は少し赤らんでいた。恐らく、昨日のことを直接言われて、その時の事を思い出したのかもしれない。
「いい太腿といいパンツだった」
『………は?』
当然の反応だった。妹に今の言葉を言った時もふざけてると言われたが、一応見たものに感想を言うのは、一つの礼儀だと思った。
予想外の事が起こったのは、彼女が反応したすぐ後のことだった。
『ぷっ、ふふふ』
彼女は、肩をプルプルと震わせながら笑っていた。
「……俺、何かおかしな事言ったか?」
『当たり前ですよ。普通、いちいち見えたからと言って謝る人もいないし、感想を述べる人なんているはずがありませんよ』
「それはそうかもしれないが、色まで声に出したから、一応謝っておいた方がいいのかなって」
彼女は、見られたことに対してはそこまで怒っていないようだった。とりあえずその事に一安心した。彼女は手で口を覆い隠しながらも、まだ笑っていた。
『すぅ〜』
彼女は一度、深呼吸を行なっていた。
『そもそも、私は貴方に冷たい態度を取ってしまっているのに、何故謝ったりするのですか?』
深呼吸を行った後、冷静さを取り戻した彼女にそう問われた。
「それは、失礼だと思ったからだよ」
『というと?』
「事故とはいえども、嫌だったんだよ。見てそのまま何事もなかったように対応するのが。だからこそ言わせて欲しい。本当にすまなかった」
本当は、一目惚れした貴方に嫌われてたくなかったから。というのが本心だが、俺が今述べた事にも嘘はついていなかった。
『世界が、貴方のように純粋な心を持った人で出来ていれば、不幸を感じる人もいないのかもしれませんね』
「それはどういう……………。いや何もない」
明らかに何か含みのある言い方だった。その証拠に彼女も、一瞬だけ少しくらい表情になっていた。
『やっぱり、貴方は優しいですね。今朝のことといい、昨日の事といい。今だってそうです。』
「昨日っていうのは何のことだ?」
『内緒です』
昨日の事に関しては、俺は覚えていなかったが、彼女が俺に少しだけ心を開いてくれた気がして嬉しかった。
『……許します。貴方の事を。いえ、許してあげます』
「あ、ありがと」
悪戯っぽく笑いながらそう言った彼女は、俺が返事をするのに緊張するくらいに可愛い笑顔だった。
(やっぱりめっちゃ可愛い)
叫びたくなるような気持ちを抑えながらも、何とか平常心を保つ事が出来た。
『私は、貴方の気が使えたりする所、嫌いじゃないですよ』
「……………ストレートに言われると、少し恥ずいな」
彼女も自分で何を言ったのか理解したのだろう。急激に頬が真っ赤になった。そんな表情がまた可愛く見えてしまう。
『かっ帰ります。ま、また明日です。』
「おう、また明日」
そう言って彼女は、教室から走り去って行った。
『教室に誰も残っていなくて良かった。』
そう思ったのは、さっきの可愛いらしい顔を自分以外には見られたくない。という独占欲からくるものだろう。
自分も我ながらに乙女チックな事を考えてしまったものだ。そして、自分で頬を触ると熱かった。
彼女に照れていたのがバレていないか心配になったが、彼女はそれ以上に赤かったので、気づかれていないだろう。
恐らく明日になれば、彼女は何事もなかったようにいつもの"冷たい"対応に戻るのかもしれない。しかし、今日この出来事が、光星の心にとても印象強く焼きついた。
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