10:私たちはここに至っているのだから、泣き言など足らないのだ

「ポコポコはね、昔々は神様だったんだヨ」


 レヴィルはルナに抱かれて朝の空を進んでいた。

 勢いよく、黒の残滓を引きながらすっ飛んでいった、アーイントを追って。

 下には、注ぎはじめた日に輝く、緑が眩しい森が広がっている。

 朝露が、陽光にきらめくためだろうか。星空のように瞬く森が、はるかに下を走り滑っていく。


「昔、といいますぅと……私たち正神教が生まれる前ですぅか?」

「そうヨ。五〇〇年も前だヨ」


 五〇〇年の昔。

 戦乱に明け暮れていたイルルンカシウム大陸に舞い降りた『神』が、人心を穏やかにさせ争いを払底させた時代。

 その後に教えを広め、称える組織として生まれたのが正神教だ。

 突として現れた絶大な神の使徒らは、根を張るに迅速だった。

 巡教のため交通網整備に資金を投じ、格差あった教育水準を埋めんと教会の門戸を開いた。

 大陸に根を張り、威勢を広げ、慈悲と慈愛で以て、いまやあらゆる国家を超える権勢を誇っている。

 ペイルアンサを例にとるよう、多寡の問題あれど、人々を慰め導く心の拠り所なのだ。


 なれば、それ以前に宗教は無かったのか、信じ縋るものを人類は持ち合わせていなかったのか。


「そんなわけがないヨ。あちこちで、いろんなものを神様として祀っていたんだヨ」

「ポコポコさぁんも、その一つだったのでぇす?」

「森を守る神様、人の驕りを暴威で正す。ゼンバの人からは、そう信じられていたヨ」

「そうなんですぅね……」


 聖職者は、目の前に開帳された未知に好奇心を寄せざるをえない。

 想像すらできない過去の社会形態は、興味そそられる話だ。

 それも、口振りから生き証人となる者の言葉なのだから。


「で、教会が勢力を伸ばすのに他の神様は邪魔だったヨ」

「それは……確かに、いまや大陸に正神教以外の神様は、影もありませぇん……」

「仕方ないヨ。神様は『そこに間違いなくいる』のがインパクトあったし、加護と庇護のセットは疲れ切った大陸には強烈で必要だったんだヨ」


 だから、自然を中心にして人心に根付いていた慣例や、概念上の存在を偶像化した組織は、容易く呑み込まれていったのだという。


「ポコポコも、そんな感じで討伐されそうになったのを、私があの洞穴に隠したんだヨ」


 なるほど。あの竜は、魔王の意を汲んで、ずっと身を潜めていたのか。


「時々、出たがって暴れるから、投げ合いっこしてあげたヨ……」


 訂正だ。暴力が怖くて大人しくしていたのだ。

 やはり魔王、恐怖による支配を是と……! と、再確認したところで、森の向こうに影が広がる。


「ああ! ポコポコさぁんがアイちゃぁんのところにむかっていますぅよ!」


 したたかに打ち据えられた意趣返しを企図しているのか、強翼をはばたかせて岩山へ影を走らせていく。

 まさか、と身を固くし、


「大丈夫だヨ」


 ルナの笑うような太鼓判に、怪訝ながらも、ひとまず緊張をほぐした。


      ※


 アイは、大の字に転がっていた。

 勢いを殺しきれず、行く手を遮っていた岩山にぶつかり、ようやく停止したのだ。

 巻き上げた砂埃を、現実味がないままに見上げながら、


「お、オジサン? 大丈夫?」

「大丈夫なわけあるかよう……いてて」


 同行者の無事が確認できて、一安心。

 声の角度からすぐそばで、こちらと同じく大の字になっているようだ。


「アイちゃんは? 鎧は大丈夫か?」

「え? ああ、うん。ルナ、やっぱり魔王なんだよね。凄いことになったわ」

「そうじゃなくて……まあ、そんな調子なら大丈夫だな」

「なによう」


 おっさんの胡乱な物言いに唇を尖らせるが、追及はしない。そんな体力もないから。

 澄んだ風に頬を洗いながら、深く息をつく。

 と、鼻をくすぐる甘く爽やかな香りに気がついた。


「オジサン、ここって……」

「おう。俺らが昨日、ヒャクモモケシバナを摘みに来たとこだよう」

「あれから、まだ一日も経ってないの? うえええ」


 桃色の薄肉を咲き誇る花畑に、黒く濡れる甲冑が横たわる。

 まるで、流星を受け止めるように敷き詰められて。

 そんな可憐な彼らに囲まれたアイは、空を往く影を見つける。


「ポコポコだ」

「なんだあ、降りてくるよう……もう、俺は一歩も動けねぇぞ」

「あはは! 大丈夫よ、オジサン!」


 だって、肩に居た愛らしい白トカゲが、帰るべき場所に戻ったのだから。

 猛く暴れた強い個性を、打撃することで弱らせ、それから彼を戻したのだから。


「あの子はもう、私たちの立派な隣人よ」


 手を伸ばせば、竜がいなないて回りながら降りてくる。

 花を倒さんばかりに揺らし、アイの傍らに足を衝けば、


「ほら、こんなに可愛いじゃない」


 甘えるように、鼻先を下げて寄せてくる。

 愛おしく撫ぜやれば、


「へ。まるで、おとぎ話の騎士さまだよう、アイちゃん」

「え? どういうこと?」

「周りさあ」


 言われて見回せば、周りにはヒャクモモケシバナの群れ。

 まるで傅くよう、黒鎧の騎士に重いこうべを垂れていた。

 そんな彼らに従うよう、白竜もまた、こうべを垂れて鼻を寄せているから。


「立派で可憐な家臣たちだよう」


 冗談めかす相棒の言葉に、アイは胸を張る。


「悪い気分じゃあないわね」


 積んで。

 崩して。

 泣いて。

 嫌がって。


 だけど、至ったのが『ここ』であるなら、良かったと素直に笑えるのだから。


第四章 了

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