2:轟くは、光明と実績のどちらであるか

 ペイルアンサ領の中心、ペイルアンサの街には小振りな城がある。

 ぐるりと取り囲む高い城壁が防備を担うために、見張り塔や射手用の胸壁などは最低限の、言ってしまえば貧弱な城だ。

 よって、その性格には強い指向性がある。

 領主の住まいであること。

 そして、政治的な公的活動の拠点であること。


「相変わらず、貴族さまたちが慌ただしいよう」

「ユーイ! どうして、こんなに人がいるのヨ? お祭りヨ?」


 部署間を行き来する人の足が、密度高く、街を維持するために駆け回っている。

 石造りの床から足を守るために敷かれた絨毯も、摩耗が酷い。

 忙しげな彼らとすれ違うユーイは嘆息し、ルナが好奇を注いでいた。

 前者は取ってつけたような正装で、後者は礼典に挑戦をするような肌も露わな普段着姿だ。


「祭りと言えば、祭りだよ」

「なんせ魔王さまが、初めて直接に出向いたわけですからね」


 前を行く正装の巨漢が面白がるように肩をすくめ、制服に身を包んだギルド職員が笑い声に説明を混ぜ込む。


「俺、必要だったかよう? 黙って魔王サマの後ろに立っていただけだぜ?」

「王様が一人で、なんて格好つかんだろ」

「従者は必要で、じゃあユーイさんしかいませんよね」

「ユーイ! やることなくて不満なら、私を担ぐヨ! 肩車でもいいヨ!」

「はっはっは! 領主さまの椅子が豪華で、文句言っていたもんな、ルナちゃん!」

「下男が嫌なら椅子になれとか、横暴すぎるだろうよう……」


 ペイルアンサの歴史は、おおよそ一〇〇年に渡る開拓の歴史である。

 対して北の魔王は、歴史書を信じるのならば五〇〇年の間、森の向こうに根城を張っていたことになる。

 互いの道程は非常に密接であり、時に交わることもあった。

 であるが、魔王自身が人の目に触れたのはごく僅かな例のみ。開戦、停戦などに際し、文書は様々発行しているが、御身を公に表すことは史上初である。


「それが最初から領主と顔合わせとか、そりゃあてんやわんやになるさ」

「謁見場でなく議場を使ったのも、対等であるアピールなんでしょうね」

「神経質にもなるさあ。領主サマの顔、見ただろうよう?」

「すごい青かったヨ! 具合悪かったんだヨ?」


 すでに、大一番である顔合わせは終えた。

 この後は領主の着替えを待って、書面の作成に入る。内容は、非公式であるがカルナカンと在留許可と、伴う種々の取り決めについてだ。

 加えて、魔王領の様子を伝える実務会談も控えており、昼を跨ぐのは確実である。

 今は案内の女中に連れられ、待機室に案内されているところ。


「あんなに怯えてよう。あの根性無しが、よく自分で出てきたもんだ」

「そこは、腐っても貴族で領主だからさ。俺は加点だね、ユウ坊」

「へっへっへ。血を見たくらいで、悲鳴をあげていたとは思えねぇよう」

「え? 血?」

「もいだヨ? ユーイ、指をもいだヨ?」

「懐かしいなあ。お、ちょうどあそこの角じゃなかったか?」


 ダンクルフが指さすのは、進行方向からは逸れる、奥まった廊下の一角。

 窓からの明かりも届かないために、火灯りの点された曲がり角。

 その薄暗がりは、確かに沸血の記憶と合致するから、ユーイは柔らかく過去の自分を嗤うために口の端をあげた。


      ※


 事情は単純であった。

 ペイルアンサの主にかしずく陪臣の一人が、無理難題を吹っかけてきたのだ。

 義勇兵を供出しない集落に督促を行ってくれ、と。

 当時は魔王領との戦争が末期にあり、地域はどこも疲弊していた。

 領内の事実から目を逸らしていたのか、果たして最初から知見がなかったのか。

 いずれ、領主の歓心を買わんとした野心家が、薄汚い舌をちらつかせながら当代随一たる『十一の爪先』に渡りをつけてきたのである。

 

「で、面会があそこだったわけさあ」

「俺と、他には誰もいなくて仕方なくユウ坊を連れてさ」

「それで、依頼内容に腹をたてて、ですか?」

「どっちかというと、見返りの報酬に、だな」

「えぇ……ユーイ、それは引くヨ……?」

「んなこと言ってもよう。明確な金額を出さないくせに、村には世話をしきれない牛馬がいるはずだ、とか言い出して。火事場働きしてこい、ってことさあ」

「一応フォローするとな、貴族と誼を結ぶメリット、ってのが向こうの目算だったんだ」

「んなこと、森から出てきたガキにわかるもんかよう。頭に血が上って、バッサリ、な」

「……ユーイさんが八割くらい悪い、ですよ?」

「いくら魔王でも、人様の家でそんなことしないヨ? なんで懐かしい、みたいな顔できるのヨ?」

「おい! ルナちゃんが怯えちまったじゃねぇか! 謝れ!」

 

 まあ、いま思えば『指を飛ばす』必要はなかったよな、と当時の自分に恐ろしさを覚えはする。


「騒ぎに駆け付けた領主さまが、血溜まり見て卒倒してなあ」

「……もしかして、領主さまが怯えていたのって、魔王にではなく『指飛ばし』にだったのでは?」

「ははは、まさかそんな。お、部屋についたらしいよう」


 案内を終えた女中さんがドアを開け、一礼を置いて立ち去っていく。

 ちょっと足早で、視線を上げないようにしながら、そそくさと。


「なんだ、お茶くらい入れてくれるもんだと思っていたよう」

「アハハ! 『粗相したら指が……!』って顔だったヨ!」

「…よく指名手配になりませんでしたね?」

「城内でのイザコザは恥だからな。隠しておきたいし、あと、ウチと揉めるのを避けたかったんだろうね」


 そんな思い出話を披露しながら、ユーイは主賓を通す。

 とにかく好奇心が強い魔王は、目を離しておけないためだ。

 部屋は応接用の装飾品が並び、辺境ながらも領主の威勢を示すために豪奢に飾られていた。

 ひかれた絨毯も、廊下のようにくたびれておらず、深く足裏を受け止めてくれる。


「ふかふかだヨ! 私のお城にも欲しいヨ! ゴロゴロできるヨ!」

「ソファもすごい……! 腰が吸い込まれますよ!」

「いいな、これ! 俺の執務室に欲しい!」


 それぞれ感銘に、ユーイは苦笑をこぼす。

 まあ、ペイルアンサ領主による最上級のもてなしなのだ。滅多に味わえるものでないことを思えば、はしゃぎようも仕方がない。

 ユーイは、自らもご相伴に預かろうと前へ。


 と、背後で閉めたドアが開かれた。

 ノックも無しとは、と不審に振り返る。


「どちら様? 貴族の知り合いは多くないんだがよう」


 立つのは、貴族然とした年若い男の姿。

 高くはないが厚みある肩を震わし、伝わるように垂れた金の髪も揺れる。

 じっと、こちらを見つめていたかと思うと、


「間違いない……!」

「ああ? えっと、なんだよう?」


 怒気を吐き、確かめる。

 ユーイは、皆目見当もつかないでいたが、予感に目を広げる。

 よもや、今さっき話題になった『指を飛ばされた貴族』に関わる話か、と。

 ならば、まあ、自分も経験と年齢を重ねて、寛容は大きくなった。


「あ……!」

「ユウ坊! ダメだぞ⁉」


 闖入者が三歩の距離を詰め寄り、胸倉に掴みかかったとしても許容できる。

 彼には権利があるし、こちらにはその言葉を聞く義務があるだろう。

 だから、締められるままに若者の睥睨を受け止めれば、


「テメェ、ウチの妹……アーイント・ゴルドラインに何しやがった!」


 完全に見当違いな方角から敵意の塊をぶつけられて、その場の誰もが「アイちゃんの……?」という驚きと、ユーイは加えて「何かしたっけ……?」という自問に、固まってしまうのだった。

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