8:そして魔王は、まぶたを重く降臨する
探索者たちの朝は早い。
「こっち! その依頼書はウチだよ!」
「おい列に横入するなよ! どこのモンだ!」
「いてえ! もうちょっと詰めろ、得物がぶつかってるぞ!」
当然、彼らを取りまとめる探索者ギルドもそれに倣う。
「列になって! カウンター毎に並んで!」
「剥がした依頼書は戻さない! キャンセルはカウンターへ!」
「ゴミを捨てない! ケンカをしない!」
掲示板に張り出された依頼書が剥がされるたび、内製用の依頼書を追加していく。
雲霞の如く溢れ流れる彼らの同線を整え、手早くホールから放出する。
カウンターで、逐一決済を進める。
正面ホールは、毎朝がさながら戦場の如くだ。
それも、今日は一際、苛烈で淀んでいる。
いつもが激流であれば、今は蠢動。
人流が行く先を見失い、溜まり、渦巻いている。
誰も、一刻も早く手続きを終えて、森に飛び出していきたいというのに。
互いに逸るものだから、詰まり留まってしまっている。
事情は簡単、かつ深刻だ。
伝説が。
「え? 今日は、ガンちゃん休みなの?」
「早朝に門内で魔王が出たって聞いたんだけどさあ」
「ちらっと聞いたけどよ、あれ、ガンさんって本当だったのかよ!」
ギルドカウンターにその人ありと謳われた、ガンジェ・ベイが不在なのだ。
よってカウンター業務はその速度を激減、黒海は迷い惑い、不平と不満を膨らませながら滞留していく。
膨らみ弾けることを、残る職員たちが紙一重に押さえ込みながら。
※
不穏の混じる喧騒を一切合切無視して、
「ああああああ! もう今日はお休みだあああ!」
代表たるダンクルフ・ケインは、直営酒場の長椅子に背を沈めこんでいた。
あまりにだらしない姿へ、けれど、向かいに腰を下ろして苦笑するレンフルフは責めることはできない。
「難儀だったな、ギルド長」
「そんな簡単な言葉で括らないでくれよ……心臓が止まるかと思ったんだから」
「魔王さまが本物のうえ市街で暴れた、となるとなあ」
「いいや。二日酔いのガンちゃんが衛兵と言い合っていたのが、一番『キた』ね」
「おいおいおい……誰か止めなかったのか?」
「ユウ坊と魔王さまは脛を蹴られて石畳に正座していたし、アイちゃんは完全に怯えて棒立ちだったよ」
「なんだよ、その地獄絵図」
「ほんと、衛兵の脛にキックしなくて良かったよ……」
ちょっと、朝一から体験するには冷や汗が止まらない恐怖体験を、幾つか終わらせてきたばかりなのだ。
同情もするし、エールくらい奢ってやっても、と思わせる消耗具合である。
けれど、こちらも徒党所属の子供らに指示を出すまで、一杯に付き合うのは厳禁だ。仲間からも言われているし、自分でもそう戒めている。
頃合いで言えば、そろそろホールから依頼書を握った一団が現れるのだけれども。
「やっぱり、ガンジェがいないと目詰まりするか?」
「いやあ、他の職員もそこまでダメじゃないさ。急な休みで、穴を埋められていないせいだよ」
「ああ。確かに、開拓村への出張とかもしているからな」
「まあ、緊急時の手順書は必要かもさ」
「頼むぜ?」
体格に似合う大きなため息が、酒場に響き満ちる。
何かあるたびに朝のルーチンが滞るのは勘弁願うところだ。
期待の言葉を返すと、続けて、危機の所在を尋ねる。
「で、そんな大騒ぎを晒したうえで、魔王さまは」
「うん?」
「どうして、カウンターで珍味に舌鼓を打っているんだ?」
「おいしいヨ! なんでエインジドがこんなに甘くなるのヨ! ソースのせいヨ⁉」
大鳥の胸肉に齧りつく姿は、反省も後悔もない、爛漫とした振る舞いだ。
傍らには、泡たつジョッキが揺れている。
「食い逃げで、衛兵に逆らって、爆発起こしたんだろ?」
「普通なら、その場で切り捨てだな」
「掴まったとしても、極刑やむなしだ」
けれどのうのうと、にこにこと、朝食に朝酒を楽しんでいる。
ちょっと、神経が分からない。
誰もがぐったりと疲れ切っているのに、原因者がハツラツとしているのだから。普通、もう少ししおらしく振る舞うものではないだろうか。
「レンくんさあ。きっかけは無銭飲食だって言ったろ?」
「ああ」
「現金、まったく持ってないんだって」
なるほど、さもありなん。
ユーイから聞いていた話だと、魔王領は貨幣どころか経済の有無すら怪しいのだと。
僅かばかりの現金は蓄えてあるが、それは人の村とのやり取りに使う、厳格な国庫に納められた代物なのだという。
だから、ユーイを追って飛び出してきた彼女が無一文であることは頷けることで、
「え? じゃあ、いま飲み食いしてる清算は?」
「探索者になるって言っているから、それが軌道にのるまではギルドで持つんじゃないかなあ……ほんと、なんでこんな目に……」
ギルドから貸付る形も提案したが、財源や機構が曖昧なままでは良くない前例になる、と財務担当が断固拒否の姿勢を示したのだ。
結果、いまのところは補填のあてもなく、ダンとユーイが折半で懐を痛めている。
「ダン! これおいしいヨ! すごいヨ!」
「おうおう、ウチのシェフは凄腕だからね。たんとお食べ」
「いいのヨ、ダン⁉ 嬉しいヨ! さっきはちょっと食べたらすぐ追いかけっこになっちゃったからヨ!」
魔王が体を振りながら、皿とジョッキを手にレンの隣へ。
席を譲ると、当初の疑問を蒸し返す。
「それで、魔王さまはどうして極刑を免れて、朝飯を嗜んでいるんだ?」
「間違ってでも、獄に繋がれたらどうなったと思う?」
「獄? 牢屋のことヨ? 暗くてジメジメするヨ……私、嫌だヨ……?」
「な? 好きだ嫌いだで、ペイルアンサが吹っ飛ぶのは勘弁だからな。大きな犠牲を払って、助け出してきたんだ」
「犠牲だあ?」
「おう。領主に直接のルートで、ルナちゃんの正体を伝えた」
現場は混乱しており、
「魔王、こわい、ガンちゃん、てな具合になったから、ルナちゃんの魔王発言は現場レベルでは有耶無耶になっていてな」
「で、内密でトップにだけ伝えたのか」
「上から下の、封建制を見させてもらった。無事、ルナちゃんは放免さ」
「なるほど、犠牲は『領主さまの胃袋』かよ」
道連れとはひでぇことしやがる、と笑いで労うと「否」が返った。
片眉を上げ、重く体を起こしてきたダンに問う。
「ルナちゃんはそれで良し。けれど、せっかく得点になる食い逃げ犯を放免にするってぇと」
「衛兵たちが嫌がるな。どいつも手柄が欲しいんだ」
「だからな」
甚大な犠牲だ、と、巨漢はにんまり笑うと、
「現場にはな、もう一人犯罪者がいたんだよ」
ルナの運んできたジョッキを受け取り、一息に飲みほして見せた。
※
ペイルアンサ衛兵詰所、その地下。
小さな明かり取りだけで薄暗い、土と石の壁と鉄の格子で構成される大きな空間がある。
犯罪者を仮に留置する、地下牢だ。
そんな人気のない湿気満ちる暗がりに、女の必死な声が木霊していた。
「ユウィルトさん! 諦めないで! 私が身元引受しますから!」
声の主はガンジェ・ベイ。
彼女の訴えは、檻の中で座り込む壮年に向けられたもの。
「まさか、諸々の問題を捨て置いて、弓の武装準備をしただけのユウィルトさんがこんな目にあうなんて!」
「ガンちゃんさんよう」
泣くように縋りつく美人にユーイは、
「だいたいがギルドのせいじゃないのかよう……!」
ふてくされるように、唇を尖らせていた。
さまざまな思惑が錯綜した結果、要人の食い逃げを見逃す代わりとして、彼の身柄が売り渡されていたのだった。
「だから、責任をもってギルドの代表として、すぐにも釈放されるよう抗議してきますから!」
「大丈夫? 脛、蹴っちゃダメだよう? まだ俺の、痛いよう?」
「お任せください! まだ頭は重くて胃はムカムカして喉は痛いですが、万全です!」
「待って? 万全て何が? 蹴らないって言ってないよう?」
「あ、アーイントさんたちは先に森で待っていると、伝言を預かってあります」
「ああ? つまりさあ……」
自分が頼れるのは、眼前で二日酔いと闘う、焦点の合っていない傑女しかいないという宣告だ。
所属組織は裏切ったばかりでなく、相棒たちをも遠ざけるのか。
「だから、もう一度言いますよ? 私にお任せください!」
「約束してよう? 衛兵さんの脛を蹴らないって」
「もちろんです!」
「俺の目を見て? ガンちゃんさん?」
「な、何を……セクハラですよ!」
誠実を示すことは拒否してくるので、ユーイは湿った石床にひっくり返る。
事ここに至ったのならば、是非もない。
「もうさ、思いっきり蹴っ飛ばしちゃえよう。困るのはダンの馬鹿野郎だけだからよう」
……道連れにしてやる!
喜々とふらつく足で駆け出した敏腕受付嬢を見送れば、弓を取り上げられた壮年は暗く固く、傍目にはどうにも『しょうもない』決意を結ぶのだった。
第二章 了
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます