7:『魔王』
「じゃあ、ギルドに問い合わせればいいんだな!」
「だから、この白と紫が追っていたのか!」
「お前も連行だ! 魔王を騙るなんざ! 事情を聞かせろ!」
「口塞げ、口!」
悪を撃ち滅ぼさんための『責任所在』が判明したために、正義の武力制圧が始まった。
ギルドの白カードという、尋問に手頃な壮年がもみくちゃにされる様を、アイは打ちひしがれ膝をついて眺めるしかできない。
万策が尽きて、決着もついたゆえに。
己の無力に、震える手で顔を覆いながら。
けれどだ。
本当に、全ての指筋を試しただろうか。
見落としはないだろうか。
「ユーイ! なんの遊びヨ! 自分だけズルいんだヨ!」
アイの思考経路は悶着の向こう側へ、光を見る。
憤慨し、地団駄を踏む、大柄の女が持つ肩書に。
「魔王⁉ 本当に魔王なの⁉」
ことさら大きな声で、真偽の在り処を求めるのだった。
アイが狙ったのは、衛兵たちの優先順位を入れ替えることだ。
ギルド員である、という些末より。
魔王である、という危急を示すことで。
「本当だったヤバいし、ウソでも捕まえないとじゃないの⁉」
「そんなこと言われてもなあ……」
「いちいち虚言に付き合っていたら、地下牢溢れちまうから……」
「本物の魔王が、こんなところに居るわけないだろ?」
けれど、ユーイを取り押さえる面々は、熱意を灯しもしない。
すわ失敗か、と唇を噛んだところで、事態は急転する。
「え? アイちゃん、私のこと疑っていたのヨ?」
「疑うっていうか……この場にいる誰も信じてないわ?」
「ええっ⁉」
両手を挙げるオーバーリアクションで驚きを示すと、
「じゃあ、見せてあげるヨ?」
彼女は笑い『舌』を、ぺろりと出して見せた。
※
その舌は、赤く。
黒く。
けれど、輝くような更なる赤が塗りつぶす。
艶やかに。
鮮やかに。
唇から、這い出し伸びていた。
輝く赤が強まれば、この世全てを圧し、渦を巻く。
人ならば心の臓を圧し叩き。
物ならば基礎を揺らし回す。
大気すら膝をつき、折り曲げられ、染まるはまるで夕暮れの如く。
昼も遠いペイルアンサが、朝の日を奪われる。
人の形をしたただ一人を、その只中として。
夜の闇すら届かない、密繁の向こうに潜む魔城。
傲岸な玉座の主たる『黒緋の舌渦』。
北限にて、神の権威を伺う邪悪の極北。
口を開けば川が逆巻き、舌を打てば血の山河を築く、非情無比の魔族の王。
誰かが、潰れそうな肺を絞って呟く。
魔王だ、と。
誰かが、早まる心臓を押さえつけながら、こぼす。
どうして、と。
そして、アイも慄く。
「やっば。なにこれ、誤魔化し効かなくない?」
己の軽率が招いた惨状への哀嘆を。
※
「チャンスだよう」
けれども彼は、好機だと口の端を持ち上げていた。
体のあちこちに、靴底の痕をつけながら、ではあるが。
衛兵の注意が、明確な脅威に引きつけられたために、拘束を逃れてきたようだ。
変わらぬ様子で、弦の外れた大弓を手に、へら、と笑っている。
「オジサン……⁉」
気配が強いとか、立ち振る舞いから推察できる、という代物ではないのだ。
居るだけで、物理的にこちらを磨り潰すような、絶対的な圧力の渦中。
濁り荒ぶる川底を、一人だけ悠々と泳ぐがごとく。
「よく平気ね……!」
「慣れさあ。それより、逆転するよう」
「逆転……ああ、そうね。魔王が本物となったんだから……」
「おうさあ」
使い慣らした得物に弦を張り、臨戦の構えを。
「ギルドで『退治した』って実績を作っちまうんだよう!」
※
「山、とは良く言ったもんだぜ、ユウ坊よう」
ダンクルフは、冷たい汗の滲む手眼鏡を覗きながら、吐息をもらす。
つまり、近付くだけで平伏しかねない絶対の圧力が寝息を立てる隣で、毎晩を過ごしていたのだ。
これでは手を出せるわけもないなあ、と兄貴分は彼の恐怖を慮る。
「あ、あれ……本当にルナちゃんなんでぇす……?」
「ユウ坊の話じゃ、寝てるとあんな感じらしいよ」
「ええ? 昨日は特に……」
「気を遣って寝てないんじゃなかったのかな」
「そうですぅね……あんな感じで隣にいられたら、心臓が潰れちゃいますぅよ……!」
隣で震える聖職者のように、この距離ですら心臓を殴られる思いなのだから。
けれど、これで八方塞がりに見えた先行きが、ひっくり返った。
あとは『幾本』が、規格外の存在へ至れるか、である。
※
春から衛兵となったケニーは、早々に地へ伏せっていた。
食い逃げ犯を追っていたらいきなり魔王を名乗り、その途端に胃液が逆巻いて倒れてしまった。
少年には、目の前のあの大きな女が、魔王かどうかなどわかりようもない。
そもそも、魔王など童話やお伽噺の住人でしかないのだから。
けれど、その物語の悪役が、自分の未来に牙を剥いている。
彼が望むのは、衛兵で実績をあげてどこぞの従士になること。その俸禄で、両親の暮らしを楽にさせてやることだ。
けれど、今は醜態を晒してしまった。
なにも、自分が当番の時に、こんなおかしな事態にならなくとも。
彼はこの身の不幸を嘆いて、石畳を涙で濡らした。
そんなケニーの耳に、何やらやり取りする男女の声が届く。
顔をどうにか向けて、耳を凝らせば、
「上手くいくの? だいたい、射かけたことあるの?」
「へっへっへ、二本当てたよう」
「凄いわね……アレに当てるなんて」
「一〇〇〇回くらい挑んでなあ。しかも、当たった矢が砕け散ってよう」
「……えぇ?」
さきほど確保した白カードが、背負っていた弓を構え、弦を張り直していた。
戦い挑むための準備であり、この状況を打開する目論見を持つものである。
熟達の手さばきは、滑らかで迷いなく、見惚れるほどに美しい。
なにより、
「ぶ、武装準備確認!」
見逃しがたい、市街におけるルール違反である。
魔王に屈した衛兵たちは、白カードの手頃な違反行為に俄然やる気を取り戻し、掴みかかっていく。
「なんだと⁉ 弦張りは厳禁だろう!」
「確保! 確保しろ!」
「大人しくしろ、この白カードめ!」
「オジサン! オジサン、どうするのこれ!」
「なにヨ! ユーイ、また自分だけ遊んでいるヨ! ずるいヨ!」
混迷の事態に、貴族然とした少女が嘆き暮れているが、ケニーは満足であった。
犯罪を見咎め、未然に防ぐことができたことに。
誇りを胸に、崩れ落ちていく。
※
「もうダメだあ……なんであいつら、弱い方に群れていくんだよお……」
「ギルド長さぁん! だれか! 心のお薬をお願いしまぁす!」
「どうしろって……お?」
「どうしましぃた?」
「あれ。近づいているの、ウチの制服じゃんか?」
「えっと……ガンさんじゃないでぇす?」
「騒ぎを聞きつけて駆けつけたか!」
「と、とにかく流れを変えて、ルナちゃんを確保してくれれぇば……!」
※
魔が謳い。
兵が慄き。
彼が囚われ。
彼女が崩れ落ちる。
まさに、絵に描かれる世界の終わりの様相だ。
けれど、物語は邪まを討ち果たし、正しき者が勝利するものである。
かくて、戦場に彼女が姿を現す。
探索者ギルド職員の制服を朝日に輝かせ。
騒動の中心を見据えて。
迷いも恐れもなく、靴底を高く鳴らし。
怜悧で断固とした姿は誰もの視線を余さず集め、日に晒されたガンジェ・ベイの涼やかな双眸は、
「ガンちゃんさん……その顔はよう……」
完全に坐っていた。
目元ばかりではない。
口元だって、噛み合わせた前歯が剥き出しになっている。
「朝っぱらから、何事です! ギルド員が暴れているって!」
濁る半目であちらこちらへ、やぶ睨みをばら撒き威嚇。
石畳を蹴る音も、八つ当たりじゃないかしら? と疑うほど高く。
「なんか、最高潮に不機嫌、じゃない……?」
「完全に二日酔いだよう……!」
ペイルアンサに、三度絶望が奔るのだった。
結果、ユーイとルナが脛を蹴り上げられたのち満座の席で正座させられ、事態は『魔王は探索者ギルドの敏腕美人受付嬢だった』という、風評が蔓延することと相成った。
加えて、ルナが起こした破壊行為のギルド側への責任追及については、
「この方はまだ登録していません。寝言なら、口走る時間を間違っていますよ」
という、正論と投げやりを併せ持った一発を、焦点の合わない藪睨みと威嚇する前歯で押し通し、やはり魔王……! という風聞を、確かなものにしたのだった。
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