6:僅かばかりの希望に、一矢を賭けて
ユーイは右往左往にあった。
巻き起こる騒々しい破壊の行列を、にぎやかさだけで以て追いかけているせいだ。
怒号と悲鳴に慌ててそちらに踵を返しても、凄惨だけが残された現場に行き当たるだけ。
森でなら、草分けの痕や小枝を踏み折る音で、野兎を追跡できる熟練の狩人である。
けれど、街中では勝手が違う。
根を踏まれて倒れる藪もないし、不自然な音を際立たせるリズムある自然の声も同じく。
なので、頼りは『目の良い』古い友人と、
「オジサン! ギルド長から、これ!」
「おう、アイちゃん! 助かったよう!」
彼から便りを預かって走ってきた、相棒の健脚なのだ。
※
アイが運んできた木片には、魔王とそれを追う衛兵隊の進路予測が刻まれていた。
その内容は、ユーイが走ったここまでの経路を正確に言い当ててあるから、信用を傾けられる。
状況を見通す観察力を、見下ろす太陽になぞらえられた男からの便りだ。
「すご……ギルド長って、未来予知できるの?」
「あくまで、個人の狭い範疇での観察眼さあ」
並んで走るアイの感嘆を、ユーイは鼻で笑う。
昔にさんざ見た力だ。
時にぴたりと読み当てて状況を好転させたし、またある時は読み違いから敵陣で包囲されるなんてひどい目にも合ってきた。
「だいたいよう、未来が見えるってなら食い逃げとか家賃滞納とかしないだろうさあ」
「そう……ね。確かに」
「まあ、その力のせいでしばしば逃げ切っちまうしよう……店主とか、俺らに怒鳴り込んできたんだぜ?」
「ええ……」
穴や欠落はあるが、それでも図抜けた特技には違いがない。
角を抜けると、一団の最後尾が遠くに見えた。
直線は加速が許される。
靴底を石畳に食い込ませ、追いすがっていく。
「汲んできた水が……!」
「衛兵が! うちの軒先を……!」
「二日酔いが酷いってのに……!」
泣き崩れる男、転がる水桶、崩れる荷置き場、転がる商品……
そんな魔王の所業を、風景として後ろに流しやりながら。
「オジサン! 追いつくわ!」
「おうさあ。タイミングみて、前に回り込むよう」
「うん! けどさ!」
「なんだ? 調子悪いなら、俺一人で良いよう?」
「そうじゃないくてね! なんで、ルナを追っかけているの?」
※
アイは、最初からずっと不思議だったのだ。
起きたら、狭いベッドで折り重なっていた褐色肌の美人が姿を消していて。
泡を食って報告に出向いたら、年嵩の二人に振り回されるようにここにいる。
で、どういうわけか、街中で衛兵と追いかけっこをしていて、あちこちに迷惑をかけている様だ。
確かに一晩を共にした人間として、数々の凶行を止めなければ、とは思う。
けれど、ユーイとダンの様子は少々違った。
どこか、悲壮感が漂うのだ。
二手に分かれて、追跡と観察を行う本気度にも。
彼女へ追いつくための手際と速度感にも。
そこまで前のめりになる必要があるのか、と不信を覚えるのだ。
話では、無銭飲食で追いかけられているらしいが、それなら衛兵の捕縛を待つ選択肢だってある。
追跡劇で被害を増やし続けているが、どれも致命的なものではないのだし。
もし、山を穿ち川を逆巻かせると謳う魔王の力で抵抗を始めたとしても、それこそ衛兵の仕事で自分たちが急ぐことではない。
アイの疑問に、ユーイが頬を歪める。
「ダンめ、説明してなかったかよう」
苦い顔で、先行く集団の先頭を顎で指しやると、
「俺たちはな。魔王サマの『口を封じる』ために走っているんだよう」
露骨なほど物騒な一言を、苦く吐き出してきた。
※
「お、追いついたな」
城壁上部にて、ダンクルフが相変わらずの手眼鏡で状況を追いかけていた。
付き従うレヴィルは、困り顔でおずおずと声をかける。
「ええと、先程ぉの……口封じ、ですぅか?」
彼女もまた、棘鋭い語を聞かされ、戸惑いの中にあった。
慣用で読み解けば『秘密に栓をするため命を奪う』の意だ。
動転には十分な害意であり、けれど、男ら二人がそうまでする理由も、彼らの道徳性からも考え付かないことだ。
「どういう意味なんでぇす? 返答次第じゃあ協力はできませぇんよ」
「え? ああ、いや、そのね」
頭を掻いてこちらに向き直る。
いつものような軽い笑顔で、
「魔王さま……ルナちゃんかい? が、私は魔王です! って、衛兵たちの前で叫んだらどうなると思う?」
「……いろいろあって、ペイルアンサ領主さまの胃が爆発しますぅね」
「真偽について頭を悩まし、どちらであろうと、難癖を口端にぶら下げた正神教が騒ぎ出すだろうからね」
「口走る前に口を塞ぐ、ということですぅか?」
「そう。早めに封じないと」
言葉が足らなかったね、と頭を下げる。
続けて、
「『更に』まずいことになる」
魔王宣告による『領主の胃爆破』よりも深刻な状況が『隠れて』いるのだと、固く震える声で告げるのだった。
※
誰もの必死は、唐突に停止を要求された。
追われる者が、
「あれ、今の声はユーイだヨ⁉ アイちゃんも一緒だヨ!」
最後尾で囁かれる声を聞きつけ、脚を止めたのだ。
総勢一〇名程の衛兵たちは、鎧の部分金属部に悲鳴をあげさせながら彼女に倣う。
余すことなく肩を上下させ、口から熱を吐きだしている。
対して追われる側は、満面の笑顔を咲かせて、跳ねるように手を振るほどの余裕。
どうして。こちらは胃液を吐きそうなのに。そっちは。
などと黒い気持ちが膨らんで、視線は自然と刺々しく。
「貴様ら、探索者か!」
そこへ、名を呼ばれた男がいるのだ。どうしても敵意がこもってしまう。
「白と紫……おい、おっさん!」
「すげえな。迷うことなく弱い方に突っかかってきやがったよう」
「まあ、尋問と制圧の基本だしね……」
教育の成果なのかと感心しながら、ユーイは前に出る。
ここまで追ってきた目的は一つだから。
「アイちゃん! 一気に、口を塞いじまうよう!」
「わかったわ!」
動きが止まり、向こうがこちらを認識した現状は、好機であり危機なのだ。
魔王に状況を説明し、爛漫な挙動に枷をはめる好機。
同時、説明に至るまでの僅かな間隙が、致命になりかねない危機。
だから、衛兵の生け垣を分け入って、壮年は鋭く踏み込んでいく。
「おい、待て!」
「くそ、取り押さえろ!」
周りの屈強な兵士たちが、乱暴に捕まえ押さえつけんと、我先に手を伸ばす。
けれど、根の張る森を駆けまわる足は素早く、枝や藪をかわす腰はしなやかだ。
するりするりと身を回し、前へ躍り出ていく。
「ユーイ! どうしたのヨ!」
「こっちのセリフだよう」
呆れながらも、魔王、という一語はぐっとこらえる。
それを封じるのが目的で、彼女の眼前に立つのだから。
近づき、誰にも聞かれぬ声量で名乗ることを戒める理由を説けば、それで事足りる。
踏み込みを一段と鋭くし、あとは遮るものは何もない。
であるが、
「なんなんだ! お前ら、何者だ!」
いかな疾走も、声一つには敵わない。
衛兵から誰何が飛び、魔王が顔を上げる。
まずい、というユーイの悪態より早く、魔王の笑顔がさらに華やいで絶望を謳う。
「私? 私は、魔王! 魔王カルナカンだヨ!」
※
まず初めに、戸惑いが渦巻いた。
次に、疑問が蔓延し。
続けて、疑義が逆巻いた。
誰もがクエスチョンを幾つも並び立てて、顔を見合わせている。
早朝の澄んだ空気が「どういうこと?」という色合いで凍り付いていく。
遅かった。
手を伸ばしたユーイは、無力を嘆いて崩れ落ちそうになるが、
「オジサン、まだよ!」
相棒の声に背を押され、思い返す。
そう、当初の目論見はご破算となった。
であるが、もう一つ。
零れたら破滅が待つ、もう一つの言葉を塞がなければならない。
瞳と足に力を戻せば、待ち構えていたかのように、
「そして、今日から探索者になるのヨ!」
最後の希望すら打ち砕かれてしまった。
※
彼女が探索者ギルドの名を出したことで、捜査の目が向く。
捜査されれば、目立つ為りだ。昨晩にギルドでの悶着も知られるだろう。
そうなれば、関係ないとの言い逃れも難しくなり、
「補償とか倍賞とか、こっち持ちになっちまうんだよ!」
「ええ……ギルド長さぁん……それは仕方ないのでぇは……」
「やだやだやだ! 領主の胃が爆発しようが関係ないけど、うちの財布が壊れるのは勘弁してくれ!」
「しっかぁり! 気をしっかり持ってくださぁい!」
「俺たちの……負けだ……さすが魔王だよ……」
「誰か助けてくださぁい! ギルド長の心が限界みたいですぅよ!」
大の大人が、見苦しく泣き喚く事態に。
かくて英雄が一人、魔王の邪な手により、犠牲となってしまったのだった。
されど、惨たらしいまでの悲劇はまだ始まったばかりで。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます