5:祈り、そうしかしようのない絶望に天を仰ぐ

 ペイルアンサは冬と闘う街だ。

 深い雪に負けぬよう、どの建物も積んだ石で基礎を高くし、柱と梁を太くしてある。

 城壁内に並ぶ古くからの街並みは、特にその傾向が強い。

 なので、門から続く大通りは家々に見下ろされているようで、訪れた旅人たちが『人の住む森』と揶揄するように針葉樹を思わせる景観にあった。


 季節は春を終えた頃の、時刻は早朝。

 仕事に掛かろうと身支度を整える人々と、彼ら相手に軒先を開ける店々で、活気が緩やかに加速を始める頃だ。

 いつも変わらぬ毎朝の第一歩だが今日は、熱ある静けさが剣呑な喧騒に押し込まれている。

 出元は、大通りを満面の笑みで駆け抜けていく異相の女。

 そして、屈強な衛兵の一団が、彼女の尻に続く。


「アハハ! なんで追いかけるのヨ! 競争するヨ⁉」

「違う、止まれ! 食い逃げ犯め!」

「爆発にボヤ騒ぎまで起こしやがって!」

「手練れの魔法使いだ! 密集しないで、囲い込め!」

「くそ! どこから城壁を抜けやがった、異民族め!」


 無力な人々はただ、並々ならぬ事態に心胆を震わせるしかない。


「師匠、すげー格好の女の人が衛兵に!」

「見るな、どうせろくな事になんねぇよ」

「おかあさん! はなび? はなびはもうおわり?」

「あれは違うの。だから、お水を汲みに行こうね?」


 逃走劇の背後でもうもうと立ち上る黒煙を、恐れ、厭いながら。


      ※


 探索者ギルド長たるダンクルフ・ケインは、手眼鏡で城壁内の騒ぎを追跡していた。

 足は、城壁最上部の堅牢な床を踏みつけながら。


「城壁には門番がいて、出入りには身元証明が要る。無論、入退の時間も決められてある。この時間は、まだ開門前だな」


 息をついて、困り顔で傍らに状況を説明する。

 門外に住み着いているギルド関係者には縁遠い話であるが、門の開閉に制限を設けるのは治安の面で当たり前のことである。

 不審者の確保のみならず、危険物に対する臨検など、人手が必要になるからだ。


「え? じゃあ、ルナちゃぁんはどうやって中に入ったんでぇす?」

「ルナちゃん?」

「カルナカンだから、ルナって。本人が……それより、門以外からってことですか、ギルド長?」


 説明を受けて疑問するのは、少女二人。

 弟分と行動を共にしている、アイとレヴィルだ。


「まあ、うん。多分だけどな、空を飛んだんじゃない?」

「あぁ……オジサン、前に言ってたわね……」

「谷底で瀕死だったところに、魔王サマが飛んできたそうですぅね」


 二人して納得を顔にするが、ダンとしてはそれで済まない状況にある。

 つまるところ、本人にその意思はなくとも関破りをしているのだ。自身の権限を無理矢理に行使してまで城壁に上ったのは、その重犯罪者の行方を追うため。


「挙句、無銭飲食に衛兵からの逃亡とかさあ」

「皆さん、殺気だっていますぅね……」

「あれもですよね? あの、煙」

「あっちのボヤは、事実確認が取れてないからノーカンです」


 強引に責任の切り分けを断行し、騒乱が拡大していく様を注視しているのだ。

 追走劇は、コーナーを曲がるたびに壷やら縁台やらが破壊され、その都度追跡の一団が厚みを増していく。

 状況の悪化は、加速度的だ。

 口を歪ませ、肩を落とさざるをえない。

 見かねた同伴者たちが、どうにか糸口はないのかと焦り言葉を作る。


「あ、その、何か手があって、私たちを連れてきたんですよね?」

「そうでぇす! 立ち入り許可なんかでない城壁内部ですぅよ? 考えが……」

「君らの仕事は伝令だよ」


 二人の期待にはそえられず申し訳ないが、事態を解決させる手勢ではない。

 自分自身は、事態を確かめ指示を出す必要があり、この場を動くことができない。なので言葉を届ける人間が必要で、


「あの場に居て、酔い潰れていないのが君らだけだったからなあ」


 それも消去法だ。

 重要だが、本来なら紫カードに頼むような仕事ではない。

 特にレヴィルは、


「そうだ! キセキでどうにかならないの⁉」

「ダメだあ、アイちゃん。根本解決にしろ、伝令にしろ、ペイルアンサの教会憎しはすごいからさ」

「あんまり公でキセキを歌うと、街に居られなくなるかも、ですぅよ」


 力ある歌声という、絶大だが目立つ技術のせいで、能力を半分封じられたようなもの。

 必要に迫られ、適材適所といかない現状なのだ。


「とはいえ、このままじゃあ……あ。ルナちゃん、いまおうちの壁に突っ込みましたぁよ」

「無傷で反対から出てきたなあ……」

「ギルド長、これ見てるだけだとヤバくない?」


 わかっているし、打開策もある。

 足裏に揺れを覚え、追うように重く軋む音が響いた。

 開門の時刻となったようだ。


「門さえあけば、ギルド証で出入りできるよう話をつけてある」


 それは、まるで矢の如く。

 門があげる起き抜けのあくびが終わるのを待ちもせず、身一つの隙間を縫って駆け出していく。

 背には、弦を外したままの大弓を担いで。


「オジサン!」

「なるほぉど! ルナちゃぁん、おじさぁまになついていますからぁね」


 彼女らの嬌声に、計画はその通りだと頷く。

 けれど、不安と懸念は唸りを上げる。


「向こうもテンション上がってるから、素直に話を聞いてくれりゃあ御の字だな」

「え?」

「もしダメだったら、力づくでも城壁外に誘引するのさ」

「誘引……そんな、大型獣みたいな……」


 不見識から出てきた感想は当然だ。実際、ダン自身も『山みたいなもん』というユーイの言葉でしか、脅威を認識していない。

 取り出した木片に数語を走り書き、アイへ手渡す。


「ルナちゃんの今現在地と、進路方向の予測だ。ユウ坊に届けてくれ」

「あ、はい。伝令ですね?」


 鎧を着ていない後ろ姿を跳ねさせながら、彼女は消えていった。

 残るもう一人がじっと、こちらを覗き込んでくる。

 聖職者であるためか、人の感情を読み取るに長けた少女だ。


「何かついてるかな、レヴィルちゃん」

「いいえでぇす。けど、手を打ったにしては、希望がない色でしたのぉで……」


 なるほど、確かに胸の内を読み取ってくる。

 言う通り『最悪』が控えているのだ。

 状況を指揮する者として、組織の代表として、考慮しなければならない事態。


「一歩間違えば、ペイルアンサが燃えるか、ギルドが飛ぶか、両方か、ってとこだからさ」

「え? ルナちゃぁんが、ですか? さすがにそこまでは……」

「ああ。魔王さまが力を振るう、とかの話じゃなくてな……」


 言葉が足らない自覚はある。けれど、理解には厚みある言葉が必要だ。

 そして、その時間が惜しい。

 だから、不思議顔をするレヴィルへは後での説明を約束するに留めて、


「ま、あいつが上手い事やってくれるのを祈るしかないんだよ」


 うそぶくように肩を上下させると、事態の注視という重大事に意識を戻していく。

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