10:歩んだあらゆるを、指につがえて
日が朝を告げ、ペイルアンサを照らす。
街を、平野を、そして大森林を。
時刻は目覚めの頃合いを告げて、だけれども、街の外周では誰も眠気に瞳を歪めてはいない。
爛々と、恐々と、彼方の森の、その奥を見つめていた。
共に響く、尋常ならざる地響きと破砕の音を聞きながら。
「なにが、起きているんですか……?」
街と自然の境界には、異常事態を察していた探索者たちが集まる。
その中に、徹夜にくたびれた制服のままであるガンジェもいた。
疲れに隈を濃くしながらも、予見しえない轟音に目を恐怖に塗りながら。
「おじさま、ですぅね……何事かはわかりかねますけぇど」
並ぶレヴィルも、首を傾げて心配げに。
※
二人が事務所を出て野次馬の群れに入り込んだのは、フェグマンの部下を名乗る伝令が駆けこんだためだ。
曰く『ギルド幹部ら』はその役割を終えて、ペイルアンサに向かっている。
加えて、数名が負傷、特にギルド長ダンクルフ・ケインが重傷のため、医療班を用意するように。
聞きようによっては凱旋の報である。
ギルドホールは沸きたち、すぐさま医者の手配と『キセキ使い』たるレヴィルへの協力を要請。
その統括にガンジェが名乗り出て、郊外にて受け入れ準備を進めていたのだ。
しかし、吉報をもたらした男は浮かない顔で、凶報をもたらしていた。
ユウィルト・ベンジは一人、可能な限りの亜竜を引き連れ森奥を目指している、と。
続けて、アーイントら対野盗で出立した戦力も、予断の効かない状況に解散することができず、各所を散会して警邏にあたっているとか。
つまり、状況は集束していない。
夜明けによって、教会の手先となった野盗らは動きを鈍らせるだろうが、探索者にとって開拓の背を預ける村が焼かれることは許されざることだ。
特に、単身で、巨魁を数多に引き受けた男が、森を奔っているとなればなおさら。
幹部らの帰還は、初めての好転である。
であるが、勝利に至ったわけではない。
彼が己で定めた任を達し、その上で帰還を果たすことで、ようやく勝利なのだから。
「ユウィルトさん、大丈夫でしょうか……」
「責任、感じちゃいますよぉね……軽い気持ちで発行した上級上位のギルド証が、まさか呼び水になるなんてぇ」
果たして、本当のところはわからない。
深い意味もなく、報いるために用意した最奥への通行手形によって、亜竜らの誘引を決意したものなのか。
思い上がりだ、と囁く自分もいる。
あんな紙切れがなくたって、あの人は同じ決断を下しただろう、と。そして、達せられるだけの実力があり、自ら確信をしているだろう、と。
だから、この手でサインなどしていなくても、結論は変わらなかったのだ、と。
けれど、とギルドの窓口業務員は覚悟を括る。
「あの人に万一があったなら、私の責任です。生じる怒りも悲しみも恨みも、私が引き受けます。無論、魔王領のものだって」
「ガンさん……それはやりすぎですぅよ」
「実力を見誤ってギルド証を発行した落ち度ですから」
これくらいのことは、しなければ、できなければ。
なんのために、安全な場所で椅子を暖めているのか。
握る拳に、力がこもる。
と、周囲がにわかに活気づく。
見れば、街道をこちらに向かう馬の群れが。
どうやら、幹部らの帰還のようだ。
野次馬を下がらせ、待機していた受け入れ状態を展開しなければならない。
仕事に向かおうと踏み出せば、ふと、手を握られる。
温もりに驚き、目を向ければ、レヴィルがこちらの拳を包むように。
「ガンさんがそうまで言うなら、お祈りしませんとでぇす」
「え?」
「おじさまが、無事に帰られるように、ねぇ」
笑う聖職者に、強張るガンジェの拳は緩んでいく。
今は待つしかなく、であれば信じていたほうが良いのだと教えられた気がして。
※
楽観など微塵もない。
けれども、ユーイは口端の笑いを絶やさずに森を駆ける。
背後からは、合計で七匹の亜竜がこの身を食いちぎらんと追いすがっていた。
木々を蹴る腹の音が、時折地に着く足が立てる重量の音が、怒りに任せた怒りの声音が。
あらゆる脅威が音の形をとって、朝の森に響き、迫る。
ユーイが目指すのは、森の奥。さらに、その向こう。
魔王領だ。
北方特使とは迂遠で大仰な『役職』であるが、ようは北限の街のさらに北への使者という意味だろう。
なら、魔王領への出入りを公的に保証されているということ。
違ったら知らん。ダンクルフが困るだけだ。ちょっとは困っておけ、あのバカは。知っていたくせに黙っていて。白カードぶら下げたこっちを笑っていやがった報いだバカ。
報復計画は後にして、成すべきを果たさなければならない。
ユーイは走る。アイから受け取ったカバンを揺らしながら。
進むにつれて深くなる草を、藪を、木の根の凹凸を、葉の暗がりを。
既に矢が尽きて久しく、ついさっきに大弓の弦も千切れ飛んだ。
今は背におさめ、つかず離れず誘引を続けている。
幸いなことに、亜竜たちは個の敵意を群れのそれと合一したようで、一匹も逸れることなくユーイをぼろきれにせしめんと迫っていた。
得手とする弓を失い、巨大な怪物の群れに追われようとも、
「へっへ。楽しくなってきたなあ」
この態で今があり、であるならこの態のままで行くのだ。
だから、男は、やはり笑みを絶やしはしない。
※
深い木々の間から覗く日が、高く見える。
昼前であろうか。
さすがに目眩を覚え、手足が重く感じられる。
けれども、もう間もなくなのだ。
ユーイは、高まる体温を汗に逃がしながら、先を見据えて笑みを深める。
視線の先は、木々の切れ間。
「ようし、終着だ」
最後の一押しとでも言うように、速度を上げた。
背の高い下生えを頬に掠めながら、駆け出す。
飛び込んだ先に広がるのは、
「おう、キレイな青空じゃないかよう」
冬の曇りに溜まった鬱憤を晴らすかのような、春の晴天だった。
大森林において空を臨むことができる場所には、条件がある。
様々な条項があるけれども、例外なく満たすべきは『木々が頭上にない』こと。
つまり、ユーイが辿り着き、脅威の軍勢を誘引してきた先は、
「へっへっへ。その速度で止まれるもんか」
切り立った、広大な崖であった。
※
彼の知る由ではないがその崖は、亜竜たちが発見された当初のコロニー跡である。
けれども、魔王領で活躍していた時期に地理を把握していたユーイは、彼らをこの谷底に叩き落とすことを目論んだ次第である。
いかに頑丈な体を持とうとも、大質量で崖下に叩きつけられてはひとたまりもあるまい。狩りきることができないまでも弱らせることは可能だろうし、魔王領側のこの地点であれば手際のわかっている魔族の正規軍を期待できる、という打算もあった。
何もかも、ギルドから届けられた『証』とそれに伴う『欠席裁判』で割り当てられた役職名から発案である。
「ガンちゃんさんには感謝しないとなあ」
足裏で急ブレーキに地面を抉り、頑丈な木の枝を捕まえてさらに減速。
全速で追う足の生えた大蛇は、突然に消えた獲物を探す間もなく、押しとどめられない自身の体を中空に投げ出していく。
次々に次々に。
身をくねらせ、己が身の危機を悟れないまま、大地が割れんばかりの轟音をまきたて叩きつけられていく。
計六匹が運命を共にし、
「……一匹足り……っと!」
残りの一匹が、ユーイめがけて飛び出してきた。
「お前、鈍足かよう!」
幸いに、一歩遅れて様子を見ていたわけでなく、ただただ足の遅い個体だったようだ。
先駆けたちと同じく、速度を落とせないまま崖へ飛び出していった。
道中にいた、ユーイの腰に食いついたままに。
※
浮き、それから落下が始まった。
己の下半身をくわえこんだ亜竜は、その気になれば一瞬で腰を噛み砕ける。
けれども、混乱の最中にあるためか。
一息に噛み千切ることはなく、オロオロと体をくねらせるばかり。
覚悟をし、しかし不発で終わったユーイは、噴き出す冷汗に背を奮わせた。
「おいおい、なんでか生きているぜ」
呆れた声で小さく祝うが、このままでは遠からず祝辞も取り消しになる。
諸共に崖下の河原に叩きつけられてしまっては、この身の終わりは変わらないのだから。さらには衝撃で亜竜の口が閉じられれば、結局は胴が泣き別れである。
暑さゆえか危機ゆえか、額に浮く汗が上天に巻きあげられ、否が応でもその速度を知らしめてくる。
猶予はない。
亜竜の拘束を脱し、高高度からの落下衝撃を軽減する。
できなければ、その後は知る由もなし、だ。
「なにかないかよう……!」
矢は尽き、弓の弦は切れた。腰の短弓は生きているが、亜竜の口の中だ。
縋るように、託されたカバンをまさぐれば、手にあたるのはナイフの柄。
酒場でくだを巻いていた英雄がくれた、業物の短刀である。
「……分は悪いが、ベットが命なら安いもんさな」
笑い、窮地に伸びた頼りない蜘蛛の糸を掴み、引きずり出すのだった。
※
男は、弓を引き絞る。
尽きた矢の代わりは、貰い物の短刀で。
千切れた弦は、貰ったばかりのギルド証で乱雑に結び付けて繋ぎ止め。それでも足りなくて、魔王から拝領した『通行手形を謳うお手製のへたくそな首飾り』をつぎ足して。
賭けであった。
矢軸もグリップもないただの弾丸として打ち放つことになるものの、牙を射ぬく自信はある。ナイフの強度を見れば、叩き折ることも出来よう。
しかし、それは十分に弓を引き絞れたならば、だ。
そして、彼は賭けに勝った。
張り詰める弦は、応急処置の異物があっても十全に機能をしている。時折、弦が逃げるように伸びるため、一矢限りであろう。
が、その一矢で充分である。
「へへ。こいつはとっておきさあ」
地面は間もなく。
落ちる風切りの変化を耳で応えつつ、ユーイは一擲を見舞った。
瓦解した弦より、ギルド証と牙と黒石で彩られた首飾りが四散し、散らばり躍る。
その先で、刃は確かに、亜竜の大牙を叩き割った。
断ち折れる拘束から、男は自由を勝ち取り、
「ま、どうにかなるさ」
笑う。
誇らしげに満足げに。
大地に叩きつけられるその時まで、絶やすことは無いままに。
※
七つ目の轟音が、谷底に、森に、響き渡った。
誰の耳にも届かない、事態収束の号砲。
誰の、元にも届かない。
つまり『北方特使』ユウィルト・ベンジによる報告がなされず。幾日が過ぎようとも、彼はペイルアンサへ戻らなかったのだった。
第五章 了
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