9:なにもかもを携え、森を往く
薄明りが木々の間からこぼれ落ちて、森の底を照らし始めた。
「朝かあ」
陽だまりに僅かな注意を向けて、ダンクルフは大きく息を吐き捨てた。
混じる疲労は濃く深く、血の香りもわずかに混じる。
言葉の通り、長い夜が明けた。
けれども、日の出から温もりの分け前をいただく動物たちが、今日ばかりは気配も見せない。
疑問の答えは明白。
「バケモンが猛って暴れてりゃあなあ」
木々の間を泳ぎかま首をもたげる亜竜の、大口から迸る怒号に委縮しているのだ。
一声発するだけで枝が打ち折れるほどの圧力と向かい合い、ギルド長は困ったように口の端を持ち上げる。
「相方がやられて、怒り心頭かい?」
背後を切っ先で差しやれば、力なく横たわる手足を垂らした大蛇の姿が。
首下を大きく切り開かれ、動脈を破いたのか血の海を作り。その身を沈めていた。
黄色かかったあちこちが打ち据えられた鎧も、薄い朱で濡れそぼる。
返り血であり、つまり、彼が加害者なのだ。
「そりゃあない。揃って俺の心臓を狙っておいてよ。勝手がすぎるぜ」
生来の軽さを決して違えぬ覚悟で、亜竜へ向けても言葉を重ねていく。
こうしてきたのだから、こうして進んでいくのだ。
疲労は限界にあり、揺れる膝は立っていることすら労力を求める。
噛み砕かれたガントレットから露出した生身の左手は、すでに自由が利かない。
目は霞み、耳は遠く、肺は破れんばかり。
満身創痍で、今すぐにだって逃げ帰ってベッドに沈んでしまいたい。
だけども。
この身は探索者であり、探索者をまとめる頭領なのだ。
「おうよ、かかってこい。綺麗なツラのまま、縄張りを広げられると思うなよ?」
だから、受けざるをえない。
怒り任せで這いよる、胴を抉り千切り飛ばさんとする大牙の噛みつきだろうとも。
※
風を荒く切り、亜竜が迫る。
木々を腹横で蹴る、これまでさんざんに見せられた瞬発である。
狙いは胴。少しばかり頭を傾けての突撃だ。
これまでならば、前進に合わせて牙を打ち払いながら飛びのき、進路変更と回避を成功させていた。
であるが、事を成すに、すでに腕も足も疲れの極点にある。
なので、取るべきは次善策だ。
剣を、切っ先を下に立てて突き出し、重心を落とす。
進む敵は、目論見を果たそうと、大口を開けて加速前進。
すわ食いつくか、という距離に置いて、
「まあ、さんざ見せられたら、見切りもするぜ」
剣が、左右の二本牙を受け止めた。
刀身の長さが牙の間隔より長いために、二点を押さえることで突進の力を分散させたのだ。
けれども、
「おいおいおい!」
止められたままに突進は止まらず。
ギルドの長を務める伝説的な剣の使い手は、押し負け、朝日こぼれる森にその身を舞わせることになってしまった。
※
常であれば踏みこたえたであろうが、すでに力の入らない部位があちこちにある。
重心操作は適わず、純粋な質量勝負となってしまった。
そうなれば、もはや勝ち目はない。
宙を舞い木々に打ち据えられ、敷かれた落ち葉の絨毯に転がり落ちる。
冬を越えたばかりの湿った土の臭いが立ち上り、血に詰まる鼻にまで刺さってきた。
「……くっそう……」
胸骨がやられたか、発声すらつらい。
立ち上がろうと膝を折るが、太ももが立てることを悲鳴をあげて拒む。二の腕から肩の筋肉も同じだ。
身動きができないまま、のそりと這いよる巨体を見上げるしかない。
「は。まさか、こんなとこで一人でお陀仏とはなあ」
打てる手は一つ。
「こいよ。こいこい。いいさ、釣り餌になってやる」
自ら動けないのならば、接近をしてもらうしかなく。
「教訓通りさ。半身を食いちぎられても、その顔面に御馳走してやらないとな」
命と引き換えに『人里へ接近するリスク』を叩きこんでやらなければならない。
探索者は、死の間際まで『泣き叫ぶ』暇などないのだ。
血の溢れる口元を笑みに作ると、壮年は剣を握る右手に力を込めなおす。
大口が開かれ、迫る。
だから覚悟を深め、その瞬間を見逃さない。
が、亜竜が動きを止めた。
怪訝に様子を伺えば、
「石?」
鱗に覆われる頑強な横面に、石つぶてが見舞われていた。
※
一度、二度、と続いて続々と。
亜竜にとって、取るに足らない衝突である。それでも気分に障ったか、顔を上げて投擲の先を見やる。
ダンクルフも同じ。
こちらが結んだ覚悟を緩めようとするのは、何者か。
少々怒り気味で、敵の視線を追いかければ、
「なんだあ、ダンよう! デカブツ相手に寝っ転がるなんざ、ずいぶん余裕じゃねぇか!」
弓を構えるかつての同僚が、木々の間を縫い、走り寄っていた。
なぜ、が幾つも重なる。
なぜ、ここに? 他の現場はいいのか?
なぜ、弓を? 撃ち込んでいたのは石つぶてではなかったか?
なぜ、後ろへ撃ち込む? 森の奥、暗がりの先に何がいる?
なぜ、その暗がりから亜竜の咆哮が聞こえる? それも幾重にも。
けれども、彼の胸で翻る赤色の、かつて徒党の色とした赤に塗れた紙片が躍るのを見て、ああ、と息を漏らす。
「ちょいと最深部まで行ってくる! あいつらを連れてよう!」
言うと、彼を追うように亜竜の一匹が顔を覗かせ、続いて二匹が横合いから躍り出た。さらに、一匹が遅れまいと追いすがってくる。
どれも怒り狂ったように身をくねらせ、壮年の背を一飲みにしようと追い迫っていた。
なるほど、と納得がある。
つまり、石つぶてでもって、亜竜の群れを『誘引』しているのだ。
それも、森の最深部、彼らが本来あるべき領域へと。
では、その方法は? 本来なら得意の弓矢を使うだろうに。
答えは単純である。
矢種が尽きたのだろう。
走り転がり翻るユーイが、時折に弦を鳴らしては、石つぶてを亜竜に浴びせかけていく。
見れば、指に広い革を纏って、腰袋から取り出した石を摘まむ程度に軽く巻き、革ごとつがえる。
引き絞られた弓は、つまり、急ごしらえの投石具となっているのだ。
「バカかよ……すぐに弦がダメになっちまうじゃんか」
思わず笑ってしまう。
やはり、当代きっての弓の使い手だ、と。矢が尽きたところで戦意は曲がらず、おそらくは弓が折れてもどうにかするだろう。
「ダン! 他の連中のも釣ってあるからよう! まとめてペイルアンサに戻って事後策をとれ!」
つまり、適材適所だと。
森の中で野生生物を相手取るなら『十一の爪先』が一人、『指飛ばし』のユウィルト・ベンジに任せろ、と彼は言うのだ。
事実、眼前に迫った大牙は、執拗な石のつぶてによって、向きを変えている。
ユーイの背は、森の奥へ奥へと消えていく。
彼の舞につられて、身をくねらせる亜竜たちも続き進む。
地を叩き、枝を打ち、怒号を巻きあげながら。
残ったダンクルフは、体から緊張を逃がし、思わず笑ってしまう。
まるで、往時のごとくだ。
楽し気に語る姿は、あの輝かしい日々の頃と変わらない。
森を奔り弓を構える少年は、あの時のままなのだな、と。
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