8:長くとも短くとも、太くとも細くとも、歩んだ道には違いないから
状況は、維持し続けていた。
亜竜はギルド幹部らによって未だ人里に姿を現しておらず、同時多発した野盗らの襲撃もどうにか撃退に成功している。
夜空が朝に向かうにつれ、けれども悪転に任せてはいない。
されど、状況は維持されている、だ。
好転、朗報はもたらされず、動き走り回る額の汗もぬぐえぬままに。
「オジサン……! どこ行ったのよ!」
ハダス方面に馬を走らせるアーイントは、その貴族然とした美貌を煤に汚して、しかし捨て置くことしかできず。
ユーイに遅れて、『先駆ける足』の幹部らとペイルアンサを出立した彼女が見たのは、燃える村であった。
略奪収奪を目的とした攻撃でない。
集落を壊滅させるための悪意を目の当たりにしたのだ。
救出、消火、迎撃の三手を、村人たちの助力を得てこなしていく。ついに追い払うことに成功し、追撃に移ろうかと備えたが、負傷者や行方不明者の対応に追われ、諦めざるをえず。
そこへ、ハダスより村人を先導する赤毛熊が合流し、悪漢らは残らず捕縛することに成功したのだ。
一心地ついて、アイは疑問を抱き、
「『指飛ばし』なら、一人残った」
問えば、赤毛熊はバツの悪そうな顔で、壮年の無謀を教えてくれた。
聞けば、空っぽの村を亜竜から守るため単身で残った、のだとか。
すぐさま、アイは駆け出した。
以後の対応や、処理について、何もかもを同行者たちに甘えるよう投げ出して。
だから、彼女は一人、耳に痛いほどの静寂を満たす夜の闇に、蹄で割り砕くよう進んでいた。
※
蹄が急ぎ闊歩する静寂。
そんな独壇場を、奪わんとでもするように雄叫びが響き渡る。
「森から……⁉」
腹を抉り、頭を揺する、太く低い、長々とした咆哮だ。
思わず手綱を引いたアイには、聞き覚えがある。
オオアシハイヘビの絶叫だ。
聞いたのはついこの間。間違うはずもない。
そして、
「オジサン……!」
亜竜と対峙するために残ったという同僚もまた、そこにいるはずなのだ。
幹と幹、枝と枝、葉と葉、あらゆる隙間に夜を流し込み、人の足どころか視線までも立ち入ることを拒むかのような、森の奥に。
アイは立ち竦んでしまう。
暗闇に踏み入っていくのか、と。
ただ一人で、前に進むのか、と
踏み越え怪物と対峙するか、と。
そんな恐ろしい戦場に、あの人は一人赴き、弓矢を振るっているのか、と。
この胸を震わせる『恐れ』は、いったい何に向けられたものか。
はっきりとなんかわからない。
ただ、そんな怯える己を打撃するように、亜竜は天を揺すらんばかりの咆哮を幾度となく喚き散らしていく。
身動きができないまま、気が付けば雄叫びは響くことがなくなっていた。
いずれ、決着はついたのだろう。
威嚇する相手がいなければ声を上げる必要はなく、逆であればなおのことなのだから。
見つめる先で、森の葉が揺れる。
枝を掻き分け森を這い出るのは、
「オジサン!」
「ああ? なんだアイちゃん、どうし……おう! 助走をつけて抱き着くな! 板金の塊なんだから、腰が折れちまうよう!」
藍を薄く引いた東の空。薄暗がりの下に、ユウィルト・ベントが現れたのだった。
※
「前に遭遇したろ? あのとき、魔族の奴らが腹にハンマー叩きこんでいるのを見てよう。どうにかなったが、矢を打ち尽くしてようやくさ」
疲労困憊、という風に腰を下ろしたユーイが、水筒から水を被る。
まだ気温は寒いくらいだが、それほどに体温が上がっているのだろう。
彼の何という事もない口調で語られる顛末に、アイは目を丸くしてしまう。
彼が嘘を吐くとは思ってもいないが、単騎で亜竜を、それも点を貫く弓矢とは相性がすこぶる悪い相手を討ち果たしたのだとか。
「他はどうだい? 亜竜は……まあ、報告の余裕はないか。村はどうなった?」
「一緒に来た『先駆ける足』と赤毛熊が手を分けて動いているわ。軍もそろそろじゃないかしら」
「思ったより早いな。これなら、まあ、あのいけ好かない司教さまの顔に泥を塗れるってもんだ」
疲れは濃いが、それも『手慣れた』顔色で冗談に笑って見せた。
少しの休憩で体力を戻したのか、
「ようし、次に行くか」
立ち上がり、戦場へ目指すべく肩を回してみせる。
アイは、唖然となる。すぐに怒りに転化してしまったが。
今しがた、強靭無比、自らの何倍にもなる難敵に勝利したというのに、次、だと?
「なに言ってるの! オジサンの仕事は終わりでしょ! ボロボロで、矢も撃ち尽くしたんだし、もう無理よ!」
だから自分たちに任せろ、と。
教会の走狗となった悪漢たちも、本能に従って版図を広げんとする亜竜たちも、他の人間に任せるべきなのだ、と。
けれども。
「へ。探索者だからな、この身が千切れ飛んでも、開拓の後退は認められんさあ」
なんのことはなし、と軽く笑って返されてしまう。
ああ、ああ。
これが探索者なのか。
ギルドが再始動するより前に森を切り拓いていた、本物の姿なのか。
人の領域を広げるために、自然に立ち向かい、歯を食いしばっていた人間なのか。
アイは納得を得てしまった。
それはつまり『彼』は決して翻ることなく、身を命を削ることを是とするのだ、と。
※
「オジサン、これ。ガンさんから、手渡すようにお願いされたの」
そう言って少女が取り出したのは、一枚の赤いカード。
二本の黒線が引かれた、ギルドが管理しうる最高峰の証。
ゼンバ大森林の最深部を越え、魔王領との緩衝地帯への立ち入りの許される通行手形。
アイは、どうしてガンジェがこれを託したのかはわからない。
ガンジェ自身も『役に立つものではありませんが』と、言葉を添えていた。
けれども頼まれたのだ。
ギルドの長が『切り札』であると判じ、魔王領への特使であると本人にすら秘された役割を持っているのだと、伝えてくれるように、と。
「あと『北方特使』がどうとか……正直、意味がわからないんだけどさ、ガンさんなりに、オジサンが森に入る合法性を用意してくれたんじゃないかな」
受け取る彼は、けれど、というか、やはり、というか、首を傾げる。
「気持ちはありがたいがなあ。今更最深部に入ってよし、とか言われてもよう」
困った顔で、カードの表裏をめくり見やる。
そうよね、と嘆息。
ただの、組織内におけるルールを形にしたものだ。この緊急事態に、それも元来ルールの外にいた彼に、どんな益徳があるものか。
一挙に全てを解決に導く、そんな魔法の巻物などではない。
ないのだけれども、
「……北方特使か……そうか、そうさな……ああ、そうだ」
壮年の目は、疲労の濁りをついぞ消し去り、朝日に輝き始めていた。
まるで、手痛いほどの悪戯を思いついた、小僧のごとく。
※
ユーイが。
仕方なしと腰を持ち上げていた彼が、いまやイキイキと森へと踏み入ろうとしていた。
何事か、と呆然と見つめていると、
「じゃあ、アイちゃん! 亜竜は俺らに任せて、村の防衛を頼むよう!」
次善の策をぶん投げて、奥へ奥へと。
「ま、待ってオジサン! これ! 預かってきたのはカードだけじゃないの!」
肩に下げたカバンを投げやり、受け取った感触に首を傾げる彼へ言葉を届ける。
「みんなが、みんながね! オジサンに、って!」
レヴィルからは、疲労を奪うキセキを施した聖印を。
直営酒場からは、パンと干し肉に、少しの酒と。
足を引きずるかつての英雄からは、携えていた業物の短刀。
そして、深夜だというのにどこからか聞きつけた同業者たち、特に彼から助けられた若い探索者たちが、こまごまと役に立つと判じたものを。
彼らは独立独歩である探索者だ。
けれども、感謝を口に、身銭を切り渡してきたのだ。
「へっへっへ。悪い気はしねぇよなあ」
ほんの短い間だというのに、あなたが歩いた道程は広く深かった。周りに咲く、感謝の数を思えば間違いなど無くて。
その証明だ。
笑い、手を挙げ森に消えていく背を見送る。
朝日はすでに顔を覗かせ、されど木々の間を見通すほどではないけれども。
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