7:伏せた札は、けれども輝きが鈍く、そうであっても希望を繋ぐ
ゼンバ大森林の最奥。
空は、名も知らぬ群立する針葉樹の枝々に覆い隠されるために、足元は昏い。
夜であれば、尚更である。
本来ならば人を拒み茂る領域に、木々が圧し折られ、金属の鎧が打ち鳴る、戦いの音が響き渡る。
枯れ落ちた葉で敷かれた柔らかなカーペットに足を沈め、
「どっこいせい!」
探索者ギルドの代表ダンクルフ・ケインは、巨大なオオアシハイヘビの牙を打ち払っていた。
質量を武器とした噛みつきを、頑健な体幹で受け止め、強かな剣戟で殴りつける。
さもすれば一飲みにされかねないサイズ差であるが『十一の爪先』の頭領は、それを許さず、逆撃を見舞う。
結果、亜竜と人類の衝突は、後者に軍配があがる。敗者は、痛打に悲鳴をあげ体を起こすと、森の闇に逃げ隠れていく。
「ああ、くそ! また仕留めきれないぞ!」
一息ついて、太陽眼は毒づき、肩を落とした。
※
亜竜の群れが四散したという報から、戦力を手配はした。
しかし、軍勢というのは準備が容易ではなく、それも各方面に分散するとなればなおさら。その間隙を、単独での戦闘に耐えうる『十一の爪先』の面々が埋めることになる。誰も、組織の幹部であり、探索者としての矜持を踏まえて。
皆、経験が十分であり、各々が隔絶した専門家だ。
地を這う鈍足の亜竜ごときに、遅れを取りはしない。
「負けはせんが、このままじゃあ釘付けだ」
とはいえ、遅れをとらない、というだけ。
強靭な巨体を討ち取るには、手数が不足だ。野生生物の本能が、勝てぬと分かれば躊躇いない撤退策を取るために、瞬間で絶命を勝ち取る必要に迫られる。そして、宵闇より隙を伺い身を潜める。
単騎では、倒しきることが難しい。
「せめて手足の一本でももぎとれば、諦めるかもだけどよ」
相手が一匹であれば、根比べも良いだろう。
けれども散った亜竜は、目算の報告でも十をくだらない。対して、対処に走った英雄の数はたったの六人。
全員が同じように足止めを喰らっていたのでは、間に合わない計算だ。
勝負は、領主に恃む軍隊が間に合うか否か。それも教会の妨害を跳ねのけて、だ。
一合を交わした時に察した。自分たちは、それまでの時間稼ぎなのだ。
汗を拭い、苦い顔で強がりをこぼす。
「探索者冥利に尽きるねえ」
例えば、目の前に伝説のドラゴンが現れたならば。火を噴き、身の丈ほどの爪を持ち、空を往く巨魁だ。
そんな、眼前の亜竜など話にならない絶対の脅威が、敵意を剥いているとする。
されど、諦めることなど許されない。
「腕を持っていかれようが、胴と腰が泣き別れようが、バケモノの横っ面に一撃ぶち込んでやらなきゃならん」
理念を謳う側が果たせずにどうするのか、と。
この際の『バケモノ』は、亜竜ではなく、彼らの群れ。
最初は恐慌であったろうが、今では猛り、己の版図を広げんと人の里まで下りかねない、
そんな本能の企みを、跳ねのけなければならないのだ。
だから、願うように求めるように、足りぬ手へ思い馳せる。
「切り札に気付いてくれているかなあ、ガンちゃんは」
出立の矢先に残した鬼手の在り処は、いかばかりか。
果たしてどうであろうと、この場は己の領分だ。
「来たかよ……おいおいおい」
枝の折れる音が近づいたかと思えば、藪を掻き分け、巨躯が双眸をぬめらせた。
それも、二対。
「友達を呼んだのか? それとも奥さんかよ?」
どちらにしろ、これで人手が一つ浮いたな、と肩を落とす。
冷汗のしたたる軽口に応えるよう、亜竜は威嚇の方向を重ねてきた。
※
「詰まるところ、手柄を立てて赦免を計ろうってことか」
赤毛熊こと、フェグマン・ジョルダンの言葉を要約したユーイは、合点の返事をした。
先日のやり取りで、後継者問題で呼びつけた故郷に戻る決心をしたものの、野盗である配下を引き連れたままでは問題があり、さりとて捨て置けば元の木阿弥。
なので、近隣の野盗を討ち果たし、その手柄で以て恩赦を願い、引き連れて凱旋をしようということらしい。
「実績が伴う戦力を持つ、ってのも箔がつくしな」
街道脇で馬を休ませながら、男二人が晴れぬ眉根を突きつけ合う。
十人ほどの部下は松明をかかげて、辺りの警戒を。手慣れた彼らの緊張は、ユーイがもたらした亜竜の報告のためだ。
「しかし、そんなことになっているのか。俺らの縄張りに入り込むのも、とんでもない数の火矢を打ち込んだのも、変な話だとは思っていたが」
「おう。間違いなく、教会から金を受け取った輩さあ。締め上げは任せていいか?」
「急ぐのか?」
「まあなあ。金をバラまくとなったら半端はせんだろ。間違いなく、他の村も同じ状況さあ。少なくとも、出立の段で二か所は聞いている」
次の村へと焦る狩人に、盾の不名誉印を揺らす頭領が一つ、案を提示してきた。
「そいつら……教会の手先は、俺らが受け持つぜ」
「はあ? そりゃあ助かるが……下手すりゃ捲土重来のあとで聖堂騎士団とかち合うぞ?」
「だからだろうが」
口に笑みを。
喜び、満たされる、そんな笑み。であるが、黒々としており、
「ゼンバガンズをこんなにした連中だ。なにより、俺たちが野に忍ぶことになった元凶なんだぜ? どいつもこいつも、腹を煮えたぎらせてるってもんだ」
かつての悪意に報う機会だと。
見れば、見張りをしていたいかにもな荒くれ者たちが、各々、首肯を見せてくる。
「おう、それならギルドに一報は入れてくれ。ペイルアンサ領主の軍も動いているからよう」
「故郷に帰れば、肩を並べる連中だ。ぶつかるのは勘弁だな」
「へっへっへ。よし、じゃあ、俺とあんた、二手に分かれて……っ⁉」
「なんだ、獣の声か!」
街道の北側に広がる大森林。
その見通せぬ奥から、枝をざわめかせ、月を震わせるような咆哮が突き抜けてきた。
皆、肝を縮ませ、頭を下げるなかで、ユーイは聞き覚えがあることを確かめる。
「オオアシハイヘビの雄叫びだよう」
「近いぞ……」
わかっている。わかっているから、
「赤毛熊の旦那。すぐに兵隊をまとめて、隣の村に走ってくれ。ハダスの村人を先導してよう」
「ああ? 竜相手に、お前ひとりでかかるってのか? 避難をしたなら、村は仕方ないだろ」
「俺は探索者だからよう、開拓村は守らないといけないんだ」
取れる手は一つきりなのだ。
※
「レヴィルさん、ここ……」
待機のまま不安にざわめくギルドホールで、ガンジェは小さな驚きを得ていた。
覗き込んでいた聖職者に示すよう、連なる名前の一つに指を指して。
幹部たちが名前と肩書を並べる第一ぺージの最後項。爪先に印字されるのは『北方特使』と簡単な、穿って見れば正体を削り隠すような、簡素な役職名。
ガンジェが聞いたことのない職務欄に並ぶ名前は、
「ベンジ姉弟ですぅか? 個人名じゃないんですぅね……あれ? 待ってくださぁい」
「ええ。そうです。ユウィルトさんの家名はベンジ。それに、お姉さんの墓参りに戻ってきたと」
なんだか怪しい事態であるが、憶測はできる。
レヴィルも悟ったようで、声をひそめる。
「おそらく、魔王領に飛び込んでいったおじさまを、法的に守るためですよぉね。ここから北方といったら、魔王領しかありませんしぃ」
「さらに、教会側の目を少しでもくらませるために、当時すでに逝去していたお姉さんとの連名をとって……戻ったユウィルトさんに伝えなかったのも、隠蔽の一環だったんでしょうね。迂闊でした。私も気がつきませんでしたよ」
ですけぇど、と聖職者は顔を曇らせる。
「これが切り札ですぅか?」
ユウィルトにいてその実力は疑いようもなく、今は己の責務を果たさんと、焼かれんとする開拓村を救うために走っている。
すでに戦力として稼働しているのだ。
「それを伏せた鬼手と言われてぇも、手が増える訳ではないですぅよ」
「ええ。その通りですよね……ギルド長が何を考えているのか……」
分かりようもない。
けれども、職員として果たさなければならない仕事が一つ舞い込んだ。
机から書類を取り出し、自らのサインを走らせる。
ペン先の軽やかさに、レヴィルが不審げな笑顔で覗き込んで来る。
「どうしたんでぇす? なんだか嬉しそうですけれぇど」
「そうですか? いやまあ」
と、机の奥底に手を伸ばすと、
「あの人に不相応な白カードを取り上げられますから」
「ああ! 確かに、おじさまには似合っていませんでしたからぁね」
にっこりと笑って冗談を聞かせながら、黒線の二本が引かれた赤色のカードを取り出して見せるのだった。
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