4:世俗の毒沼が足を取れども
待てと言われて待てるようでは、独立独歩、自己責任で生きている探索者はやっていられない。
「おい、お前ら。こっちは足が効かないんだぞ……上に乗るんじゃねぇ」
「なによ。じゃあ、女の子の上に乗りたいってわけ?」
「あらあ。それならそうと言っていただけれぇば、やぶさかじゃあありませんのぉに」
「……なあ、アーイント。こいつ……」
「遠慮せずに下になってもらえば?」
「くそ……高い絨毯で助かったぜ……」
男女三人は折り重なるように、ある幹部の扉前で隙間を覗き込んでいた。
「レヴィル。あいつ、確かに司教なの?」
「ええ。間違いありませぇん。ゼンバガンズ地方を束ねる司教さまでぇす。私も中央から来た際に挨拶をしていますぅし、私に与えられた『巡回司祭』という役職の行使も、ゼンバガンズではあの方の承認が必要ですかぁら」
本物であるという確証に、アイが思わず唸る。
「本物かあ……にしては、耳が早くない? ギルドが把握するのと同じくらいの時間差で、教会も村の状態を知ったってことでしょ」
「ですぅね。それに、ギルド長の留守を狙って訪れたのも、間違いないですぅし」
「あいつら、金にモノを言わせて、村に密告者を作っているんだよ」
「え? 村人が買収されているってこと?」
驚いて下になる先駆者を見れば、眉根を寄せる顔が。
振り仰いで関係者に目をやれば、諦めのような悲しい目が。
「そういう話は聞いたことがありまぁす……褒められたことじゃあありませぇんが」
「軽蔑に値する、だ。ギルド側が対抗するから、最近じゃますますムキになってやがる」
「対抗? そうなの?」
「ああ。お前らも遭遇したろ、野盗に襲われるって態での伝達訓練を。あれ、村人に漏らさないのは、その密告者を洗い出すため、って目的もあるんだよ」
魔族が来た、となれば恐慌も手伝ってすぐに伝手へ連絡を入れるだろう。そこを取り押さえるわけだ。
「初動を抑えて、作戦後の宴会を終えて本質を知れれば、スパイも自然消滅ってことさ」
「村人だもんね、あてもなく村長に逆らって追放なんてされたくないだろうし」
理に適っている。
そして、話ではこの形を作ったのは、今室内で司教と睨み合う壮年である、という。
「おじさまは、よほど教会がお嫌いなようですぅね」
隙間から漏れ見える光景に、レヴィルが息をついた。
アイも視線を戻せば、両手を広げて肩をすくめる彼の後姿が見えて、
「どうも形勢は不利、だな」
レンフルフの苦い判断に、耳も室内に傾けていく。
※
「時折報告にあがる、野盗まがいのはぐれ魔族とは話が違う。魔王領の住人の侵入だ」
教会が謳う正義はこの通りだ。
地方の脅かす『野盗』は治安維持の責任者たる領主の管轄であり、魔王領にて市民たる『魔族』は教会の管轄だと。
「彼ら『正規の魔族』が停戦の約束に引いた一線を越えたのは紛れもない事実ですよ」
「だから、緊急避難だって言っているだろう。こっちだって、何事かあれば向こうの集落に落ちのびる可能性がある。着の身着のままで逃げてきた連中に、なにが出来るもんかよ」
「そうやって浸透していく手筈なのでは? なにより、今回の発端である亜竜のコロニーは、魔王領にあったものだと言うではありませんか」
お茶を用意しながら、ガンジェはいけない、と冷汗を自覚する。
約定を相手が破った、という一点突破を図る相手に、事情が許さなかった、お互い様だ、と論点をずらすことでしか戦いようがない。
相手の言葉を打ち消すことができないのだ。
これでは、いずれ教会の論陣に押し込まれてしまう。それがわかっているから、本来なら外部交渉を得手とするオルマインが口を動かさないのだろう。
「コロニーの場所はたまたまだろうが。それがこっち側にあって、被害にあった村人が直近の魔族に助けを求めに走れば、それで戦争再開だ、なんて言うつもりかい」
「必要とあれば、ええ」
「こっちが約定を破ったのにかい? 正義は向こうにあるんだぜ?」
「はっは、まさか。正義は常に我が主に、すなわち我らの背中にありますよ。無論、あなたの背中にも」
だから、開戦の引き金が引かれたとしたならば、それは、
「まさに思し召しでしょう。聖なる槌を振りかざせ、と」
寒気が背中を撫でる。
結論として戦争に至ることを目的としているのだ。
そして、その責任は私たちの背中にもあるのだと、押しつけがましく。
身近にいた聖職者はレヴィルしかいなかったために、衝撃は大きい。
こんなにも、ユーイらが蛇蝎のごとく嫌う教会がこんなにも。
悪辣で、独善に酔い、血が森に溢れることを求めるなどと。
見れば、交渉の卓についた二人は、吐き気を堪える顔でしかし、
……言葉を返せない、ですか。
なにを言ったところで『魔族による越境』という約定違反を握られている以上、魔王領への『いずれかの形での攻撃をする』条件は整ってしまったのだ。しかも『野盗扱い』の魔族らについては目をつむっているのだ、と後出しの妥協をテーブルに上げられてしまっては。
ユーイが言葉を重ねるのは、挑発をして、失言か失態を引き出すつもりなのだろう。であるが、不快度のぶつけ合いでは司教の方が数段上手だ。
……であれば、なぜギルド長はユーイさんを残したのです?
口ぶりから、この事態を見通していたのは間違いない。彼の二つ名である『黄金眼』も、その視点の高さからつけられたものだから。
こうまで打開の手を持たない一介のレンジャーを、どうしてテーブルに呼びつけたのか。本来なら、オルマインがいれば事足りる仕事なのだ。
と、ガンジェは、別れ際のダンクルフの言葉を思い起こす。
……お前の徒党と『先駆ける足』を動かさないのは。
名指ししたのは弓に長けた壮年ばかりでなく『彼の徒党』である。彼の交渉能力に期待を寄せていたわけではないのかもしれない、となれば。
「議論は尽きましたかな? なに、今回はこちらで戦力を供出するつもりですから、村々での補給をお願いできれば構いませんよ」
「は、悪名高い聖堂騎士団が地方を焼きに来るのか?」
「聖なる炎は邪悪を許しませんからね。魔族だろうと『魔族と繋がる』人の子であろうと」
「略奪の終わった後で焼かれて、そいつが聖なる炎ってか!」
「でなければ、戦力を用意していただけますか? 前回のように途中で神聖な目的を忘れて厭戦に沈むことがなければいいですけれども」
「どこも、十年前の終戦から立ち直ってなんかいねぇよう! ふざけたことを抜かすな」
「であれば、聖堂騎士団の派兵に賛同いただける、ということで?」
「ああ⁉」
ギルド長が、見通す『黄金眼』が求めたのは、完全に押し負けている彼ではなく、
「失礼いたしまぁす!」
彼と行動を共にする『彼女』であったのだろうと、ガンジェは思い至るのだった。
※
レヴィル・フォンムは孤児であった。
正しくは、物心ついたころには宗教の庇護下で『キセキ』を振るい、それが当たり前であると疑うこと無く育てられていた。
信徒から乞われるまま、教会から言われるまま、神秘の歌声で以て常ならざる帰結を奏で上げる生活である。
内外から聖女と崇められ、世話をしてくれた司祭さまからはいずれ訪れる教会中枢での振る舞いについて施された。
けれども、いつしか疑いを持つに至る。
この、他の誰も持たない力は、どこからくるものなのか。
好奇心は留められず、書物を読み、人伝を聞き、けれども判然としないまま。誰もが「神様から賜ったもの」だとばかりで、少女の疑問を埋めるものではかったのだ。
十二歳の春に中央から招聘された後も、状況は変わらない。
他にもキセキを振るう者たちは多かったが、誰もやはり「そうあるもの」としか答えてくれなかった。
だから、聖女として置物のような二年ばかりを過ごしたのちに、答えを得るため中央を旅立ったのだ。
キセキ使いを集権化の道具とする彼らを欺いてまで。
その詐術のために手に入れた肩書が、
「巡回司祭でぇす。滞在中だけですが、あなたも認めたペイルアンサ周辺の信者を取りまとめる責任者ですぅよ」
つまり『歩く聖堂』であった。
教会を持たない開拓村を多く束ねるペイルアンサにおいて、その身一つで冠婚葬祭の権威と祝意を持ち合わせる、移動する礼拝堂。
決して圧を作らぬ笑みで、顔色を悪く変えた豪奢な法衣に一歩を踏み出す。
「司教さぁま? 私がいる限りですぅが、この近辺における教会の活動は私の承認が必要ではありませぇんか?」
ぐ、と息を呑む音が聞こえる。それでも引く気配を見せないために、一言を。
「手続きを踏まずに越権をするのであれば、中央へ諮りましょうぅか? キセキ使いの巡回司祭の名前を添えぇて」
本当であれば、嫌な言い回しだ。
自らが嫌って抜け出した『政治』の力を振りかざすことは。
けれども事情が許さない。
呆気にとられた間抜け顔でこちらに振り返る、頼れる壮年の顔を見てしまっては。
……いろいろと教えていただいたお礼は、しないといけないですからぁね。
金権のあぶく立つ毒沼に足を踏み入れることになるとしても、なのだ。
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