3:正義が啜る血潮の色味

 かつて、大きな戦争があった。

 人の敵たらんとする魔王を討つべく、神の思し召しに従い正義の槌を振りかざした正神教の徒が立ち上がったのだ。


 強大無比な魔王とその配下は、数多の軍勢にて立ち塞がる。

 志は高くとも手足の数は百に満たない勇者たちは、しかし、旅の中で心強い味方を手に入れる。

 魔王領に接し、その猛威に苦しむゼンバガンズの領主、領民たちだ。


 森に至るまでに、各領主が持つ兵士に商会の私兵、村々から集まった義勇兵、そして独立独歩で森を縄張りとする探索者たち。


 彼らは勇者たちの崇高な目的に共感、感銘したのだ。

 数多の人の助力を得た勇者たちは、


「最前線を地元戦力に任せて、後ろで旗と聖印を振りかざしたとさ、ちゃんちゃん、だ」


 ユーイ、否、事情を知る者たちにとって、唾棄すべき悪鬼であった。

 彼は今、大股でギルドの大階段を上っている。後ろに続くのは、ガンジェのみ。他の三人は酒場で待機だ。


「そんな教会が……確かに、魔王との戦争へ感情面で尾を引く人間が少ないのは不思議でしたが……」

「へーこらしていたここの領主でさえ、嫌っているくらいだからな。持っている『力』が大きすぎて、距離を置くか媚びを売るか、それしかできんのは不憫だよ」


 優しく有能なんて理想とは真逆の、浅薄で傲岸ないけ好かない人間だけれども、その忍耐という一点においてユーイは諸手を挙げて評価している。

 自分であれば、とっくに使者の指を数本『飛ばして』いるだろうから。


「誰もが、教会の持つ道徳性や教育能力、経済力を破綻させるわけにはいかないから、教会に戦争は吹っ掛けないだけだ。代替があればとっくに、ってなもんよ」

「そんな……ペイルアンサの教会勢力が弱いのは、中央から遠い事と魔王領に近いせいだとばかり……」

「人間同士の戦争なら本来、国境に近いほど慰撫策を重ねるもんさあ。遠いからと捨て置けば、敵に寝違えっちまうだろ?」

「そう……ですね。つまり、教会が浸透していないのは、理由がある、と」


 おう、と不機嫌な声を返して、かつてに所属した徒党のモチーフカラーである赤い絨毯を、ずけずけと進んでいく。

 目指すのは、ギルドに唯一残った幹部の執務室。


 古いデザインのドアノブを押し開ければ、


「おや。代表が留守とは聞いていましたが、幹部二人でお迎えとは、大した歓待ぶりですねぇ」


 白を基調とした豪奢な法衣を纏う神官が、ティーカップを片手に出迎えるのだった。


      ※


「おうおう。『太陽眼』の留守を狙って、空き巣にやってきたのかい」

「はっは。偶然ですよ。なにより『指飛ばし』がいたのでは、鉤を描く指が無くなるでしょうに……おっと、今は徒党を抜けていたんでしたか?」

「へ。お前ら程度、下っ端の『白カード』で充分、ってことさあ」


 ユーイにとっても神官にとっても、どちらも面識はない。

 であるが、彼は敵意を隠さず威嚇を警句とし。

 相手は、事情は余さず知っている、と優位を誇示している。

 

 互いに、敵意を抱くのは間違いない、という伏せたカードを突きつけあったのだ。

 きっかけがあれば、お前を破滅させるために手を尽くす、と。


 牽制の差し合いをしてにらみ合うと、部屋の主が緊の張る声をあげた。


「座りなさい、ユウ坊。司教殿も。事を荒立てに来たわけではないでしょう」


 オルマイン・ラダ。

 商会を実家とするも、兄弟との跡取り争いに敗れて探索者に身を落とした経歴を持つ『十一の爪先』に属する、ギルドの幹部である。

 徒党の経済面や補給、商会絡みの事情通として活躍した裏方であるが、その一方、弓矢の才にも恵まれた。かつてのユーイが手ほどきしたことで短弓に限っては一流の域にある。筋肉量から大型の弓は扱えなかったが。


「オル姐さん、坊やは勘弁してくれよう」

「抗弁は後で聞くわ。とにかく座りなさい」

「ええ、もちろん、オルマインさん。それで、後ろの彼女は? 新しい幹部ですかな?」


 司教の、舐めるような目に囚われたガンジェが、身を固くして、こちらに目を。

 連れてきたのはユーイである。別の意図もあるが、この場では助け舟を出す義務があり、


「熱い討論になるだろうからな。お茶汲みについてきてもらったんだよう」


 目配せをして、仕事を与える。

 ほっとした顔で執務室の奥に用意された水差しに駆け寄ると、支度を開始。その手裁きに、元は下級貴族の出という地金がわかる。


 用意は整って、であれば状況は進む。


「で、いったい何の用事だい、司教様はよう」


 睨むように問えば、相手は涼しい顔でカップを置き、


「魔族が再侵攻している、との訴えがありましてね」


 指を組んで『正義』を訴えてくるのだった。

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