2:此方彼方とも、打算に備えて
その緊急の報せは、かねてよりギルドが敷き、訓練を施してきた伝達網によってもたらされた。
魔王領側との協力で成しえた速伝システムであり、実戦で活用できたことは誇ってしかるべき偉業である。
であるが、夕刻のピーク前となるギルドホールには冷たい緊張が立ち込め、誰も彼も黙りこくる。
普段は地を見ることもない事務員たちが、こぞって血の気を引かせているのだ。
理由は言わずもがな。
極秘として伝えられた報に、代表が思わず大声を出してしまったためだ。
「亜竜の群れが、拡散して人里に降りてきているなんて……」
「幹部の皆さんが慌てて出発したし、本当なのかしら……」
「どこかの村が壊滅したとか……避難民の受け入れ準備はいいのかしら……」
ただ、事務員に伝えられたのはドアから漏れ出たギルド長の大声ばかりで、あとは説明も指示もない。状況から察し、そわそわと懸念を分かち合うばかりだ。
「ガンちゃん、何も聞いてないの?」
「はい……」
伝令を代表へと案内したガンジェ・ベイも、これから訪れる探索者たちの帰還に備えるべき作業を滞らせていた。
亜竜の群れ、というのが聞いた事もない事態であり、脅威を計れない事。
組織から、明確な伝達が未だにないこと。
各々が万夫不当と目される『十一の爪先』の面々、つまりギルドの幹部らが青い顔をして飛び出していったこと。最も、ペイルアンサにいて、即応のできた五人ばかりであるが。
緊迫した状況であるのは伝わる。
けれども程度を把握できず、対応すべき指示もないため、誰も己の席について不安を泡立てさせるばかり。
「あれ、ギルド長⁉ どうしたんです、その恰好!」
鬱々と視野を狭めていたガンジェは、隣席の同僚の声に顔を上げた。
そこには、階段を下りるダンクルフ・ケインの姿が。
が、普段の平服でも、礼典用にあつらえた礼服でもない。
黄の強いクリーム色を塗り広げたハーフプレートに、大振りな鋼の剣を腰に携える。
陽をモチーフとした紋章を肩へ彫り込んだ、現役時代に『太陽眼』と謳われた偉丈夫の完全武装である。
※
壮年は厳しい顔で、サーコートを翻しながら階段を歩き降りてくると、驚く職員に向けて訓戒を示した。
「これから私も現場に入る。皆は、心乱れることなく、職務をまっとうして欲しい」
軽薄な常にない、固い声音だ。一人称からして違っているし。
けれども説明もなしにトップが不在になるというのは、少々穏やかにはなれない。
「ギルド長! なにかあったんですか⁉」
「ガンちゃん。それを調べに行くんだ。だから、正確なことがわかるまでは、ね」
幹部の一人、物品管理と商会交渉を担当する者が残るから、何かあれば彼女の指揮に従うように、と付け加えて。
ガンジェは悟る。
否、彼女ばかりが悟ったわけでない。
誰も、異常事態が現実に進行していることに気が付いてしまった。
気付いて、だけれども、
「何かあればすぐに戻ってください……亜竜の群れなんて、軍隊の仕事ですよ」
英雄を、まさに『そうすると決めた』武力絶倫の傑物を、押しとどめられる者などいない。
彼らはまさしく、今の地位を、今の在り方を『このように』手に入れてきたのだから。
「はっはっは、そうさな。その軍隊を引っ張り出すための調査だ。すぐに戻るさ」
ダンクルフは、鬱々とした影を払うように大きく笑い、安心を振りまくように、装甲に覆われた手を掲げて見せた。
ホールの空気を緩めようという彼なりの一計であったが、
「ダン! どうしたってんだよう!」
「お、オジサン、待ってよ! 狩りを途中で放り出して!」
「おじさま⁉ あの早馬の方、お知り合いだったんでぇす⁉」
初級を示す白カードを揺らす新参の弓使いが、仲間を引き連れてギルドへ飛び込んできたために、目論見は失敗と相成ってしまったのだった。
※
直営酒場を貸し切りにして、かつての盟友は互いにジョッキを煽る。
「だから、リョアネスの野郎が青い顔してすっ飛んでいったのか」
「リョアネスって狩場の管理をしている幹部か?」
「あいつだけじゃない。すぐに動けるのは全員が走っているぜ。数の不明な亜竜が、あちこちに分かれて進んでいるらしいからな。当然、魔王領側にも、だ」
「え。ギルド長、それって……」
「不思議でぇす。どうやって魔王領側の情報を知れたんでぇす?」
「一報を伝えたのは、間違いなくこちら側、人間でした。私が対応しましたから」
勝手についてきた少女二人と、いつも通りくだを巻いていた『先駆ける足』代表レンフルフと、ダンクルフの指名で同行したガンジェ・ベイもまた、グラスを手にしてある。仕事を早上がりしてきた探索者はおっさん二人と同じエールで、仕事の残る職員は果実を絞ったジュースである。
「それで、ダン。お前さんも行くのかい?」
「そりゃあな。年は取ったが、まだまだ亜竜ぐらいに引けはとらんさ」
「軍隊を出す事態だろ。領主はどうしたんだ」
「レン君。亜竜たちはゼンバ大森林っていう緩衝地帯を拡散状に進んでいる。そこに軍隊の派遣は」
「……停戦の協定に引っ掛かるってか。けど、ユーイさんがいれば」
「魔王と直接のパイプは、今は意味をなさんよ。全てこっち側の事情なんだから」
「あん? どういう意味……」
「ダン、俺もいくぞう? もとより、俺のせいだしよう」
若者の食い下がりを遮り、彼は表明する。
先日の遭遇戦闘から、近場にコロニーでもあるのでは、という疑いがあったのだ。
いくら単騎無双の亜竜とはいえ、生物である以上、種として存続している以上、付近に別個体がそれなりの数が存在するのは間違いない。
加えて、森の植生が最近になって大きく変わっているという状況。
鑑みて、繁殖期を迎えて数が集中しているのでは、というユーイの憶測であった。
それが見事に当たったようで、調査が藪蛇になった可能性もある。
だから責任があると、かつての仲間たちが動くなら、自分にもその義務があるのだと訴える。
けれども、頭領は首を横に。
「残念だが、ユーイ。お前さん、まだ白カードだろ」
「おい! この際にカードの色なんざ……!」
「おいおい、これでも初級上位。森に入っていい、ってガンちゃんさんにお墨付きをもらったんだぜ?」
「わかっていて言うから質が悪いなあ。緩衝地帯への侵入に必要なランクは、初日に説教済みだって聞いたぞ?」
「へっへっへ。あそこのワイン樽に浸したら赤くならんかなあ」
声ほどには楽しくなさそうに、胸のカードを指ではじいて見せる。
話は決まった、と、ジョッキを空にしたダンクルフが席を立つ。
「ユーイ。お前の徒党と『先駆ける足』を動かさないのにはワケがあってな」
「うん?」
「どうして魔王領の状況がわかったか、って話に繋がる」
「確かに不思議な話でしたけれども、ギルド長。それが、どう……」
首を傾げるガンジェが、強ばるユーイの頬を見逃さない。
何事かと様子を見ていると、
「亜竜がな、すでに魔王領側の村を壊滅させたんだ。その村人が、最も近い人里に非難してきている。緩衝地帯を越えて、な」
一気に苦みを増した。
少女ら二人はともかく、レンフルフもそれが何か、という顔であるが、壮年だけは事態の深刻さを悟ったらしい。
「領主は知っているのか?」
「そりゃあ勿論だ。もし知らなくとも、俺たちには報告の義務がある」
「そりゃあそうだ……不味くないか?」
「だからお前を残すんだよ。いいな?」
「……面倒事をおしつけやがって」
肩を強く叩かれ、ユーイが咳き込む。
ダンクルフが酒場側の入り口に足を向けたので、職員は見送ろうと立ち上がる。
と、彼は耳元に口を寄せて、
「何かあったら、職員名簿を見るんだよ。見るんだ」
「え? 職員名簿?」
「ああ。上から順番に、見落としなく、だ。そこに切り札を隠してある」
「ちょっと、意味が……」
「はっはっは。その時になればわかるさ。じゃあ、体に気をつけるんだよ!」
不明瞭な助言を残して、さっそうと通りに。
待たせてあった愛馬に跨り、辺境へと駆け出していくのだった。
※
「ちょっとオジサン、どういうこと?」
「不味い、って何が不味いんでぇす?」
トップ同士の情報交換が終わり、ようやく、という態で少女二人が問いを詰めてきた。
「ユーイさん、俺にも何がなんだか。そりゃあ越境は良くないが緊急事態だろ? 逆だってあり得る」
二人の抽象的な攻撃を、同席していた青年が疑問の言葉に置き換えてくる。
席に戻るガンジェも同感だ。
そんな若人たちの疑問と懸念を、彼は苦く口元を歪めて、その通りだと肯定を示す。
「現場にとっちゃあ問題じゃない。助け、助けられ、だ。人が引いた勝手な境界なんざ、意味もなく踏みつけて、命を守るべきさあ」
「じゃあ、オジサン……!」
「けどよう『線を引いた奴ら』は、意図があって線を引いているんだ」
「はあ。いやまあ、国境みたいなもんだろうからなあ」
「そんな生易しいもんじゃあない。なあ、レヴィルの嬢ちゃん」
「え? 私ですぅか? えぇとぉ……あ」
「なんです? レヴィルさん、心当たりが?」
「私に振るってことは教会絡みの……つまり『敵と味方を別つ線』だぁと」
ジョッキにつけた口が、暗く吊り上がる。
「戦争したがりが勝手に引いて……」
遮るように、ギルドホールに繋がるドアが乱暴に押し開けられ、職員の一人が飛び込んできた。
「ギルド長はまだ……ああ、もう行ってしまったの⁉」
「ついさきほどに。どうかしましたか?」
「ガンちゃん! 領主さまから遣いが……! 正神教から使者が来たって!」
彼女の言葉に、その場にいた全員がユーイに振り返る。
ゆっくりとジョッキを呑み空かすと、
「戦争再開するためのボーダーラインにしているんだよう」
見たこともない棘に塗れた細める眼差しで、こみ上げる胸焼けを吐き捨てるように呟くのだった。
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