第五章:在りし日は満ちる輝きの中にあって、いま往く先を照らし出すから

1:揺蕩う不穏は幾重にも咆哮し

 ゆるゆると吹く風が、木々の間をのそりと練り歩いていく。


 長かった冬を忘れまじと意固地を張ってはいたものの、昇る日の長さには叶わぬようで、ここしばらくは温かみを増し始めていた


 日の陰るゼンバ大森林の奥であっても同じである。

 歩く者たちの額には汗が浮き、弾む息も熱い。誰も、つい先刻に捧げた陽光への感謝に手の平を返して、もう少しばかり冬の名残を求めながら。


 背嚢を鳴らし、外套を揺らすのは、四人ばかり。

 大まかには人であるが、決して人にあらず。

 頭のない者、手足の多い者、右腕が以上に巨大な者、そして瞳が一つきりの者。


「姫、先生は元気そうだったか?」

「ええ。おかわりなく、壮健かつ強靭でした。亜竜とタイマンを張って怪我をしていたので、神輿にされていましたけども」


 魔族の一団を率いるエイビは、表情を動かさず、先日の再開を噛みしめ応える。

 ユウィルト・ベンジは、野生生物に手を焼いていた魔王領において、狩猟技術と人間領における価値の創生を伝来してくれた英雄である。

 獣害の排除は当然として、少なからず『貨幣』が必要になる場面がある。時に他方との交渉に、一方で娯楽や薬剤といった、こちらでは手に入りにくい物の獲得のため。そんな、閉じて狭い社会に、大きな変革をもたらしてくれた恩人なのだ。


 代表である魔王は勿論、自分達のような戦闘要員も心から慕う、出来人。


「故郷に帰ると言って一か月。すぐに戻るって話だったのによ」

「話じゃ、自分の作ったギルドがデカくなってて、そのルールに引っ掛かったんだろ?」

「笑い話だなあ。ま、もちろん、先生がちゃんと帰ってきたらだけどよ」


 慕うからこそ、不安だったのだ。

 人であるあの方は、やはり人の街に戻ってしまったのか、と。

 けれど、久方に会って話ができて、懸念は拭われている。


「皆さんの言う通り、人の法、それも半ば自らが作ったルールを破るのを良しとしていないようでした。手順を踏んで、大手を振って帰るつもりだとも」


 彼の思惑は、魔王さまにも伝えてある。

 伝えたところ、安心した顔で駄々っ子みたいに「やだやだやだ! じゃあ私もペイルアンサに言って探索者になる!」とか言い出し、宰相のナシスが三日月蛇の切り身を口いっぱいにねじ込んで黙らせるという、悲しい事件が巻き起こってしまった。おいたわしや魔王様……!

 

 ともかく、魔王領に吹き荒んでいた不安の種は解消し、皆が冬の寒さから脱しつつあった。


「で、その先生が言うには、この谷を調べろって?」

「はい。別れ際に、真剣な顔でお願いされました」

「とはいえなあ。もう、結構下ってきたぜ?」


 彼らが森を行くのは、あるものを見つけるためである。

 切りたった谷上を、沿うように西へ西へと歩んでいたのだ。

 山麓から流れる川が地を抉り、時を経て崩れ落ち、そうしてできた大きく長い渓谷だ。果ては大海原に辿り着くであろう下流を、彼らは見下ろしながら進んでいく。

 水が流れるところは人の里が形成されやすく、つまりは、


「このままじゃ、人間領に入っちまう」


 停戦に交わした約定に触れることになるのだ。


「姫さあ。直々に請われたからテンション爆上げなのはわかるけどよう、この先は、先生のギルドに任せた方がいいんじゃないか?」

「爆上りしていません。再会できた時から頂点に入って、降りていないですから」


 皆が「あ、はい」みたいな顔をするのはどうしてか。少し距離を置くのは何故だろうか。


「とにかく、ギリギリまで調査を。引き継ぐにしろ、正確な情報があれば向こうも喜ぶでしょう」


 それはそうだけどさ、と不平がちに一人は口を尖らせる。

 が、その歩みを先行していた一人が手で制した。

 声を出さない警告は、つまり危険な野生生物が存在するということだ。

 誰も、油断なく得物を構えて、腰を落とし、耳を澄ませる。

 けれども、耳に届くのは春に喜ぶ鳥の歌声と、揺れる葉枝のざわめき、谷底の川が流れる音ばかりだ。


「おい、なんだよ」


 不信がって、警句者に文句を垂れれば、相手はこちらを見ずに指を立てる。

 喋るな、と。

 加えて、目を逸らこともできぬ、と。


 エイビは、単眼に警戒を込めて身を乗り出し、彼が見渡す視界を共有する。


 見えるのは、生い茂る葉の隙間にある谷底だ。

 勢いよい川水が見えて、カーブを描いているせいか丸石による河原が形成されている。

 その河原に蠢く影が。


 見間違うはずがない。

 オオアシハイヘビ。


 エイビは、思わず息を呑む。

 単騎であっても、里を一つ潰すに十分な脅威となる亜竜。であるが、眼下にあるのはただ一匹ではない。

 二匹でも、三匹でもない。


 無数、なのだ。

 

 数多の巨体が折り重なり絡まり合い、最初にただの河原であろうと見紛うほどに敷き詰められているのだ。

 

「……先生の言った通りだな。くそ、今年が繁殖期か……!」


 一人が、震える声でつぶやく。


「我々の班が当たりでしたね。山側の班は無駄足ですが、安全です」

「普段は姿を見せない山に現れたオオアシハイヘビ……縄張り争いで押し出されたんだ」

「縄張り争いどころか、メスの取り合いに負けたんだろうな……」


 目的は達せられた。

 誰ともなく仕事の終わりを告げ、早急な帰還を提案してくる。

 代表たるエイビも賛成である。

 いまの装備と人数では、一匹であっても難しい相手なのだから。

 ゆるゆると安全圏まで後退を計り、準備を整える必要がある。整える時間を作る確保し、万全を期する必要がある。


 であるが、


「縞背猪だ!」


 けたたましいいななきが、森に、谷に響いた。

 隠れ獲物を狙う牙獣が、動きを止めたこちらを手頃な犠牲者であると判断したらしく、藪より躍り出て、二本の牙を誇り突き出してくる。


「避けて!」


 エイビの警告は正しく届き、誰もが横跳びに。

 犠牲者を捉えられなかった猪突は、転換のために蹄でブレーキを。

 

 が、


「距離が足りないです!」


 速度は殺しきれないまま、ぱっくりと口を開けた崖を転がり落ちていった。

 憐れな悲鳴が遠ざかっていき、


「や……やばくないか……?」


 断末魔に変わるや否や、


「確信を持って、ヤバいです。急いで逃げないと……!」


 地の底を揺るがすような、轟咆が雄叫びあがる。

 一つ、二つ、三つと、彼らの絶望を上塗りするよう、重なり合って。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る