10:歩んだこれまでは、雨に打たれ風に吹かれ、だからこそ

 ギルドとしては秘密裏による野盗団解体を狙っていたために、願ったり叶ったりであろう。が、真実を知った人間は現れ、あろうことか、ペイルアンサ最大徒党の頭領という影響力を持っていた。

 なので、ギルド長は方針を転換し、リスクはあるが穏便な解決に舵を切ったのだ。


 だから、命綱だと。

 フェグマンを筆頭とする、野盗団全員の。

 身代金として用意された金は、帰京のための準備金として。


 レンフルフは、先達の横顔を慄然と見やるしかない。

 執務室が、途端に凍り付いてしまったかのように、音が遠く、光が乏しい。


「オジサン! ここにいるんでしょ⁉ ガンさん、酔っぱらって大変なの!」

「おじさぁま! とにかく一緒に来て宥めてくださぁい」


 精神の氷結は、しかし、乱暴かつ程度の低い熱気に、一挙に打ち砕かれてしまった。

 呼ばれた壮年はやれやれと腰を上げると、手で挨拶を交わし、部屋の外へ。

 注がれたままで口をつけられなかったおかわりが、応えるように氷を鳴らした。


 残されたレンフルフは、息を大きくついて、長の軽薄な瞳を見つめ返す。

 受け止めた視線に呆れを隠さず、残された酒を自分の杯に注ぎ直す。


「あれでも丸くなったんだ。昔は、気に入らなきゃ貴族だろうかなんだろうが、すぐにぶっ放す小僧でな。それが、全滅なんていう血生臭い終わりを嫌がるようになって」

「……勝てる人間はいるのか?」


 見聞きする全てが、常識の範疇から外れている。

 そんな化け物が幾人もいて欲しくない、という願望で、彼のかつて『爪先』を並べた仲間へ問いかける。

 伝説的徒党の元頭領が応えるに、意外な言葉であった。


「誰だって勝てるさ」

「え?」

「そりゃあ弓の腕なら並ぶ者なしだがな。剣も槍も斧も槌も盾も、だいたい二流さ。料理や掃除、会計に順法精神に至っちゃ三流だったしな。お前さんもだぜ?」


 継ぎ直したグラスを持ち上げ、やはり軽薄に笑う。


「かつての『疾走』ほど足は速くなんかなかったし、今の『先駆ける足』ほどデカい徒党に入っているわけじゃない。そもそもリーダーですらないしな」


 だから、誰であろうが『勝てる』のだ。


「一つ抜け出ただけの山のテッペン。見上げるべきはそこだけで、あとは見下ろすところのほうが多いさ」


 人は誰も、自分もお前も、そんなものなのだと、笑うように諭してくる。

 だから、前に屈むな、と。胸を張れ、と。

 暴力の強さなんて尺度で、己を計るなと。


「期待しているんだ。現場を知る後方担当なんて、本当に貴重なんだから」


 だから、レンフルフは一つの道標を得る。

 有り方として『強く』あらん、と。


      ※


 ユーイが、慌てる少女ら二人に手を引かれて大階段を下りていくと、届くのは可愛らしい声による号泣であった。

 出元は、ホール奥にある直営酒場に続く扉から。閉め忘れたのか半開きなままなので、防音が働かず、無人のギルドホールにこだましていた。


「ガンちゃんさんの声じゃねぇか。何事だよう」

「初の外回りってことと、私たちの昇格祝いも兼ねて、職員の人たちも一緒に打ち上げをしていたの!」

「ところぉが、ガンさん。ちょっと呑んだら暴れはじめましぃて」


 慌てるアイと面白がるレヴィルによるワンツー解説のため、要領がさっぱりだ。

 けどまあ、獣のような怒号が聞こえてくるのでよっぽどなのだろう。

 引かれるままに酒場を覗き込めば、広がるのは惨状だった。

 どこから出してきたものか転がるワイン樽に、昼間の敏腕受付職員が泣き縋っているのだ。樽にねじ込まれた蛇口を独占し、ジョッキが空になる端から補充しながら。


「あああああ! わたしはあああああ! なんてことおおおおお!」

「ガンちゃん! 樽ごとなんてダメだよ! 女の子なんぐわああ!」

「ガンちゃん! そんなワイルドな手酌はダメだよ! 女の子なんぐわああ!」


 囲む同僚たちは、彼女の豹変におどおどと宥めているが、樽から引き剝がそうとするたびに、ジョッキによる右ストレートをお見舞いされ蹴散らされている。


「うわあ……地獄じゃんかよう」

「オジサンのせいみたい! だからなんとかしてよ!」

「ええ……アイちゃんさあ、新入りに面倒を押し付けるのは良くないぜぇ?」

「まあまあ、おじさま。お話を聞いてあげるだけでぇも」

「……絶対、俺の顔面がジョッキと乾杯されちまうよう?」

「四の五の言わず行ってらっしゃい! リーダー命令よ!」


 必死の抵抗も虚しく『指飛ばし』は、修羅場の只中に蹴り出されてしまった。


      ※


 半生で最も困った顔をしている自信がある。

 そんな顔を整えようと顎をしごきながら、樽と夜を過ごそうとしているガンジェへと歩み寄っていく。

 職員らも『担当が現れた』みたいな顔で潮が引くかのように距離をとっていくので、もはや逃げ道はなしだ。


「あー……ガンちゃんさん……?」


 なるべく刺激をしないよう、小さく低く、呼びかけてみる。

 であるが裏目に出たようで、泣き声がぴたりと止まり、一度ジョッキを飲み干すとおかわりを手酌し、それも飲み干す。

 体に悪いよ、などと壮年は思うのだが、下手を言うと右ストレートの刑だ。窺うよう、様子を見るしかない。


 ゆら、と泥酔する足元を踏みしめ立ち上がった。

 たたずまいは、書物で見る幽鬼のようで生気なく、恐怖を煽る立ち姿。

 振り返れば、けれど泣き腫らしたまぶたは赤く、頬もアルコールに染まっていて、


「ユウィルトさん……!」

「待て待て待て! ジョッキは下ろせよう!」


 ジョッキを振り回しながら、ふらふらと駆け寄ってくる。当然、呑み残しのワインを振りまきながら。

 避けようにもこのままでは、体当たり気味なガンジェの顔が、石造りの床へ突っ込むことになる。

 仕方なしに軽い体を受け止めざるをえず。


「うう……! ずいまぜんん……私、ユウィルトさんにひどい事をぉ……!」


 こちらの胸元に泣き顔を埋めながら、不明瞭な謝罪を繰り返している。

 落ち着かせようと背中を軽く叩けば、しゃくりあげるように途切れ途切れな事情説明が始まった。


「実家はあ……貴族なことだけが誇りの、木っ端宮廷貴族でしてぇ……お役目は姉でぇ、家は兄が継いでぇ……下の姉と三女の私は独立しかなくてぇ……」


 途中、おかわりを三杯追加しながら聞き取れたのは、家を出ざるを得ない三女の悲哀だった。


 教養を武器にする職は他の力ある貴族や商家に押さえられており、あとは奉公に出て飼い殺しか、どこぞへ愛妾として出向くことになるか、どちらかであれば幸運という立場である。

 子供のことからそのことは理解しており、けれど喜べる先行きではなくて。

 であるから、戦後にわいた『ギルド職員』という受け皿は救いの糸であった。


 感謝をしていたのだ。ギルドを立ち上げた人たちに。


「ですけど! そんな恩人に私は、わたしわあああああ! 死にたいいいいいい!」


 激情が発露し、空のジョッキによるハンマーパンチがユーイの額に食い込む。

 いてえ、と訴える状況ではないので、小さく息をついて、背中を叩く手を少し強める。彼女の鼓動に合わせるよう。


「俺がギルドを見つけ出したのは、面倒事を押し付けるためでなあ。なにも、お前さんが言うような綺麗ごとなんか、これっぽちもなかったんだよ」


 ユーイは真実を、ゆっくりと語って聞かせる。こちらに感謝をする必要など、気に病む必要などないのだと。


「それすら投げ打って出奔したんだ。ガンちゃんさんが感謝するような、泣いて謝るような、立派な人間じゃないんだよう」

「ユウィルトさん……」

「だからな、感謝するなら今までギルドを維持してきた、他の職員さんにすべきだ。俺や、似たり寄ったりの『幹部』連中なんざ、捨て置け捨て置け。どいつもこいつもろくでなしなんだからよう」


 冗談めかして、背を叩く。

 泣く声は、おさまり止まった。

 代わりに、


「……ありがとう、ございます」

 

 腰に回された腕に、信頼を示すよう柔らかく力が込められたのだった。


 余談だが、ガンジェはそのままの姿勢で宴会を再開、ユーイは座ることすら許されず夜半まで酌に付き合うことになり、翌日足腰がガタガタになってしまうのだった。


 さらに余談だが、翌日にカウンターへ現れた彼女は普段の怜悧な様子を崩さず、逆に酒臭さを隠さないユーイに説教を垂らすことに。その様子をバルコニーから覗いていた『幹部』数人が、連座で正座させられる事態となった。


 加えて余談だが、以後、職員間で『新人探索者』が『指飛ばし』であることが知れ渡ったため、幹部らと関係の深い彼は敬遠されるように。自然と『幹部に満座で正座説教くれたガンジェ・ベイ』が専属窓口として機能することになり、毎朝毎夜の『説教』は時報代わりとなっていくのであった。


 第三章 了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る