9:されど、彼にはなんの事もなく
「それで、どうした? 飛ばした指はどうしたんだ?」
ギルド長室の応接席に、琥珀に満ちたグラスが並べられる。
一つは部屋の主本人のために。
いま一つは、最大手の徒党頭首のために。
残るは、昇格審査を終えたばかりの新人探索者のために。
「どうしたもこうしたも、レヴィルの嬢ちゃんに頼んでくっつけてもらったさあ」
「キセキ使いの……教会関係者にいい思い出はないが、役に立つこともあるんだな」
「レンの大将よう、気持ちはわかるが本人の前では言ってくれるなよう?」
「……そうだな……その通りだ」
身内をかばって笑い、琥珀を溶かそうと身を費やす氷を鳴らした。
満ちるウイスキーを一口。苦みのある甘さを先頭に、疲労が満ちる一日の到着点である心地良い酔いが、その一歩を忍びよせる。
ハダス村への配送を終えたユーイ一行がペイルアンサに戻ったのは、出立から四日後であった。
旅程を予定通りにおさめて、日が暮れた後にギルドに到着できた。報告を終えたところでガンジェの審査終了の宣言を以て、解散。しかる後に、レンフルフがギルド長の遣いとして現れ、執務室に招かれた次第である。
招待は、ユーイにとっても好都合であって、なぜなら、
「おう、ダンよう。こっちは長い事、魔王領にいたんだぜ? 騙し討ちはさすがにひでぇんじゃないかい」
一言、文句をつけておかなければならなかったからだ。
「せめてよう、あの砦にいたのがフェグマンだったことくらいはよう」
「バカ。バカ言うな。知っていたらお前、嬢ちゃん二人はともかく、ガンちゃんは置いていったろ?」
「当たり前さあ。フェグマンは『本物』だからな、素人連れてちゃ危ねぇよう」
「ギルド職員に現場の経験を積ませるってのも大切なわけよ。俺らが顔役だからって、村の配送までこなしていたんじゃ手が足りん」
「だからってよう」
眉に苦みを浮かべてげんなりと肩を落とす。
と、横に座った若い英雄が身を乗り出して、事の次第を問い詰め始めた。
「もしかして、ユーイは事情を知っているのか?」
「おうおう。フェグマンは、当時の探索者の間じゃ有名だったからなあ」
各地に足を運んでおり、貴族や大商家らとも直接の繋がりを持っていた当時の探索者にとって、いわゆる『ジョルダン家の小火騒ぎ』として見聞きしていた。
市井に出回るカバーストーリーとは別に英雄の不遇を知り、悲劇に同情をした。
終戦間際の混乱期、次兄が領内防衛のさいに討ち死。立て続けに、激務に身を削っていた長兄も倒れ、年老いた父親だけが残される。
それを聞いた真実を知る誰もが、彼の英雄の凱旋か、と胸を躍らせた。
しかし現実は苦く、ほんの少しの噛み合いで、全てをご破算とする。
魔王側との終戦交渉にともない砦の放棄が通知され、翌日にフェグマンは仲間と共に出奔。父親による赦免通告が到着する二日前の出来事だった。
「あいつがどこに配属されていたかは、さすがに軍事情報だから伏せられていてな。だから大将、お前さんに調べてくれって頼んだわけよう」
「調べた俺が、血相変えてギルド長に怒鳴り込むところまで見越して、か?」
「へっへっへ。言った通り、万が一の命綱になったぜぇ」
「はあ? 聞く限り、俺が何をしようとも、どうとでもなっただろ?」
「いやあ、いやいや。レン君がいなきゃ、地獄絵図だったさ。なあ、ユーイ」
古い馴染みの悪戯げな笑いに、へ、と吐くように笑い、グラスに一口。
※
言葉を選ぶように、酒の旨味を楽しむように、戸惑う若い英雄へほんの沈黙を見せる。
やがて、酒の苦みをそのまま吐き出すような、旧友への咎めを口に。
「背中を突かれなきゃ、ダンも踏ん切りがつかなかっただろうからなあ」
「え? いや、どういう……」
「フェグマンに届けられた手紙は貴族らしく上等な紙を使っていたがな、封筒は劣化が隠せていなかった。長い事、あそこの立派な引出しにしまわれていたんじゃあないか?
あいつに届ければ、全てが解決する『魔法の巻物』をよう」
「それだ。前は誤魔化されたが、ギルドが野盗を放置てのは、どういうことなんだよ」
さすがに、口にするのは憚れたので誤魔化した文言を、彼はまっすぐに解き放ってくる。ユーイは愉快げに、ダンは困ったように顎をしごく。
「事情がなあ、複雑なんだよレン君」
「ギルドが隠し立てするってぇことは、ジョルダン家は三男坊の現状を把握していないんだろうさあ」
放逐したとはいえ、知らないとはいえ、一家の人間が野盗に身を落としている。領主クラスの貴族家に起こった醜聞だ。
加えて、その野盗の放逐を赦免し、次の頭領に据えようという動きである。
「普通であれば糾弾の対象さな。改易だって視野に入るほどの愚行さあ」
「だけどまあ、現状を把握できていないのなら頷ける話ではある」
「ああ、貴族サマの面子の話は分かったよ。だけど、ペイルアンサにまで聞こえてくるデカい野盗団だろう。さすがに、ここの領主が何も知らないわけがない」
「へっへっへ、そうさなあ。あんな大仰に不名誉印を振り回していたんだ、知らんわけがないわなあ」
「? だから……いや、どういう意味だよ」
「大将、そのデカい野盗団の頭領が有名人だって、知っていたかい?」
「いや、頭領の身元までは……まさか、ここの領主も一枚噛んでいたのか?」
「事情は様々ある。複雑にな」
根本的に、実戦経験が高い精強な一団を容易に鎮圧できないという事実があり、能力問題への波及を恐れて情報を統制している。
その精強な一団を率いているのが吟遊詩人に謳われる英雄となれば、近隣の村々から感化された者が糾合し地方疲弊を招く恐れがあり、回避のために隠蔽をしている。
「行方不明の三男坊の捜索依頼と彼自身へ手紙を渡すように、ジョルダン家から立ち上げたばかりのギルドに依頼があってな。この時点で、全てを把握するのはウチだけだった」
「はあん、なるほど。ギルドで討つわけにはいかんからなあ」
「軍で倒せない事案を解決したとなれば、街の中枢から睨まれる、か」
「加えて、どうしてもやるとなれば、俺ら幹部が出張る必要がある。事が大きくなれば、敵の頭が『燃える熊の紋章』を下げた英雄だとバレかねない」
「バレちまうと、ジョルダン家は見事に解散。代官が派遣されるだろうが、どうしたって生活基盤は崩れて、一部は流民化まったなしだわ」
「流民受け入れが面目のギルドだって、限界はあるからなあ」
なので、ギルドの課題としては三つ。
野盗頭領は匿名のままで解決すること。
目立たないために、野盗団相手ではない依頼に組み込むこと。
同じ理由で、少数戦力で挑む必要があるとはいえ、かつての英雄である幹部は動かないこと。
「頭を悩ましていたところで、お前が来たわけだ」
溶けた氷が、軽やかに歌い、琥珀が飲み頃だと教えてくれる。
喋りたおしたせいか、掠れた声を潤すようダンは言葉を切って一息に飲み干し追加を求めてボトルに手を伸ばす。
兄貴分の悪びれない様子に、ユーイは不平を唱えて天を仰ぐ。
「だから先に言っとけよう。大将が間に合わなかったら、大惨事だったんだぜえ?」
「いや、さっきから、どういう意味だよ。俺が動かなくたって、手紙が届かないだけだろ」
「そうさあ。手紙が届かなかっただけだよう。つまるところ、俺の鏃は『あいつの指』じゃあなくて『あいつらの指』をぶち抜いていたってことさあ」
ダンにおかわりを催促しながら、不快な息をつく。
「ただの野盗だと思っていたんだ。全滅させるつもりだったんだぜ?」
だから命綱になったのだと、彼は事もなげに言い放つ。
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