8:謳われる英雄は、汚れる足元を血で洗う

 フェグマンに届けられた手紙は『ギルド長直々』という、副官の謳い文句とは違った。

 差出人の名は当代の『ジョルダン家当主』であり、蝋の封印に刻まれた家紋印が証明を示していた。


 渋面で封を切った受取人は読み終えると、朝日に赤髪を輝かせながら、鼻の頭に渋さを濃く怒りを滲み溢れさせる。


「兄貴が伏せったから帰ってこい、だと! お前らが放逐したんじゃねぇか!」


 呑み込みきれず、封筒ごと手紙を地べたへ叩きつけた。

 戦後から付き従う荒れくれ者たちも、頭領の激昂は珍しいのか、はたまた狼襲撃の精神的転倒から回復していないのか、呆然と見やるしかない。

 付き合いの長い彼らがそうであるから、初対面の女性陣も当然困惑しきりである。


「『要害の動かぬ楔』フェグマン・ジョルダンには、当時の庶民から大いに受け入れられた逸話があってなあ」


 半笑いのままのユーイが、視線に応えるようひけらかし始めた。

 かつてを語ろうとする壮年に、堕ちた英雄は一睨みするだけで止めることはなく。

 へっへ、と笑い、彼は同行の若者たちに高説を垂らす。


      ※


「当代のジョルダン当主には三人の息子がいてな。

 博学に長けた長兄に、武勇絶倫の次兄。そしてそのどちらにも勝るとも劣らない、文武両輪の三男末っ子。

 長い戦争に負けず、兄弟たちは父を助けよくよく治めることができていた。


 であるが時の流れは残酷で止められず。

 戦火は激しく燃え上がり、隣の領地にも被害が及ぶように。領内は平和であれど、一歩外に出たなら、軍隊通過による荒廃、魔族の手による略奪、難民流民の発生からくる治安と公衆衛生の低下、上げればきりがないほどの逼迫さあ。

 

 領主も息子たちも頭を抱えた。

 己の領地であれば手を打てるけれども、他人様の土地や領民、施策に口を出すなんてケンカを売るのも同然。

 行き詰まり、歯ぎしりしながら、周囲の荒廃が領内に忍び寄るのを眺めるしかない。


 ならば、と声を上げたのが、力は無双、知恵は天稟の三男坊。

 必ずや魔族の王を討ち果たし、この地に平穏を取り戻して見せましょう。それまで故郷の地は踏みませぬ。


 高らかに謳えば衆目のなか、命の次に大事となる家紋に十字の傷を刻みつけ、不退転を誓うのであった、ってな」


      ※


 ガンジェは聞き知っていた。

 ユーイが朗々と語る英雄譚と、ペイルアンサにおける認知度の高さを。


「戦争終結の前後でしたけど、子供の頃に、父が寝しなに語ってくれた思い出があります」


 まさか、物語の主役が目の前におり、あまつさえ野盗に身をやつしているとは。

 驚きを隠すこともできず、さらには、


「おうおう。上の兄貴が吟遊詩人に流させたでっち上げも、子守歌で役に立ったなら上出来だな」

「え? それはどういう……」


 冗談を忌々しげに吐き捨てるものだから、疑念が張り詰めていく。

 でっち上げ、というからには、物語は真実ではないのだろう。怒りの表情を見るに、創作における誇張や曲解という程度でなく、根本に相違があるのか。


 英雄は垂れる赤髪を掻き上げ、自嘲に塗れ真実を口に。


「当時城内は、後継者問題で二派閥に割れていたんだ。下の兄貴は最初からスペアとして教育を受けて、本人も剣を磨くばかりで知恵が足りないから、人望はあっても頭領としての神輿にはならなくてな」

「派閥……片方は長男でもう一方が、あなただった?」

「そんなつもりはなかったがな、ギルドの嬢ちゃん。それで嫌気が差して、徴兵の触書で集まった領民のまとめ役として城を出る用意をしていたら『反乱の兆し有り』だ。力自慢の次兄に取っ捕まって、所持品全部に不名誉印を圧され、身一つで追放処分さ」


 加えて、と肩を揺らす。


「前線のペイルアンサまできてみりゃあ、俺をまつり上げる歌が広まってやがる。始末が済んだから、テメェについた返り血をふき取るついでに、俺の帰り道を塞いだんだよ」


 そんな、とガンジェは息を呑むしかない。

 英雄譚の舞台裏が、そして英雄自身が、汚泥に呑まれて沈んでいた者だということに。

 

「それで今になって帰ってこい、探している、だと? どこまで行っても、テメェらの都合じゃねぇか! 上の兄貴が倒れて俺を探しているってことは、下の兄貴は戦争で死んだか? どっちにしても、いい気味だぜ」


 言葉ほど喜びはなく、唾棄するがごとく。


「弱った領地は襲うに容易い。願う通り、凱旋してやろうじゃねぇか。おめぇらを引き連れてなあ!」


 見渡し、気圧されている配下たちに昏い笑みを見せていく。


 いけない、とギルド職員は寒気たつ。

 手紙一つで、加害の火が灯ってしまった。

 戦闘を専職とする騎士を出自とする、男の瞳が燃え盛っている。復讐への怒りか、好機への悦びか。

 このままでは彼は、かつてを過ごした故郷に矢を射かけ、田畑を荒らすだろう。

 

 どうして、とガンジェは唇を噛む。

 どうしてギルド長は、そんな手紙を身代金と共に渡したのだろう。

 どうして燻っていた激情に、油を注ぐ真似をしたのだろう。

 私たちを救うための判断なのか、でなければ、


「荒らすってか? 俺らが必死こいて拓いている後背を、人の住めない土地にしようって? そんなもん、止めなきゃ探索者は名乗れないわな」


 あの軽薄な代表と『かつて肩を並べて』いたであろう『今の新人探索者』に託したのだろうか。


      ※


 日が完全に姿を現し、夜明けはすでに朝へと姿を変えた。

 野盗の頭領と新人探索者もまた、纏う空気を戦闘のものへと変えている。


 五の歩幅ほどでにらみ合う両者は、対照的だ。

 片や、狼の血が乾かない剣を構え。

 片や、矢こそ手にすれど、弓は未だ背中に収めて。


 有利不利は、ガンジェの素人目にも明らかだ。

 踏み込んで振り下ろせば、切っ先の届く距離なのだから。

 どれほど想像力を働かせても、切り伏せられる前に弓を抜くことすら叶わない。

 呑む息が、並ぶ二人のものと重なり、


「どうするつもりかしら、オジサン」

「相手は謳われるほどの英雄ですぅよ? 不利大、ですけぇど」


 戦闘職の彼女達にも、勝機は見えていないことを知れる。


 だというのに、両者の頬に浮かぶ色はやはり対照的。

 片や、滲む汗を滑らせ。

 片や、いつもの半笑いを隠すつもりも見せず。


 果たして、二人には何が見えているのか。

 疑問に応えるよう、フェグマンが踏み込み振りかぶる。


 同時、応えた鏃が朝の日を返して、ガンジェの目を隠した。


      ※


 次の瞬間に確かめられたのは、屈んだユーイの姿と、


「さすが『指飛ばし』だ」

「踏み込み早すぎるぜ。剣が届く前に撃ちぬくつもりが、間に合わんでこんな格好よう」


 青い空に、赤い軌跡を塗り引く『一指』であった。


 屈むユーイは、外套に隠した小弓の弦を揺らしていた。

 腰に、ぶら下げたままで、だ。


 曲芸撃ちの一種なのだろうか。

 誰も、当人ら以外は例外なく、目を見開き、口々に事実を確かめていく。


「み……見えましぃた、アイちゃん?」

「や……まったく……なに今の……」


 探索者のランクとしては上位となる彼女たちでさえ、特に騎士として教育を受けたであろうアイですら呆然としている。

 囲む野盗らも、膝を付いた頭領に駆け寄ることもできず。


 戦火に塗れてきた二人は、勝ち負けに別たれ、けれども惜しむ重さはなく。

 ガンジェは、胸に立ち昇る『英雄たち』への畏敬を立ち込めさせる。

 目の前を照らす朝日と、ひどく似た色で満たして。

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