7:『指飛ばし』
空の隅が、日に追われて白み始める時刻。
またたきを弱めていく星々の下を、人相の悪い男は馬を走らせていた。
冷える街道は人の影などなく、森から聞こえる鳥の声ばかりが耳に届いてくる。
「はは、換金は昼になってからだが、親分の言う通り、満額を払うなんてなあ」
腹に括った小袋にはせしめた小切手と、代表に、と渡された手紙が大切に収められていた。
恐らくは人質になったギルド職員の処遇について、泣き落としの文言でも連ねられているのだろう。
そうだとしたなら、もう一口ぐらい脅し取れるかもしれない。
「こうなっちまうと『十一の爪先』も大したこたぁねぇなあ」
明日以降は、しばらく豪遊が約束されたものだ。
副官である自分は、他よりも良い目が見れるはず。
さすがにペイルアンサ城壁内は、出まわる手配書から捕縛されるだろう。が、外周部なら、金さえあれば潜り込むことも容易い。
酒に、博打に、女にと、欲望に翼を生やして想い馳せれば自然と口元が緩んでしまう。
けれども、そんな有頂天に冷や水がかぶせられた。
「なんだ? 火の手か?」
我らが拠点である廃砦の方角に、微かな黒煙が立ち上っているのだ。
※
空が白み、血と脂の匂いが、焼ける焦げ臭さに混じって満ち満ちていた。
春の冷える朝風ですら洗い流せない濃密さは、疲弊の激しい面々の鼻を苛立たしくくすぐっていく。
「親分……オンとライシュが……他にも……」
狼の大群に急襲された野盗団は、被害を甚大としていた。
確認できているだけで死者が四人、重軽傷多数。宴会の最中であったことから、焚き木から失火。野外設備だけではあるものの、大半の天幕や食糧が灰と消えてしまった。
死者と討ち果たした狼の死骸を隔離することと、負傷者の手当を指示すると、頭領であるフェグマンは眼差しをいっそうに厳しく。
視線の先は、ギルド職員の怪我の具合を確かめる、弓を背負った壮年の横顔。
外腿を擦りむいた程度であると確かめると、同行していた聖職者に治療を任せて、晴れ晴れと背筋を伸ばす。
あくびの途中でこちらの視線に気が付いて、へら、と笑い返してくる。
「どうしたい。おっかない顔をしてよう」
思い返しても寒気が走る。
走り、飛び、滑り、屈み、退り、打ち据え、蹴り上げる。
どれも次の一手を見据え洗練された、経験によって磨き上げられた挙動であり。
そして、その全てから常に『一矢』が放たれていた。
美しい戦闘機動に、打ち鳴らされる弦の歌声が絶えず重なり、まるで舞台の上で舞うかのごとく。
なにより恐ろしいのは、ついでのように撃ち込まれる矢が、例外なく狼たちの目に吸い込まれ、命を貫き砕いていたのだ。血を振りまいた手の平に布切れを巻き付けるという、悪条件も構わずに。
人智を越えた戦技であり、まともな人間には成しえない。
ただ、フェグマンには心当たりが一つある。
一つだけ、あるのだ。
かつて、それぞれが卓越した能力を誇った『十一の爪先』に席を置いていた少年。
剣を構えた相対者に抜き打ちで人指し指を射飛ばした、尋常ならざる弓矢の使い手。
名を何といったか記憶は危ういが、
「あんた『指飛ばし』だな?」
二つ名は、畏怖を刻む字名ははっきりと記憶に残してある。
※
指飛ばし。
それは『十一の爪先』に属し弦を引く、一騎当千である射手の名。
それは、視線の先を間違いなく射抜く、と言われた正確無比の名。
それは、悪行を重ねた貴族へ対し、義憤から弓引いた探索者の名。
それは、形骸化し廃墟となっていたギルドを、書類の山から見つけ出し、
「本当の意味でギルド再建を担った、立役者じゃないですか……!」
一切の家督継承も分与権をも持たない木っ端貴族の三女という自分に。
どこぞに奉公へ出るか、甲斐性のある有力者の側室になるかしか未来のなかった自分に。
ギルド職員という生きる糧を与えてくれた過去の英雄の名。
ガンジェは、驚きの顔で壮年の緩く笑う横顔を見上げた。
朝日に陰るが、首は確かに肯定を示して縦に振られる。
彼女にとって『指飛ばし』は恩人である。
閉じてしまう己の、己だけではない人々の、先を『拓いて』くれた人物なのだから。
「おじさま、思ったより有名人なんですぅね」
「ホント意外ね。ゼンバの向こうに居たとか言うから、まともじゃないのは知っていたけど」
呆けていたのか、駆け寄った少女ら二人の声に我へと返った。
色々と思うところはあるが、今はギルドの職務中だ。責任を果たす必要がある。
「ユウィルトさん! どうするつもりです⁉」
「ああ? いやあ、どうするも何も」
方針を確かめれば、彼は困ったように見渡す。
こちらを囲むのは、満身創痍で戦意を失った野盗らと、青い顔で仁王立ちする親玉。
「言ったろう? 殺させる覚悟はあるのかってなあ」
物騒な言葉に、囲む側は誰も身をすくませる。
仕方もあるまい。狼相手の立ち回りを見た後では、いかに取り囲もうとも、ひとたまりもないことは明白だ。
目を、指を、あるいはどちらも鏃の錆とされるという怖れが走る。
「ここで解散、となってくれりゃあ、まあお互い疲れないで済むんだがな」
言外に『殲滅』は不可能ではない、と言い切り、野盗側の動揺が膨らむ。
緊張が絞られる状況に、しかし、弛みの一声が届けられた。
「お、親分! どういうことですかい⁉ 小切手貰って、換金できたらウハウハ朝日も昇天コースの予定だったのに! ギルドの頭から直々に文も預かって、この先も安泰だと信じていたのに!」
身代金の受取を終えて駆け戻って来た副官の、欲望に生え広がった翼が折れて墜落している言動に、誰も、肩を落としてしまうのだった。
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