7:この身は『探索者』なのだから

 縞背猪。


 背を茶と緑のまだらに染め、繁みに潜んでは通り過ぎた敵対者を背後から襲う、知恵の回る捕食者だ。

 本来は雑食性であるが、縄張り意識が強く好戦的な気質から侵入者への攻撃は積極的。結果として肉を好むように。

 彼らの最も恐ろしいのはその森林内での隠密能力であるが、次点が大木すらへし折る突進力と、木製の盾程度なら易々と貫く顎牙である。

 鉄爪熊すらその縄張りには近寄くことはせず、森奥を我が物顔で徘徊する食物連鎖の上位者だ。


「それが、平野まで出てくるとはなあ。珍しい」

「とんでもなくいきり立ってやがる! どっかのバカが仕留め損なったんだろ、くそ!」

「ああ、槍が刺さったままだな……おい、どこにいくんだ?」


 腕を組んだユーイが、丘を駆けだしたレンフルフを呼び止めれば、


「あのへんでうろうろしてるのは、どいつも素人だ! あんなデカブツが来たんじゃ、パニックのまんま踏みつぶされちまうだろうが!」


 しわというしわを、鼻の頭に搔き集めて怒号を返してきた。

 酒場での酔いに任せた横柄な振る舞いからは想いもしない表情に、壮年は胸に感心の一息をおく。


「追っ払うてのか? その足で?」

「バカか! 足を引きずっていようが腐っていようが『探索者』なんだよ! 脅威が迫るなら、手足がもげようと、下半身が千切れ飛ぼうと、あいつの横っ面に一撃ぶち込んで、どうにかしなきゃいけねぇんだ! わかったか、白カード!」


 大激怒を発露し、毒づきを残して、自由ではないを足を繰り、


「おっさん! その気があるなら手伝え! ガキどもを避難させるんだ!」

「あん? 白カードに務まるかね?」

「見たことない素材の革鎧と弓に、手の分厚い弓ダコ……ただの初級じゃねぇだろ! ごちゃごちゃ言ってねぇでついてこい!」


 翻す赤カードに恥じない観察眼に、ふむと笑みを。

 視線の先では、ようやく事態を呑み込めたらしい初級者の群れが、一貫性も法則性もなく、てんで散り散りに逃げまどい、猪の致命の牙から逃げまどっていた。

 転じて、最上位である青年は未だ坂の半分を越えたところ。

 さて、辿りつくまでに幾人が犠牲になるものか。


「……けどまあ」


 ユーイは笑みを深めてのんびりと、


「言う通り『探索者』だもんなあ、俺も」


 弓を、担ぎ直した。


      ※


 レンフルフは、大きく毒づく。

 どう考えても、間に合うことができないから。


 猪はすでに逃げる小さな背を視界にとらえ、加速を開始している。こちらはというと、まだ、坂すら下りきっていない。

 間に合うとは、口が裂けても言えない距離感。

 けれど、走ることを諦める訳にはいかない。

 なんのために、村を飛び出したのか。

 なんのために、あの背に憧れたのか。

 なんのために、この足を犠牲にしたのか。

 なんのために、腐りながらも『カード』を捨てなかったのか。


 探索者たらんと、そうあるがためになのだから。

 

 けれども、ああ、怒りに狂った牙は、容赦もなく少年の背を貫かんと狙い定めている。


「くそ! くそっ!」


 かつてであれば一駆けでしかない隔たりが、いまや絶望的なまでの暴虐を見せつける。

 辿り着けぬのなら、この身を呈することすらかなわない。


 駄目か、と気持ちが途切れ、悔しさに自らの傷ついた足を睨みつけた。

 その瞬間に、かすかで短い風鳴りが響き、命を擦りあげるような獣声が轟く。


「前を見ろ!」


 言われるまでもなく顔を上げれば、巨獣が体を起こし、血潮を散らしていた。

 足を止めた捕食者から、逃げ遅れていた少年が必死に距離をとっている。


「な……んだ?」


 呆然と状況を呑み込んでいると、獣がその姿勢を取り戻す。

 彼が突進を止めた『理由』が、その右目に突き刺さっていたのだ。

 どこから射かけられた、一本の弓矢が。

 状況からあの白カードであろうが、とはいえ動き回る猪のあまつさえ小さな目の玉を射抜くなど離れ業。

 それこそ『十一の爪先』ほどの、人智を離れた神業である。


 呆け、であるが状況は変遷を止めず、立ち尽くすことなど許さない。

 巨大な頭部を持つ猪にとって、小さな鏃など脳に達するものではないのだ。

 残る瞳に憤怒を焚き上げ、地ならしに蹄を突き立てれば、こちらをまっすぐに睨みつける。


 ああ、だが、思うつぼだ。


「こいよ! 素人の背中なんざ、狙ったところで面白いもんじゃあねぇだろう!」


 横面に一発、追い払うために叩きこむにはおあつらえ向きだ。

 迫る牙へ抜き放った剣を構えて、


「くっそが!」


 踏ん張りの効かない足の側から、大きく掬い上げられてしまった。


      ※


 頭が揺れ。

 内臓が軋み。

 視界が歪む。


 自覚できるほどの満身創痍。

 叩きつけられた草原の緑の臭いを気付けがわりに、上半身を起こした。

 転身した敵は、疾走の前の地ならし中。

 こちらの、止めを狙っているのだ。


 動こうとも、剣を握り直そうとも、力が抜けてしまっている。

 ここで終わりか、と。

 かつてであれば労もなく屠れる相手に、命を取られるのか、と。

 それもまた、己の身には相応しいのかもしれない、と。


 期待のホープだとか、伝説の再来だとか、さんざおだて上げられてきた。

 ギルドからも、領主からも、さまざまな恩恵を与えられほどに。

 徒党を大きくし、開拓を推し進め、出来得る限りの手を足を尽くしたのだ。

 けれど『あの人』に届くことはできなかった。

 故郷で、子供の自分を助けてくれた、あの英雄の背には。


 怪我をしてしまった未熟も、怪我の後で組織を立て直せなかった不明も。

 あの人のように『誰かに背中を追われる』ような男にはなれず。

 つまらないことで躓いて、それが原因で、つまらない死に方を迎えている。


「だけどな」


 少年らの、逃げる時間ぐらいは稼げただろう。

 足を失った役立たずには十分すぎる戦果だ。

 駆け出した獣の牙が、身のこなしが自由ではないこちらの体を、今度こそ間違いなく貫くだろう。

 その瞬間を睨み、地鳴りのような地を蹴る足音を腹這いの腹に響かせながら、待ち構えるように目を見開く。


 けれども。


「へ。なんてぇ顔だ、色男」


 けれども、ああ。


「覚悟をぐるぐるにキメやがって、死相まみれじゃねぇかよう」


 己と脅威との間に踊り入ったその大きな背中は、


「けどまあ、立派な『探索者』の面構えではあるな」


 見間違うわけもなく『あの日』に救われた、英雄の『それ』であった。

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