6:傷は癒えるも、痕は消せず
出遅れたとはいえ、杖をつく男一人。
森を縦横に駆け巡るユーイにしてみれば、棒立ちのウサギを仕留めるより容易く、その背に追いつくことができる。
場所は、探索者向けに開かれた露店通り。
塀内に店を構える正規の商会が居並ぶ商店街とは違い、取り扱われる商品は雑多で、売り捌ける程度の少量在庫を並べるだけ。
食材に簡単な調理を施したものは、上等な方だ。
摘んできた野草類をそのままに吊るしてあったり、出自のわからない小物やくたびれ具合が隠せない『新品』の武具など、法へ舌を向けるものまで。
そんな、良し悪しの混み合った軒先が、ひしめくように通りに溢れている。
繁忙の時刻は、客層に合わせて朝、昼、夕暮であり、昼時を回ったばかりの今時刻は気持ち程度だが閑散としている。
利用者は、探索者に限らないためだ。城外に形成されている貧困窟に住む者たちも、悪しとはいえ安しに抗えず、法の保証がない商品を買い求めるのだ。
そんなごみごみと、しかし活気に溢れるなかを、人ごみに紛れるよう、ユーイはレンフルフの後を追う。
疑問に、顎をしごきながら。
店を変えると出たわりに、どうして露店通りに足を向けるのか。
果たして、何か飲食のできる店があるのかもしれないが、出処のわからない酒に金を払うほど、困窮はしていないだろうに。
そんな壮年の問いに答えるよう、被追跡者が足を止めた。
見れば、一人の店主と何やらやり取りをしており、その軒先に並ぶのは、
「……ナイフか?」
大小様々な、一つとして同じ物のないナイフが、幾つも吊るされていた。
※
「いらっしゃい。鉄爪熊の爪でできたナイフはいかがで」
店は、店主の言うとおり、熊の爪を刀身としたナイフの専門店であった。
鉄と評される、固く鋭い爪を、研いでは薄く、刃としている。そこに木製の柄とグリップをしつらえ、粗雑であるが機能としては十分なナイフへ遂げていた。
値札を見るに、本物の鉄製品に比べれば五分の一程度。
「ほう、面白いものを売っているもんだ。旦那のお手製かい?」
「へえ。研ぎ方にコツがありましてね。お安くしておきますよ、白カードの旦那」
「目聡いなあ。しかし、よくこんな安くできるもんだ」
「こう見えても一応探索者でしてね。格で言ったら旦那より上なんですぜ、こう見えて。週に何度か、他を誘って熊を狩っているんでさあ」
「素材はタダみたいなもん、ってことか」
「へへ。まあ、武器に使うには心許ない代物ですしねぇ。お値段相応なわけですわ」
なるほど、と手頃な一本を取ると握りを確かめる。
滑り止めに布を巻いているだけであるが、刃のぐらつきもなく、見た目の貧相さ以外に目につく欠点が見当たらない。
思いのほか質は良いようだ、とユーイは露店街への評価を付けなおすと財布を取り出す。
「こいつを貰うよ。代わりに、ちょっと聞かせてくれ」
「はは、今日は良い日だ……で、何を?」
「さっきの客のことでな」
代金を巾着にしまい込んだ上機嫌の店主だが、話題に映ると、怪訝に眉を曲げた。
ユーイは、本題に切り込んでいく。
「何を買っていたんだ?」
※
ナイフ屋の店主が言うには、
「小振りなものを、明日までに八本揃えてくれって」
大きな発注であった。
その後、レンフルフの足取りを追えば、野草などから調合した薬を並べる店や、手袋や衣服をあつらえる店へ。どれも兼業探索者の店で、仕入れを自前で賄うことで価格を抑えているところばかりだ。
買い付けるのは消耗品で、どれも大量である。そうして品は明日に受け取る、と、
ユーイの疑問は、大まかに解決に向かってはいた。
おそらく、最大手と呼ばれる徒党であり、その備品を買い集めているために量が多いのだろうと。
けれども、残る謎もある。
だから、好奇心もあって、未だにその背を追いかけていた。
足を引きずる彼が最後に行き付いたのは、郊外。
人の領域を越え、森林部の裾野ともいえる平野部の、見通しの良い小高い丘だった。
だから、疑問も膨らむ。
自由にならない体で、一人で、腰に剣を提げただけのロクな武装もなしで。
そして、ユーイ自身も疑問に押されてここまで来たのだ。
ここで引き返す選択肢などありはしないから、ゆっくりと丘を登っていく。
※
見渡す風景は、牧歌的と言えた。
春の昼下がりに風は心地よく、草の原はうねるようにさざめき歌っている。
そんな穏やかな中で、幾人もの若者たちが汗をかいていた。
ある者は、かごいっぱいに野草を詰め込んで。
ある者は、罠にかかったウサギを捌いて。
ある者は、襲い掛かる緋色猪の牙から、どうにか身をかわして。
どれも手元は拙く、けれど眼差しは輝いて。
絵に描いたような『希望に溢れる若人』である。
ユーイには、かつてを思い起こさせられ、面映ゆい光景だ。
はて、ではギルド探索者の最高位を持つ彼は?
並んで盗み見れば、意外な表情だった。
眼差しはびくりともずれずに注がれ、けれど頬と眉に苦みが浮かぶ。
それはまるで、
「なんだい。そんな悔しそうな顔をして」
悔やむ色であった。
アルコールに濡れた横目で睨みつけられたが、意に介さず。
ユーイは肩をすくめると、丘下の少年少女ら差す。
「足を引きずってまで、配下の仕事ぶりを監視かい? デカいところはおっかないねぇ」
「……目を離すとすぐにサボるからな、白カードは。目の前に好例がいるだろ」
「俺かい? そんな……おう、確かに今日はサボりだな」
へっへっへ、と軽く笑うが、舌打ち一つつくだけで、すぐに丘の下へ視線を。
色は、変わらず。後悔をにじませたまま。
「怪我のせいかい」
「あ?」
「お前さんの天邪鬼ぶりは、よう。見てたぜ、何やらいろいろと買い集めて。ありゃあどうみたって、新人クンたちの装備じゃねぇか」
「……面倒くせぇ奴だな……!」
「へ。悪態ついて人を遠ざけようなんて、それこそ面倒くさいお前さんには負けるさ……怪我が無きゃあ、ゼンバ地域に行けただろうになあ」
それまで、本当の意味で先頭を走っていたというのだ。まだ若いし、歩けぬほどの傷で戦線を離れざるをえないとなれば、荒れる気持ちもわかる。
けれども、いくらかの沈黙の後に返ったのは、
「……新人とはいえ、おっさんくらいの歳なら『十一の爪先』を知っているだろ」
意外な言葉だった。
※
レンフルフにとって『彼ら』は原体験である。
かつての故郷が、大繁殖期を迎えた大型牙獣の群れに襲われた時、まだ彼自身が十歳とわずかの頃。
人の手ではどうにもできず、魔王領との戦争状態で軍の派遣もままならず。もはや村を捨てるしかないという事態に駆けつけたのが『彼ら』だったのだ。
レンフルフ自身も逃げ遅れ、襲い来る蹄の大群に腰を抜かしていたところを、メンバーによって救出された。それも、我が身を省みないかのような、たった一人の吶喊によって。
『しゃんと立てよ、ぼうず』
あの時に助けられた背の大きさは決して忘れられず、忘れられないからこそ、村を飛び出し、今の自分自身がいるのだ。
けれども、その憧れの彼らはいまやどうであろうか。
「どいつもこいつも、ギルドの要職について執務室から出てきやしねぇ」
運営のために手一杯なこともわかっているが、わだかまりだって当然あるのだ。
「どんな人間が流れてくるかなんて、わかりきっているだろうが……誰も例外なく頭おかしいほど強いからな、その辺の意識が飛んでんのかもな、ったく」
いわゆる下層部が捨て置かれている状況をどうにかしたく、自分は徒党を巨大化し、新人を取り込み、互助の形を強めたのだ。
けれども、この足ではかつてのようにはいかず。
せめて、
「……せめて、失踪した『指飛ばし』が残っていたなら……」
彼らのマンパワー不足も、幾らか好転していたのではないか。
益のないもしもであるし、
「新人のおっさんに話しても仕方ねぇな……忘れろ。どっかで上層部批判してたとか漏れたら……わかってるな?」
「うん? おうおう、いや、後でもう一回聞かせてくれ」
「は? ああ……そうか、そうだな何も聞いてないんだな」
「いや……ああ、まずいな」
「あん?」
尾行者の胡乱な言葉に、眉根を寄せると、
「っ! なんだ⁉」
「こいつは……」
腹の底を抉り出すような必死の咆声が、平野に響き渡る。
牧歌的な光景の中で生活の糧を搔き集めていた者の誰もが、手を止め、怪訝に顔を上げる。
足りないのだ。経験が。
だから、怒号の危険性を知れず、ぼんやりと声の方を見やるばかり。
茂る、木々の奥。
夜とも思わせる暗がりより這い出たのは、巨体。
馬ほどの体躯を荒々しくくねらせる、牙獣の姿であった。
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