3:置き去りだったかつては、不意に肩を掴むから

「あら? アーイントさん、顔色が優れないようですけど……」


 翌朝。

 天窓から爽やかな朝日が差し込むギルドホールにて、ギルド受付職員が見咎めるほど、アイの顔色は青褪めていた。


「昨日、ちょっとね……」

「飲み過ぎかよ、お嬢ちゃん。体調管理なんざ初歩の初歩だぞ」


 したり顔で訓戒をひけらかすと、装甲に覆われたグーでお腹を殴られる。


「だいたい、オジサンのせいでしょうが……!」


 多量の三日月蛇を摂取したレヴィルが、馴染みの酒場にてエールジョッキの不夜城を築くという惨事と、それに伴うユーイの『ちょっと厠に』という深い経験からくる危険回避が、少女の不幸であった、


 腫れぼったいまぶたをひらけぬまま、アイが噛みついてくる。


「オジサンがいつの間にか姿を消したから、この子の面倒、私が一人で見ることになったってのに!」

「でもぉ? アイちゃん、キセキでアルコールは抜いたはずなのぉに」

「そうね! おかげで二日酔いなんかしていないわよ! 忘れたの? 店を出た時、空が白んでいたじゃない!」

「寝不足か? お肌に悪いぞ?」


 装甲によるボディブローがもう一発。

 うずくまる壮年に、しかし人気受付職員は意に介さず。


「それで今日の依頼は緋色猪の納品ですか……いっそお休みにしたら……」

「ガンさん、大丈夫だから! 平野でゆっくり猪を狩るから!」

「それなら……いいですか、ユーイさん!」

「うん?」

「今日はアーイントさん……頼れるリーダーが不調です! 探索者はいかなる不測の事態にも、準備不足は言い訳に使えない、厳しいお仕事! たとえ、相手が山麓を揺るがすドラゴンだったとしても、彼らの号砲が人里を狙うのだとしたら立ち向かわなければなりません! その事を肝に銘じて、今日のお仕事に臨むように!」


 指を突き付けられ、疑問を傾げる首で示し、すぐに理解の手を打つ。


「俺、説教されてねぇかい?」

「ギルド理念の再確認です! あなた、どうも法尊精神に欠けるところが見受けられるので!」


 最初の印象がよほど悪かったようだ。


「わかっているよ。見殺しになんかするもん……うん?」

「あれぇ? 大門のほう、なんだか騒がしいですぅね?」

「なによ……頭痛いんだから、がやがやしないでよ……」

「え? どうして、市外の衛兵さんが……」


 ガンジェの言葉の通り、見れば、屈強な肉体をチェインメイルに覆う鉄兜の男が人波を掻き分けていた。

 治安を守る、領主付きの戦闘職員である。


「なにしやが……うわっ!」

「いてぇな! なん……だっ!」


 森で鳴らした荒れくれ者たちは、しかし、根本的な肉体強度に負け、押し分けられていく。

 さらに疑問が膨らむのが、


「ユウィルト! ユウィルト・ベンジはいるか!」


 こちらの名を呼んで、近付いていることであった。


      ※


 ガンジェに限らず、職員たち、そしてギルド員たちも混乱していた。

 衛兵は、基本城壁内の治安維持が職務となる軍の一部署であり、ギルド内はギルド巡回員によって管理されているため、基本的に接点は少ない。

 それが、どうして一個人を誰何しながら現れるのか。しかも、ドがつく新人を?


「オジサンのこと探してるって……」

「おじさま……昨晩、バックレた後、なにかしましたぁか?」

「ええ? 寝酒につまみが欲しくなって、ウサギ捕まえに出ただけだぞ?」


 ちょっとそれ夜間狩猟には許可が……!

 だけど追及している暇はない。

 衛兵はすでに目前に迫っており、


「ユウィルト・ベンジだな? 一緒に来てもらうぞ?」

「はあ? 俺、なにかしたかね」

「問答無用。打ち縄は勘弁してやるから、おとなしくついてこい」

「でなけりゃあ、背中の槍で滅多打ちかい? おお怖い」

「ほら、黙って歩け」


 長躯ゆえに、ユーイの肩を上から掴み、押すように大門へ。

 徒党の二人が、理解度の越えた状況に呆然と見送り、興味本位で取り囲んでいた野次馬たちも道を譲り、割れていく。


「ま、待ってください、衛兵さん!」


 けれども、ギルド職員の矜持が、ガンジェの喉を動かした。


「彼はギルド員です! なにかあったのなら、ギルド内で賞罰を……!」

「まじかよまた罪が一つ増えたな。ガンちゃんに庇われるなんざ極刑だぞ極刑」

「え? 衛兵さん?」

「あ。ああいや、罪状はおって伝える。いいね? ほら、キリキリ歩け!」

「痛いって。歩くから押さんでくれよ」


 いつもは殺伐とするほど賑やかな、朝のギルドホール。

 であるが、この数瞬だけは疑問と謎と好奇心に、しんと静まり返るのだった。


「ガンさん? 悪いけど、ハンコ貰える? 私たち、追いかけなきゃ」

「え? あ、はい、すぐに!」


 誰も、何事かに興味を惹かれているが、ガンジェの疑惑はまた別にある。

 どうにも、衛兵の声に聞き覚えがあったがために。


      ※


 厚い肉体の憲兵に押されながら辿り着いたのは、城壁内にある詰め所ではなく、それどころか城壁の内側ですらなかった。


 城外の小路に看板を提げる『根深のかかと』亭。

 探索者を相手にする、宿を兼ねた老舗の酒場だ。時刻のせいもあって客はゼロだが、それでも夜間狩猟者たちを待って店を開けているのだ。

 ユーイは、どうしてかそんな寂しいカウンター席に座らされ、衛兵は隣に。

 

「なんだい、衛兵さん。処刑の前に一杯奢ろうってとこかい?」

「冗談よせよ。気付いてないわけないだろう。マスター、エールを二つだ」


 鉄兜を脱ぎ置くと、彼は肘をつきながらこちらを覗き込んで、


「久しぶりだなあ『指飛ばし』よ」


 古い名を呼び、髭を揺らしながら人懐こく笑いかけて来た。

 ユーイも応えて、口端を持ちあげて、懐かしむ。


「こっちこそだよ、リーダー。なんで『探索者ギルド長』ダンクルフ・ケインが衛兵の恰好で新人を呼びつけるんだ」


 かつて伝説と称された男の名を、思い出を探るように口ずさむ。


「おいおい、似合ってなかったか? 無理言って借りてきたのに」

「そりゃあ、ぴったりさあ。そうじゃなくて、無体を働いた理由を聞いているんだろうが」

「ギルド長として新人を呼びつけたらそれこそ事だろ」

「だからって憲兵の真似してしょっ引くなんざ、なお悪いだろ。徒党の二人もガンちゃんさんも、すげぇ顔してたしさあ……頼むよ、リーダー」

「なんだよ固い固い! 昔みたいにアニキって呼んでくれ!」

「そんな歳かって話だよ。あとな」


 笑い、ユーイは懐をまさぐる。財布から硬貨を取りだぜば、カウンターに数枚を並べ、


「この店、あんたが随分食い逃げしたせいで、俺らだけ完全先払いになったろ」

「ずいぶん前に完済したぜ? てか、よく覚えているなあ」

「マスターだって忘れてないから、グラスを出さないんだろ?」


 肩をすくめれば、老年のマスターも肩をすくめて笑い、ジョッキを用意しはじめた。

 ほどなく三つが用意され、皆の手が塞がる。

 誰も何も語らず、語る必要もなく、グラスを打ち鳴らすだけで再会を祝うのだった。

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