2:人は日を重ね、過去に倣う

「失くした血を補充するにはお肉が一番でぇす。ほら、採れたての三日月蛇をどおぉぞ」

 治療のために振るわれるキセキの歌声と、その合間に聞こえる善意の無理押しを背に、アイは剣を構えていた。

 ただし、呆然と。


 本来であれば、一対一でも負ける事のない相手だ。

 爪を装甲で受け止め、威力を鎧の重みと体重移動で打ち消し、返す刀で一撃を見舞う。

 感覚に齟齬があるとはいえ、難のある相手ではない。

 そんな自負が、しかし捻られていく。


 見ていろ、と軽く笑って前に出た壮年によって。


「正面戦力を担当するからってな、装甲の丈夫さに頼るなんて頭が堅いんだよ」


 副兵装の山刀を片手に、軽くステップを踏む。

 足元を掬わんと、木の根やら絡まる長く固い草葉が罠の口を開いているのに、意に介さず、まるで石畳の上で踊るよう右に左に。

 彼の動いた後を、熊の爪が追いかけては空を掻く。


 十を数える致命を狙う爪の斬撃。威力が風となって、アイの髪を揺らすほどの猛威だ。

 しかし、ユーイは涼しい顔で回避し続けている。

 漂う血の臭いに熊の注意が逸れぬよう、山刀で突きまわす余裕を見せながら。


「身が軽い、ってんなら避ければいいんだ。威力に距離感が狂うってんなら……」


 横薙ぎの十一撃目をスウェーでやり過ごせば、


「オジサン! 危ない!」


 袈裟の十二撃目が迫る。

 仰け反って伸びきった腰と膝には、次動作のためのバネが不足。脅威から、十分な距離を取ることは不可能だ。

 アイは、咄嗟に悲鳴を以て警告としたが、


「危ないもんかよ。相手の力を、体幹で受け止めなきゃいいんだ」


 涼しい、変わらない半笑いで、山刀を立てて見せた。

 鉄を割くと称される大爪が、甲高く耳障りな金属の擦過音を撒き散らし、立てられた刀身を滑っていく。

 ユーイの体は押されるように、けれど軸足は残すから、回る。


 命を狙う勢いは、男の体からは逃げ、熊の腕にのみ残った。

 完全に半身となって、山刀に残る威力を捨てるように振り払うと、


「ほらアイちゃん! バランス崩したぞ!」


 言われる通り、熊は前のめりに四つ足をついており、弱点である頭部が手頃な高さに。

 その後頭部へ、装甲重量を加算した一撃を全力で叩きこむことで、講義は終了と相成ったのだった。


      ※


「俺は武器を使ったがな。最後の受け流し、本来は盾とか金属鎧とか、とにかく装甲を使うのが普通なんだ」

「目から鱗ね。相手の注意さえ引けるなら、受け止める必要はないとか」

「大層な鎧を着ていたって、野生生物の一撃は骨身に沁みるだろ。体が資本の稼業だし、衝撃入ればメンテも必要になる。楽をせんとな」


 気を失って伸びていた熊をシメながら、ユーイは、に、と笑って見せる。

 解体の準備に入るアイは、感心したような眼差しでなるほどと頷いている。


「お前さん、そのとんでもない鎧でデカいアドバンテージがあるんだ。道具は上手く使ってやったほうがいいぜ」

「……ちょっと練習してみるわ」


 向上心と、他者に耳を傾ける心持があるのは、魔法の鎧よりも大きいな、なんて壮年は笑ってしまう。

 そんな口元を見咎めれ、少女が反撃とばかりに唇を尖らせた。


「こんなことできるなら、試験の時にもっと小さいの釣ってきたらよかったじゃない」

「ああ? 弓を使うなってか? さすがに、熊と駆けっこで勝てる自信はねぇよ?」


 試験官さまは受験者を殺す気かよ、と冗談を撃ち返してやる。


「まあ、必要に迫られたらやらざるを得ないがね」

「え?」

「例えば、目の前に伝説のドラゴンが現れたとする。火を噴き、身の丈ほどの爪を持ち、空を往く巨魁だな」

「お伽噺の怪物じゃない」

「例えば、だよ。で、そいつの進行方向には毎日を平和に暮らす集落がある」

「……どうにもならないじゃない?」

「どうにかするんだよ」

「はあ?」


 先達となる少女の呆れ顔に、男は熊の毛皮を剥ぎ取りながら笑って聞かせる。


「探索者てぇのは、この大森林を切り開いて人の生存圏を広げるのが役割だ。当然、切り開いた土地に築いた拠点を守るのも仕事のうちだろ」

「あ、いや、でも……」

「腕を持っていかれようが、胴と腰が泣き別れようが、バケモノの横っ面に一撃ぶち込んで集落を守らなきゃならん」


 とはいえ、まあ、命を賭けろと言われて納得するような人間は少ない。

 ユーイは承知をしているから、


「心意気の話だよ。自分の命が一番大事さ。ほら、手を動かしな」


 ハードルを下げて、考え込んでしまったアイにハッパをかける。

 歯切れ悪い返事をして、彼女はぎこちなく手を動かすことを再開するのだった。


      ※


 正直、ユーイが言うほどの覚悟など想像すらしていなかった。


 口に糊するため、明日の蓄えを作るために、探索者ギルドに入ったのだ。

 完成したギルドのシステムの中で、機械的に毎日を過ごしていた。

 無論、少女には見据える行き先がある。けれどもそれは完全に私事であり、探索者としての責任感など覚えたこともない。


 そんな理念とでもいうべき考えを、ギルドに入ったばかりの彼に教えられるとは。

 一体、何者なのか。

 魔王領からの帰還者であるから技量については只者ではないが、それ以上に探索者への理解度が深い。

 思慮に沈んでいると、横合いから声がかけられた。


「助かったよ、お三方」


 この状況を作り出した、若い探索者であった。


      ※


「礼に、向こうにうちで狩った熊がある。持っていってくれ」

「いいのか、若いの」

「ああ。怪我まで治して貰ったんだ、足りないくらいだよ」


 男は、だけどと付け足して、


「このことは他言しないでくれないか?」


 不審な提案をしてくるのだった。

 うん? と眉根をあげたユーイに、アイとレヴィルが「ああ……」と苦い顔を。

 交渉は成立したと、彼は仲間に合流するため森に消えていく。


「運がないなあ……ノルマに足らないからもう少し頑張らないと……」


 なんて呟きを残して。

 首を傾げる新人は、物知り顔の二人に向きなおれば、彼女らは肩をすくめてみせる。


「何十人単位っていう、大きい徒党に入っているのよ」

「互助ができるから安全ですけぇど、失敗はそのまま徒党内の評価に直結しますぅし、組織力にタダ乗りさせないために、ノルマを課すのが一般的ですぅね」

「一番大きいのが新人を搔き集めている『先駆ける足』で、その次が『群雲』かな」

「はあん……素人の新人にはありがたい話じゃないか」

「そうでもないわよ。言ったでしょ、ノルマがあってね……」


 台無しになった昼休憩に戻りながら、滾々と昨今の情勢を説かれる。

 ユーイにとっても興味深い話ではあったが、されど自身に大きく関係のある話ではなかったので、熊肉を焼くのに夢中で、途中から聞き流してしまうことに。

 後日、もう少し耳を傾けておけばよかったと悔やみはしたが、けどまあ焼けた肉が目の前にあったら仕方ねぇよなあ、なんて嘯くのだった。

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