第二章:在りし日は残り香で、傷痕を隠し覆うと
1:誰も背に影を負い、森の下にいるのだから
最前線を越えた先からの帰還者たるユウィルト・ベンジが、不本意ながら新たな門出を飾った日から、幾日が過ぎ去って、
「オジサン! 繁みの向こうから三日月蛇の群れよ!」
「おうおう任せろ! 嬢ちゃんはそのまま熊の注意を引きつけてくれ!」
「おじさぁま? 三日月蛇はどのように召し上がるのぉで?」
「食感は良いんだが、焼いても干しても苦みが強くてなあ。ただ『満月が三日月になるまで眠らせない』なんて言うくらいに精がつくんで、まあ人気が……」
「あぁら! まぁまぁ!」
「後にしなさいよ! とにかく熊は釣っておくから、蛇が終わったらお願い!」
このように、試験官を担った少女ら二人と森を駆ける毎日を送っていたのだった。
※
ユーイには都合があった。
ルールとはいえ、探索者が森に入れないなんてあるものか、と。
少女二人には打算があった。
ここまで悠々とランクを上げてきたが、手の数から限界が見えてきた、と。
「オジサンは私たちの同行で森への侵入が許可されて、私たちは狩りが捗る。両者両得な取引よね」
「まったく、なんで森を切り開く探索者が、森に入れないんだい」
「だいたいが田舎から出てきた畑が手に入らなかった三男四男ですからぁねぇ……安全な平野で基礎を学ばないと、あっという間に神のみもとへ、ですもぉの」
仕留めた熊と蛇を捌きながら、三人は一息をついていた。
時刻は、昼を間もなくに控えた頃合いで、茂った葉も真上からの陽光は塞ぎきれず。雪残る春の森の中とはいえ、ほんのりと体温の高まりを感じられる適度な気温だ。
「おじさぁま? 私、三日月蛇のお肉に興味があるんですけぇど。お昼はぁ……」
「レヴィル! もう、変なもの見つけるとなんでも口に入れようとして!」
「はっはっは。俺なんかより、よっぽど『探索者』じゃないか、お嬢ちゃん!」
「オジサンも! その癖で、こないだは見たこともない原色の青色キノコを鍋に混ぜ込んだんだから!」
「うふふ。ちょっとした毒なら、逆に美味しんですぅよ?」
参った、と言いたげに肩を落として解体作業に戻るアイちゃん先輩を見るに、言っても聞かないし、食べても死なないという自負があるのだろう。
自負の根源は、彼女の腰に下がる正十字の聖印。
大陸中にその訓戒を流布し、武力経済力政治力において一国と比肩する、もしくは凌駕する大陸唯一の宗教組織。
正神教会の一員を示す、その証であった。
※
ユーイも、自身の経緯をあまり一般的とは考えてはいない。
だけども、行動を共にし始めた彼女たちもまた、それぞれの身なりから見てとれるほどに、穏やかな半生を過ごしてはいないようだった。
アイちゃんこと、アーイント・ゴルドラインは、探索者とは思えない全身鎧を身に纏っている。
大量の鉄と、部位稼働と曲線加工に各職人の秘匿するテクノロジーが盛り込まれた高級品である。
予断なく、高位にある貴族か戦闘を生業とする騎士における最終兵器だ。
それだけでなく、彼女の纏う白塗りの甲冑は塗装の擦れや剥げを自己修復し、なにより身に纏うと一切の重量感がなくなるのだという。
焚火で蛇の串焼きを炙りながらなアイちゃん曰く、
「先祖伝来の鎧でね。ひいお爺様が手柄を立てて、教会から『キセキ』を賜ったらしいわ」
正神教会がその威の拠り所とする『聖なる歌声』に込められる超常の力だと。
教会に帰依する一握りだけが持ちえる、人ならざる膂力。
慈しんで口ずさめば傷は塞がり、悲しみを高ぶらせれば見えざる腕が相対者を弾き飛ばす。
そんな力が込められた甲冑は文字通り逸品であり、手柄を立てて手に入れたとしたら家督と共に引き継がれるべきものである。
そんな家宝の、家の誇りを輝かせる家紋に、どうしてか『不名誉印』が刻まれているのだ。
家を追放された者の所持品から『身分証明』としての力を奪う、貴族社会の慣習。
疑問は尽きない。
家長が持つべき至宝に、どうして身分剥奪の烙印が刻まれ、年若い彼女が身に纏っているのか。
けれども、本人が口を開かない限りは、詮索するなど品のないことだ。なにより、探索者になろうと言う人間は、大小さまざまな理由で社会生活から外されたか、もとより外れていた人間なのだから。
※
アイの相棒であるレヴィルもまた、まっとうではない。
本人の申告では、
「地方の『巡回司祭』なんですぅよ。だから『キセキ』を使って、キノコの毒もなんのそのでしぃて」
食い卑しさは置いていて、司祭階級にあり『キセキ』を操れる、中枢において特権階級と呼んで間違いのない人間なのだという。
キセキの真偽については、ユーイは二日酔いを一発で直した『歌声』を目の当たりにしているので、疑う余地はない。
黙ってお祈りさえしていればトントン拍子に『肩書の神聖』さが増していく、なんて噂を耳にするキセキの歌声。
そんな地位にあるはずなのに、野盗に獣が跋扈する戦後間もない地方都市、しかも教会の勢力外となる地で『歩く礼拝堂』を担っているという。
疑問は尽きない。
政争に巻き込まれたか敗れたか、果たして食い意地のせいなものか。いずれにせよ、本人の口から語られない事には追及など、下卑た行為に違いがない。
いまこの時点の、彼女らと自分自身こそが、各々にとって重要なこと。
そんな考え方こそ、壮年の処世術の一つなのだった。
※
「苦い! なにこれ! 本当にお肉なの⁉」
「お野菜でも、もうちょっと手心がありますぅよ! すごい!」
「レヴィルちゃんさあ、なんで零れそうな笑顔なんだい……」
今現在ユーイは、アイに普通の女の子だな、という気持ちと、レヴィルにこいつやべぇんじゃねぇか? という愉快な疑惑を楽しんでいた。
付き合いで蛇に口をつけるものの、夜の予定を決めるつもりもないため、すぐに熊の肉にシフトする。
捌き立てで新鮮な肉は、血と油を滴らせており、午後からの活力を視覚にも補給してくれているようだ。
衛生面からじっくりと火を通し、焦げる様を眺めていると、苦みをようやく咀嚼し終えたアイが伺うように訊ねる。
「オジサンが入ってくれたおかげで、私が相手の正面を受け持てるようになったじゃない?」
「おう。その前は攻め手もやっていたから負担がデカかった、って言っていたよな」
「そう。で、受けることに専念していたら、ちょっと問題が出てきてさ」
火を覗き込む横顔は、真剣に悩んでいるようだ。
まぜっかえせねぇなあ、と頬を掻けば、彼女が自身の胸を叩き、
「この鎧のせいで、違和感があるんだ」
「脱げばいいじゃねぇか」
思わずまっすぐな危険球を放り込んでしまった。
※
仕上がっていた熊肉全部を差し出すことで機嫌を直すと、相談は続けられた。
要約すると、
「体感の身軽さと実際の重量感から、体への負荷に違和感があるってか」
吹き飛ばされるほどの一撃を受け止めた時。羽のような身軽さ故に予想されるノックバックが、実際は存在する重量のせいか半分ほどで留まるのだ。
近接戦闘において、距離感の混乱は致命的になる。
「いままではすぐに攻撃に転じていたから、とりあえずは当たっていたのよ。思ったより近くに相手がいたから」
「とりあえずて……変なクセがつくぞ?」
「実際、打点がズレているせいぃか、時間がかかっていましたぁよ……いやぁ苦い!」
芳ばしい熊肉には目もくれず残った蛇に食らいつく聖女の論評は、間近だから正しいものだろう。
「受けるの専業だと、次の攻撃への対処が狂っちゃうのよ」
「そりゃそうだ。そんなの慣れるしか……ん? 誰か走ってくるぞ」
二人が、え、と固まるが、直後に藪を駆けだしてきた若い探索者が。
青い顔で肩には袈裟に爪の痕が走り、革鎧が赤く染まる。
「た、助けてくれ! 不意をうたれて……!」
「その傷、鉄爪熊か」
「はあ⁉ ちょっと、他の人間のとこまで誘導してくるとか、正気⁉」
少女は悪態をつくが、脅威が迫るには違いがない。
見殺して森の糧になってしまうのも目覚めは悪い。
加えて、
「ちょうど良い。ちょっくらお嬢ちゃんに『可能性』を教えてやろうか」
「は? え、なに?」
「レヴィルの嬢ちゃん、火の番と若いのの世話は頼んだぞ?」
「お任せくださぁい! だけど、後でちゃんと教えてくださいぃよ?」
弓を手に取ったユーイは親指を立てて応えると、追って立ち上がるアイに目配せを。
木々を圧し、藪を掻き分けた鉄爪熊の姿を待ち構えるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます