6:彼は『彼方』からの帰還者だから

「お手柄ですよ、アーイントさんにレヴィルさん!」


 暗く、繁忙時を過ぎた閑散となるギルドホールで、一人待っていたガンジェが満面の笑みで出迎えてくれた。

 手には依頼履行の証明と、もう一枚の用紙が握られている。

 紙面に記されるのは『特定個体』の題目と、絵図、そして金額。


「さきほど素材受け入れ窓口から報告がありましたよ! あの『割れ爪』を倒すなんて、さすがお二人です!」

「やたらデカくて狂暴だと思ったら、やっぱり特定個体だったのね……」

「ええ、ええ! この五年で、三十人以上の探索者が敗れたと目される、ギルドが把握していない偶発的な遭遇も含めれば百は越えようかという、危険な個体だったんです!」


 野生生物は幾つもの種に分かれ適者生存のレースを繰り広げているが、その過酷さ故に、同種よりとびぬけて優秀な個体が発生することがある。

 足が速い、視野が広い、体が大きい……個体差というには飛びぬけた力を持つ彼らは、発見されるとギルドより『特定個体』と呼ばれ監視対象に。

 人畜無害であればいずれ剥がされるラベルであるが、人的被害に繋がり、その数が膨らんだのなら、懸賞金が駆けられ探索者に討伐が推奨されることになる。


「賞金は明日までに用意しておきますから! いえ、一部はすぐにでも……あれだけの熊肉もあるんです! となりの直営酒場だって、今日は宮廷もかくやな祝勝パーティを催してくれますよ!」

「熊肉のフルコースですぅかぁ? 私、熊の肝に興味がありましぃて!」

「ええ、ええ! 他のメニューだって選り取り見取りですからご安心を! いやあ、試験の傍らに、特定個体だけじゃなくあんな数の鉄爪熊を狩るだなんて、やっぱりお二人はさすがですね!」


 テンション高めでお褒めの言葉と書類を手渡してくる窓口業務員に、二人は、


「いやあ……」

「それほどでぇも……」


 なんだか、微妙な笑みを返さざるを得ないのだった。


      ※


 狩るだけ狩った熊の処理を終えたのは、日はとっぷりと暮れてしまった頃。

 皮、肉、骨、内臓……あらゆる素材が需要を持つため、担げるだけ担いだのだが、けれどもこちらの許容量はゆうに超えてしまう。

 仕方なしに、森の『掃除屋』たちに残りを任せることにして、現場を後にしたのだった。


 木漏れる月の明りだけを頼りに、超重量を担いで森を進むのは、たいへん心身への影響が悪く、


「オジサン! なんで無計画にこんなに狩っちゃったのよ!」


 畏怖を覚えたことすら忘れて、愚痴が飛び出すほどだった。

 悪球をぶつけられた壮年は、へら、と口端を歪める。


「無計画て……お前さんが鉄爪熊を釣ってこい、なんて無茶を言うからだろうがよう」

「ほんと『逆に』無茶、とか想像もできないわよ! 先に一言あれば……!」

「けどアイちゃぁん、事前申告があったとして信じましたぁか?」

「そうだそうだ! 言ってやれ、レヴィルの嬢ちゃん!」

「確かに信じなかったでしょうけど、今のオジサンの態度にはたいへん腹が立ったわ!」

「なんだよ、理不尽がデフォルトなのかよ。おっかねぇ嬢ちゃんだ……!」


 こちらの怒気を膨らませるだけ膨らませると、逃げるように距離を取るから口以外では対抗できない。どうして、同じ条件なのに、ああも足取りが軽いのか。


「おう、もう少しで森は抜けるぞ!」


 それでいて、元気ハツラツなのだから腹がたつ。

 声の通り、藪を越えれば一気に視界が広がる。

 月の明かりを遮るものがなく、星々の輝きも夜の空をほんのりと白くしていた。

 人気のない平野の先にはペイルアンサの街の明かりがはっきりと見え、その温もりが伝わるのではというほど。

 一息をつくには、十分な好転である。


「それで、おじさまは何者なのでぇす? ただの、田舎から出てきた、食い詰めの狩人じゃあないですよぉね?」


 息が整ったからこそ、疑問を投げる余裕が生まれる。

 射手が急所を狙い、仕留める。当然の行動であるが、実践するのは難しく、数をこなすにはことさら。

 けれども、このギルド入所希望者はあっさりとやってのけ、誇ることもしない。

 まるで、息を吸い吐くがごとく、という様子なのだ。


「食い詰めちゃあいないが、田舎から出てきた狩人には間違いないな。墓参りついでに昔馴染みに挨拶に来てみたら、変なことに巻き込まれちまって……」

「え? じゃあ、入所希望じゃないの?」

「ずっとそう言っていたはずだがなあ……まあ、女子供が三人も集まればこうもなるさ」

「いやいや! それならガンさんに事情を話して……!」

「はっは、そうすりゃお前さん方は依頼報酬の代わりに獲物を独り占めできるか?」

「ちょ……! 見くびらないでくれる⁉ 他人の財布に手を突っ込むような、恥ずかしい真似なんかしないわよ!」

「冗談だよ、冗談。おっかねぇなあ」


 激情を笑って流され、憮然と。

 その仏頂面を洗おうとするように、彼は言葉を重ねて、


「元々な、ゼンバ地域の向こうから来たんだよ俺。言っちまえば、ギルドの最前線だな」

「うん? ちょっと待ってくださぁい。それって……」


 緩衝地帯の向こうから来た、と。

 つまり、


「魔王領から、ってこと?」


      ※


 詳しい事情は教えてくれなかったが、要約すると十年前の戦争直後に飛び出していったのだという。

 で、故郷の墓参り後、帰路について簡単に考えていたのだそうだが、ギルドにてしこたま叱られたせいで、緩衝地帯に近づくのは法と魔王領側の取り決めに引っ掛かることに思い至ったのだとか。


「で、ユウィルトさんは足を引っ張らなかったでしょうね⁉」


 今もまた、大激怒に晒されており、


「俺? そりゃあ、試験だからな。言われた通り、誘引の仕事をしたさ」

「そうです! 誘引が関の山なんですよ! いいですか⁉ 森には恐ろしい獣がうようよしているんです! 緩衝地帯だって同じ! 高ランクの探索者にしか侵入は許されていないんです! 軽い気持ちで近づくなんて考えてはダメですよ!」


 ……つまり、その危険地帯を軽い気持ちで越境してきた、ってことよねぇ。


 端的に言って、思慮が足りない。

 いや、あれほどの腕があれば、些事なのだろうか。

 でも、あれだけ怒られている様子は、やっぱり思慮が足りなそうだ。


「それで、アーイントさん。試験はどうしましょうか? 特定個体と遭遇したのでは、まともに試験はできなかったのでは?」

「え、試験?」


 ああ、そうだ。

 オジサンはこうも言っていた。


 ……ルールなら守らないとな。示しがつかなくなる。


 つまり、手順を踏んで帰ることにしたのだ。

 それには、ギルドランクを上位中級まで更新しなければならない。自分たちの紫の上、赤色に一本線を入れるまでに。

 探索者ギルドを立ち上げた伝説的徒党『十一の爪先』が掲げるチームカラーと同色の。


「明日、優先で依頼をお渡ししましょうか? もちろん、断っていただいても……」

「いえ、ガンさん。初級中位の合格で処理してちょうだい。十分な能力を見られたから」

「え? いえ、でも……わかりました。あなた方が保証するのなら間違いないでしょう」


 明朝までに手続きを終えておくと頭を下げると、ロビー外まで逃げ出しレヴィルと並んで隣の酒場へ鼻を鳴らしていた受験者に、


「初級中位に合格です! いいですか、カードを渡しますから朝に窓口へ来るように! くれぐれも勝手に狩りに出ないでくださいね! ちょっと聞いていますか⁉」


 過剰じゃないかと思うくらいに、厳しい声を浴びせかけていた。

 いや、まあ、言動から勝手になんかやらかしそうではあるから、気持ちはわかるけれども。ろくに聞いていないような態度も、ガンジェの癇に障っているのかもしれない。


 まあ、とにかく、彼は帰京に向けて第一歩を踏み出すことに成功したのだ。

 先は長く、前途は難しいだろうと、アーイントは息を隠すこともせずに、先を思いやるのだった。


  第一章 了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る