5:試される目は難しく、死屍を重ねて

 ペイルアンサ北側には、昼でもなお暗いうっそうとしたゼンバ大森林が広がる。

 領主によって探索者たちは活動の自由が約束されている、稼ぎ場だ。

 日によって二桁後半にのぼる人足が侵入し、人々の糧と己の栄達のために汗を掻いている。


 されど、自然の牙は昏く隠れ、鋭く砥がれる。

 練度の足りない若者たちが、日に幾人も未帰還として報告されているのだ。


「だからギルドに入ったなら試験で、最低限の知識と技術があるか測るわけ」

「そのあとは、この平野部で実績を稼いで、森に入れるのは初級上位からですぅねぇ」


 慄然と立ちはだかる樹木による城壁の、その手前になる広々とした平野に三人は赴いていた。

 見れば遠く。年若い探索者たちが、野兎を追い、野草を摘み、緋色猪と対峙している。

 彼女らの言葉の通りであれば、未だ森への侵入を許されていない新人らなのだろう。

 で、入所試験の受験者であるユーイは、今のところ彼ら以下になるわけだ。


「それで、試験内容ってのは? 緋色猪でも仕留めてくりゃあいいのかい」


 人に会いたいだけだったのだが、事がここまで至ってしまっては、反対も拒否も億劫になってしまう。やることを済ませてしまおうと、壮年は持ち前の処世術を発揮していた。

 問われた試験官は、白色の装甲でありながら器用に腕を組みながら、


「課題は、鉄爪熊の誘引よ」


 先達であることをことさらに示すよう、尊大に言い放つのだった。


      ※


 鉄爪熊は、大森林の浅いところを縄張りとする、雑食性の大型捕食者である。

 鉄剣の一撃を受け止められるほどの強健で大きな爪を持つことから『鉄爪』と呼称される熊の一種だ。

 獲物を追って森から平野に顔を出すこともあれど、基本は木の実などの食料豊富な森に生息する。

 なので、ターゲットにするということは当然、


「いいんでぇす、アイちゃん? 試験で森に入れちゃうなぁんて」


 熟練者にしか許されない、森への侵入が前提となるのだ。

 中級の探索者が同伴であれば例外となり、自分たちは中級上位。ギルド規約に反するものではないとはいえ、本来なら過剰な課題である。

 無論、課したアイにも目論見と打算があってのこと。


「誘引だからね。遠距離から弓を当てて、ここまで……平野まで引っ張ってくるだけだから危険はないわ」


 それに、


「街でケンカを始めるようなオジサンよ? 自分の腕によほど自身があるんでしょ? ちょっと怖い目に合わせて、その鼻っ柱を折っておかないと」


 命のやり取りを日常とする、危険な職業なのだ。油断慢心過信は許されるはずもない。

 あくまで、受験者のことを慮ってのことである。


「だけど、課題を聞いたおじさまも難しい顔をしていましたぁよ?」

「そりゃあ田舎とはいえ狩人だったなら、熊を相手にする難しさくらいわかっているでしょ? 皮膚が厚く、筋肉が太く、牙も爪も致命の一撃だしね。けど、その熊ぐらいどうにかできなきゃ、探索者なんかやってられないんだから」


 ちょうど良い課題である、と自負する。

 事実、自分とレヴィルであるなら、日に三体なら余力を以て狩ることができる。逃げられることも多々であるが、負けることなどありえない相手だ。


「さ、待つついでに緋色猪でも狩っておきましょ。試験官の報酬だけで十分だけど、いくらでも稼がないと」

「ええ……でも、大丈夫かしぃら、おじさま……」


 心配性な相方に肩をすくめながらも、小銭のために直剣を担ぎ直す。


      ※


 日は傾き、平野に影が伸びる時刻。

 初級の若手らは体力の限界で早々に引き上げ、森から熟練者たちが獲物を担いで這い出てくる頃合いだ。

 どこの狩場も一日の終わりを告げるような寂寥に包まれつつあり、


「……ちょっと、まだ帰ってこないわよ……?」


 試験官二人は、片手間で狩っていた緋色猪を血抜きしながら、困惑の顔を見合わせていた。

 まだこない、もう一匹、まだ、もう一匹を繰り返して十を超える猪を獲物としたのだが、そのすべての処理が終わる段になっても、受験者は森からその姿を現さない。


「アイちゃぁん……もしかしておじさま……」


 相棒も、眉を寄せて暗い想像を露わに。

 そんなはずない、と言い聞かせるが根拠があるわけでもなし。


「まずいわね」


 受験者の死亡は、無論として依頼の失敗となる。

 自分たちへのペナルティに気を揉むところであるし、なにより自分の指示で命を落としたとあっては夢見が悪い。


「暗くなる前に探しにいかないと……」


 夜の森は、視界が通らず、夜行性の獣たちが蠢く危険地帯である。

 であるが仕方なし、と覚悟を決めたところ、


「アイちゃぁん……!」


 森より、低く、地を這うような咆哮が響きわたった。

 怒りと殺意を混ぜ込み煮詰めた、野生の決意表明。

 聞いたこともない腹へ響く怒号に、思わずアイもレヴィルも身を固く。


「な、なに、この雄叫び……!」

「聞いたことないですぅよ、こんなぁの……!」


 未だ深層部への侵入を果たしていない二人は、まず、自分たちの出会ったことない野獣、魔獣の類だろうかと疑った。

 そんな疑問に応えるよう、


「あ! あれ、おじさまですぅよ!」


 森から、転がるように受験者が飛び出してきていた。

 大弓を構え直して射かければ、銜えたもう一本をつがえ、再度打ち込む。

 見事な手さばきに、唖然と見つめていると、


「おおい! 指示の通り釣って来たぞ! 苦労したぜぇ!」


 こちらの姿を見咎め、満面の笑顔で手を振って手招きを。


「指示の通りって……私は鉄爪熊って言ったでしょ! 何にケンカ売ってきたのよ!」

「はあ? だから、指示の通り……」


 壮年の言葉を遮るように、杉の木が数本、へし折られ倒れ込み、


「鉄爪熊を釣ってきたんだろうが」


 大高が三メートルに迫る、巨影が勢い任せに森より転がり出てきたのだった。

 目の矢は刺されたままに、血と泡の混じる涎を撒き散らし、この世の全てを殺し喰らわんと、雄叫び吠える。

 アイは、呆然とその熊を見つめる。

 驚くよりほかがなかった。彼女の知る鉄爪熊の、二倍に迫る大きさなのだ。

 無論、鉄より硬いと言われる爪も、普通の二倍であり、人の首を刈り取ることなど杉を引き倒すより容易なことは想像がつく。


 げにも恐ろしい姿に身を固くしていれば、


「ほら、後は頼んだぞ、試験官」


 おっさんは軽い様子で、仕事の履行を迫ってくるのだった。


      ※


「だあぁっ……はあ!」


 空が藍に占められる頃。

 絞り切るように息をつくと、剣を杖に。けれども膝が耐えきれず、崩れ落ちてしまった。

 目の前には、通常より大きな鉄爪熊の、ズタズタになった遺骸が。


 鉄鎧と鉄剣を以て、中級上位と試験官の威信をかけて、アーイント・ゴルドラインはどうにか巨大獣の撃退を果たしていた。

 もはや疲労困憊で、立ち上がることすら難しい。


「アイちゃぁん、平気ですぅか?」


 後方補助であるレヴィルもまた、神経を使い果たし腰砕けになっている。

 残るのは熊を誘引してきたユーイだけであるが、彼はてきぱきと獲物の処理にとりかかっていた。

 そりゃあ結果として釣ってきただけであるから体力は残っているだろうし、なにより釣ることが課題で処理はこちらで行うと言ったのだから、当然である。

 当然であるが、憎々しい視線は隠すことが出来なくて、


「なんだよ、そんな目をして」


 血抜きをしながら半笑いで肩をすくめる仕草に、さらに反感を覚える。


「オジサンね……ちょっとは手伝ってくれてもいいんじゃないの……!」

「おいおい、半日も森を駆けずり回っていたんだぞ? 手ごろな獲物がなかなか見つからんから、ほんと……」

「おじさま? じゃあ、半日も熊を見つけられなかった、ってことでぇす?」


 そんなのは論外だ。

 結果として特上な獲物を連れてきたものの、個体としては多く体躯も大きな熊を見つけられないとなれば『レンジャー』としては用に立たない。


 ……合格は合格だけど、最低点ね。


 息を荒く採点を付けていると、


「手頃な、な。ほら、しゃんとしな。森に放ってある獲物を回収しなきゃならんのだから」


 要領の得ない、摩訶不思議な単語が耳に届く。


「え? 森に?」

「おう。お前さん方が誘引してこいっていうから、苦労したんだぞ」


      ※


 ユーイの言葉に従って重い足を引きずり森に分け入ると、さながら地獄であった。

 鉄爪熊の死体が、幾つも転がされていたのだ。


「これって……おじさまが……?」

「じゃなきゃ、狩った奴が持って帰るだろ」


 驚くことに、例外なく『幾本かの指』が爪ごと撃ちぬかれ、目を射抜かれている。

 どれも致命であり、


「獲物は一撃で仕留めるのが癖でなあ。恐怖や怒りの負荷をかけると、肉が不味くなる」


 つまり『一矢もしくは二矢で仕留める』ために『誘引』が出来なかった、のだと。

 事もなげに告げる遅刻の言い訳に、アイは慄然とさせられる。

 正直、数だけなら同じだけを狩る自信がある。

 けれども、そのあとに血抜きの処理をし、一まとめにこの地点へ運んでいる手間を考えると、想像の越える速度である。


 なによりも、こうも正確に爪を削ぎ、目を射抜けるものなのか。


「なあ、おい。ぼうっとしてないで手伝ってくれよ。報酬は三等分でいいからよう」

「ええ? いいんでぇす、おじさま?」

「つーか、俺の取り分あるのか? 単騎で森に入ったとか、あのこえぇガンちゃんさんに怒られやしないのか?」


 軽口に応えられるほど、今のアイに余裕はない。

 疲労もそうであるし、


「おじさん……ユウィルト・ベンジ。あなた……何者なの?」


 へらへらと笑う新人の腕のほどに、恐れおののいてしまうものだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る