4:繁と繁の合間
探索者ギルドにおける繁忙の波は、概ねで朝、昼前、夕の三回となる。
朝は、依頼を手に入れようと我先に探索者が押し寄せるため。
夕は、帰還した彼らが一刻も早く達成報告を終え、明日の英気を求めるため。
昼は、朝夕の作業の折衷となる。
なので、今日の三分の二を消化したギルド窓口は、募った疲労の解消と夕刻に向けての準備とに、ゆっくりとした時間を楽しんているところである。
「休憩終わりましたぁ……ガンちゃん、お昼は?」
「お疲れさまです、先輩。さっき、隠れて焼き菓子をいただいたので」
「えぇ? ちゃんと休まないと。今日も今日とて『城壁』を築いてたじゃない」
中堅となるガンジェ・バイは愛嬌ある美人だ。同時に業務手際も当代随一であるため探索者たちに人気があり、彼女の立つ窓口は常に長蛇である。
今ではホールの混乱を低減させるために、中央に彼女を配置して行列を壁とし、東西でエリア分けを行っているくらいだ。
そんな慣例から、いつしか誰ともなく『ガンちゃん城壁』などと呼称され、探索者たちにも浸透しているのだった。
本人は苦笑いするほかなく、
「さっきの新人さんの書類をまとめたら、一度休憩しますから」
「そうよ。まだ夕方もあるし、そのあとの処理も残っているんだから……あら?」
隣に腰を下ろした先輩が、何を見咎めたのか、正面の大門に視線を飛ばす。
ガンジェも視線を追えば、
「ギルド長、お帰りですか?」
先輩の挨拶に、礼服を着こなした巨躯の壮年が、たくわえた髭を揺らして入門を果たしていた。
※
ダンクルフ・ケインを名とする、この館の主である。
齢はあと僅かで四十を望みながら、かつて探索者であった現役時代から衰えない肉体を持つ。
十年前の魔王領との戦争までは伝説的な徒党『十一の爪先』の代表として活躍、停戦後に当ギルドを実質的に稼働させた、正に『英雄』である。
であるが、そんな経歴や肩書とは似合わず、物腰軽く、ギルド幹部らからは軽薄と誹られる言動が、まあチャームポイントだ。
「お疲れお疲れ。この足跡の数、今日も忙しいみたいだねぇ……ギルド名義で、ホール掃除の依頼でも出したほうがいいかな」
「そうしてくれるなら是非! それと、入所希望者用の窓口とか作れませんか?」
「へ? 何かあったの?」
「繁忙の時間に来られると、依頼受諾の処理に滞りが出ちゃって……今日も、変なオジサンがやってきてガンちゃんに絡んで。ね、ガンちゃん?」
「まじかよ許せねぇ……! ガンちゃん、俺がぶっ飛ばしてやるよ」
いや、力むと礼服がはち切れそうになるので勘弁して欲しい。有名な仕立て屋さんに無理言って作って貰ったものでしょ、それ。
「いや、絡まれたわけではなく……」
「えぇ? でも、えらい剣幕で怒鳴ってたじゃない。私、初めて聞いたわよあんな声」
「まじかよもったいない。俺も聞きたかったわ。で、なんでそんなご立腹だったわけ?」
「立腹というか……ふらっとやってきて『ゼンバに向かう』とか言ったので、危険なことだから、と忠告を……」
「ゼンバ! 魔王領との境、人の身の最前線! 今現在、進入を許されるのは、肉体的政治的危険度から幹部に限られる、あの修羅場にか!
こないだの『ドラゴンキラー』君に続いて、活きの良い! いや、ギルドの幸先は明るいなあ!」
『死地を目指す』という宣言を聞いて手を叩いて喜ぶ姿は、ちょっと正気を疑う。けれど、かつてはこの人も大きな夢を見つめ、走り、そうしてここにいるのだから、共感できるのだろう。
ごく一般的な宮廷貴族の末席、その三女の身としては想像のできない心持ちだ。
けれども『かつて』と『いま』における実績は図抜けているし、人柄も好ましく、尊敬の念を欠かしたことはない。
「どれ、どんなおっさんか、俺が吟味してやろう。登録書類は?」
「あ、はい。まだ処理中ですから……」
「サインのインクも乾いているだろ? 汚さないさ……どれどれ、ほう、田舎から出てきたにしては、字が綺麗だなあ。教育の跡が見える。よもや貴族様か?」
「いえ申告では『ただの旅人』だと……」
「ほお、それで読み書きが達者なのは珍しい。歳は二十七……おいおい、これでおっさんは可哀そうだろ。俺が爺さんになっちま……お?」
さほど多くない項目に逐一反応を示す。なんだか可愛らしいと眺めていたが、最後、本人サインを見咎めた眼光は、ナイフの刃を思わせる鋭利と冷たさをはらむ。
見たことのない鋭い光だ。
「どうしました、ギルド長」
「サインに、間違いはないかな?」
「ええ。記入するところをこの目で見ています。虚偽でない限りは……なにか?」
「ああ、いや……どんな男だった? 例えば、ああ……弓を持っていなかったか?」
「あ、はい。街中なので弦は外していましたけど、背に大弓を。あと、外套に隠れて短弓も腰に」
「そっか」
考え込む姿に、先輩と並んでどうしたものかと気を揉んでしまう。そのうちに髭をしごく手がとまり、
「ま、偶然だな! 気にしない気にしない!」
「え? ギルド長?」
「君らも忘れてくれ!」
あっはっは、と笑って、カウンター奥へと歩き去ってしまった。
自分も先輩も、他の職員も、何が何だかわからなくて、目を丸くして首を傾げるしかない。
一人、執務室へ続く大階段を昇るギルド長は、
「命日だったからか……にしたって二十七……そっかあ、あの『指飛ばし』だって二十七だよなあ……」
などと自分だけが独り言と信じている大きな声で、ぶつりぶつりと呟く背を揺らして消えていくのだった。
誰も何事か、と顔を見合わせる。
けれども、修羅場の夕刻までの猶予は予断なく切り取られていくものだから、皆それぞれ己の仕事へ戻っていくのだった。
ガンジェもまた、件の新人の登録を終えなければならないがために、机に向きなおる。
書面を一通り見直したのも、興味ばかりでなく、業務に必要なことであるためなのだ、と言い聞かせながら。
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