第一章:在りし日は立ち戻り、教鞭を打ち据えられる

1:彼は、無法の指を数える

 探索者ギルドに辿り着くまでに、幾ばくかの時間が必要であった。


 一人、棄てられた故郷を後にしたユーイは、その足を東へ向けていた。

 前哨都市と揶揄される、ペイルアンサを目指してである。


 魔王領、そして大森林に対し、交通網整備の恩恵を受けられる最後の街。

 以後は、彼が後にした故郷のような、寒々しい開拓村が点在するばかり。

 道こそあれど荷馬車がようやく、といった整備が待たれる悪路を経る必要がある。


 ユーイはそんな雪解けにぬかるむ道を、大森林の縁を添うように、二日を歩き、野営を経て近隣村の中央となるペイルアンサに辿り着く。

 

「城壁、十年前に比べたらだいぶ立派になっているなあ」


 森を睨むように平野へ立つその街は、かつての戦争の教訓を活かして堅固な城壁を備えている。領主の住む館を中心に行政区と商業区を覆い囲む、土地の境界である。門番が塞ぎ弓兵が備える、戦時を思わせる体制だ。


 

 が、街は溢れるように、壁外にも市街地は広がっている。

 街の人員流入に対し、行政側のキャパが越えているようだ。簡素な柵と哨戒兵がいるのみの粗末な入場門、そこに並ぶ長い長い列から一目瞭然だ。


 陽もまだ低いうちに、この人数。

 列に並んで順番を待つユーイは、中の過密さも想像ができて些かげんなりとする、日差しばかりが爽やかな朝であった。


      ※


「おい、おっさん!」

 

 陽が頂点にいたるより幾分早く、ユーイは氏名登録を経てペイルアンサ外周区に入場を果たしていた。

 城門へ伸びる目抜き通りは思った通りの雑踏であり、思った通りの露天商の数であった。

 日用品から生鮮食料に加工品、武具や薬品も、ひしめくように、隣の商売敵に出し抜くために声を張り上げている。

 覗き込む人足もまた、多様だ。

 戦闘の準備を整え森に向かう探索者、巡回の途中であろう正規装備の衛兵、彼ら相手に商売を行う職人や、周辺村から遣わされた村人、物見遊山な旅人などなど。


「おう、聞いてんのかおっさん!」


 なんだか騒がしいが、これほどの人の海だ。いさかいも珍しくあるまい。

 目についた屋店を覗き込めば、中に簡易なかまどを構えた串焼き屋である。

 焼ける脂が、朝食を抜いた腹を鳴かすものだから、思わず財布の紐が緩んでしまう。


「緋色猪の肉か。懐かしいな」

「へえ、お客さん。ペイルアンサはお久しぶりで?」

「ああ、十年ぶりで……ん、よぅく焼けていて旨いな。昔を思い出す」

「そりゃあね! 緋色猪はここいらの名物で、ずっと変わらず庶民の味さ!」

「変わらず? ほう……変わらず、か」


 残った一切れを放り込み、空になった木串をぼんやりと眺めていると、


「おいおっさん! 無視してるんじゃねぇぞ!」


 肩を掴まれ、無理矢理に振り向かされてしまった。

 見れば、まなじりを釣り上げた若者が、なにやらがなりたてている。

 身なりは、動きやすい革鎧に体温保持用の厚手のマント、腰にマチェットと短剣を下げる。

 ごく軽装な『戦闘衣装』であり『探索者』の一般的な格好だ。


 では、その街外で野生生物を相手取る『探索者』が、なぜ街中で人間に向かい威圧をしているのだろうか。


「今さっき肩がぶつかったじゃねぇか! 無視するたぁどういう了見だ!」


 なるほど、一言いいたくて迫っていたらしい。

 であるが、ユーイには覚えがなく、


「はてな。覚えがないんだがね」

「とぼけるつもりか! 見ろよ、マントに汚れがついているじゃねぇか!」

「……はあ? いや、たいへん綺麗なままじゃあないか? 仕事柄、目は良い方だぞ」

「てめぇ!」


 肩を掴む力が強まる。思わず眉をしかめると、店主が慌てて身を乗り出してくる。


「お客さん! 相手が悪い! あのカードを見な!」


 指さす先には、男の首から下がる紫の紙片。二本の赤ラインが引かれており、何かの身分証であろうか。


「十年ぶりじゃ知らないでも仕方ない! ありゃあ『探索者ギルド』の中級上位の認可証だ! つまり、実績から実力を証明された『探索者』なんだよ!」


 ほう、と吐息を漏らしてしまった。

 こちらの顔色が変わったことに、男はにたりと蛇のように笑う。


「なんだ、見慣れない装備だと思ったら、ただの田舎者かよ!」

「ああ、ちょっと遠くにいてな。鎧の革も弓の弦も、その地方にあったモノでしつらえているもんだ」

「仕方ねぇな! 今日のところは、財布だけで勘弁してやる!」


 意外な言葉に、ユーイは周りを見渡す。

 雑踏は、いつのまにやら囲むような大きな輪となっていた。

 誰も関与する気はなく、流れ矢のような被害を受けるつもりもない、という姿勢だ。真後ろの店主でさえ、慌てて店を畳む準備を始めているほど。

 つまるところ、この手の『経済活動』が常態化しているということなのだ。

 

 なるほどな、と頭を掻けば、男は待ちかねたように、圧を加えてくる。


「おら、授業料だ! とっとと出せよ!」


 事の次第がわかっただろうと言いたげに、嗤う男は肩を掴む力を強めた。


「そうかあ。しかしな、なけなしの現金だ。おいそれと渡すわけにはいかん。代わりのものをくれてやる」

「ああ? つまんねぇものなら……」


 ユーイの右手が閃き、


「っぎゃああああああああ!」


 木串が、男の親指に突き刺さり、貫いていた。


      ※


 振り絞るような悲鳴に、加害者に転じた壮年は呆れたように肩をすくめてみせる。


「それしきでそんなデカい声で喚いて、森で木の枝を踏んだ時も同じなのか? 獲物が逃げちまうぞ?」

「テメェ……! 死んだぞ……!」


 血を見る段になって、周囲も推移の不穏さを嗅ぎつける。

「なんだ、あのおっさん……! なんで探索者とケンカしているんだ……!」

「しかも相手は紫でしょ! 殺されちゃうわ!」

「衛兵を呼べ! ギルドの巡回員でもいい! 急げ!」


 慌ただしく状況が動いていく中、数人が首を傾げて、

「しかし、あの粗末な木串が、あんなにもキレイに突き刺さるのか……?」

 益もない疑問を口にするが、けれど些細なことだとすぐに置き去りにしてしまう。


 ともかく、昼前の大通りに緊張が膨らむ。

 探索者が、無事な右手で短剣を引き抜いたためだ。


「テメェの指も、同じようにしてやる!」

「なんだ、同じでいいのか?」


 脅すような迸る啖呵に、しかしユーイは穏やかに笑って、慌てて店仕舞いを続ける店主に言葉を投げる。


「ご主人、忙しいところ悪いが『おかわり』を頼む。そうだな、九本ばかり」

「へ⁉ いや、そんな、今ですか!」

「昼時だろ?」


 へら、と口の端を歪め、


「やっこさんの『指』も腹が減っているっていうから、俺が御馳走してやるんだよ」

「テ、メェ!」


 怒りを心頭まで昇らせた男が、殺意を込めて乱雑な石畳を踏みしめた。

 その直後に、


「そこまで! ギルド巡回員です! 両者とも膝を付いて、手の平を見せなさい!」


 囲む人垣を割るように、良く通る女の声で制止が呼びかけられる。

 男が舌打ちをしながらも言葉に従うので、ユーイも倣い、ひとまずの決着と相成ったのであった。

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