指に弦を 背に糧を 歩む足にはこれまでを
ごろん
指に弦を 背に糧を 歩む足にはこれまでを
OP
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そこは、イルルンカシウム大陸の北端にせまる、かつての集落であった。
数多の針葉樹が、心もとない日の陽を僅かでもせしめんと、競ってその背を伸ばし競う、しかし荒ぶ寒風に耐え忍ぶよう身を寄せ合う『大森林』の裾野。
雪こそ象徴となる北のゼンバガンズ地方の、棄てられた寒村痕だ。
あちこちの壁がひしゃげ、屋根が落ち、柵が崩れる。
冬の極限下を思い出せば、万人にとって救いの穴倉に違いなく、破壊は人為によるものではない。
一重に自然の猛威だ。
容赦なく降り積もる雪の群れが、分け隔てなく、弱った体を折り砕いていく。
森の向こう、真の北限に位置する魔王領民にとっても未踏域の残る、暗く深い巨大な森林域に面した過去の人里は、いまや打ち棄てられ朽ちる足を緩慢に進めるばかり。
されど、目を塞ぐ白い雪も、耳を潰す森を吹き抜ける荒れて鳴く風も、季節とともに終わりを告げる。
「こんなにも雪解けが早かったもんかな」
村の中央。井戸を備える広場に向かって、男は歩く。
手にはその辺りで詰んだであろう花を、耳には試練の季節を乗り越えた鳥たちの歌声を、齢を刻んた目元は弓のように細めて。
柔らかな陽光ゆえか、懐古からくる感傷ゆえか。
本人すら判然とせず、けれど『楽』の気持ちには違いがなく。
「故郷は何年振りなのです、ユーイ様」
男に、かしずくよう後を追う者は、明らかな異相であった。
背格好は男と大きく変わらず、僅かに細身である程度。
だが、その顔は顔料を塗するように青く、瞳がない。眼窩すらなく、のっぺりとした双眸を以て、男の背を追っていた。
曰く『神に反する者ども』であり、曰く『敬虔な人にとっての最悪の敵対者』。
魔族と呼ばれる、異形であった。
「ユーイ様が我々の元にいらっしゃったのが十年程前でしたよね」
「ああ。その時の、弔っての帰郷以来だな。だがな、まさか村が棄てられているとは思わなんだ。あの領主様が自分の、小さいとはいえ財布を切り捨てるとはなあ」
懐かしみ、呆れるように、だけど責める音は無い。
ユーイ、と呼ばれた壮年は、齢ゆえに悟っているのだ。
「いつまでも、そこにあるわけでなし。いさかいで荒れた様子もないし、納得の上で畳んだのならそれも良しだろ」
なにより、
「とうの昔に村をおん出た風来坊に、とやかく言う資格などないさ。魔王サマにべったりなお前さん方にはわからん話だろうがな、ナシス」
「御冗談を。あなたの寂寥、身に余るほど理解しているつもりですよ」
「余っちまったら、万全にはわかってねぇってことじゃねえか」
付き従う魔族の冗談に、ユーイは快活に笑って見せる。
気付けば中央の広場を抜け、街道側に面する村の端が見えてくる。
「ほら、目的地だ」
花を掲げてさす先は、墓地であった。
王族貴族が築く石造りの墓室には遠く及ばない、簡素な墓標と土饅頭が並ぶ、寂しくも厳かな故人の寝床である。
※
花が添えられたのは、墓標となる小さな石の傍らであった。
魔族も、敬意を払う人に倣って、胸に手を掲げ言葉なく祈りを捧げる。
「男勝りな姉だったよ。俺と一緒に村を飛びでるくらいにはな」
一足先に黙することを終えたユーイの呟きに、ナシスも顔を上げる。
「では、十年前の戦争で?」
「いや、元々から病だったんだ。ちっぽけな村で体が弱い、なんて生きていく術がなかったからな。読み書きが達者だったから、都会に出て代筆やらなにやら……まあ最後は戦争に巻き込まれたのに間違いないか」
「魔王領にも詩に聞こえた、かの『十一の爪先』のお一人、ですからね」
「本人は、ただの『伝令役だ、一緒にしないで』って頑なに拒んでいたがな」
ユーイが笑って、墓に背を向ける。
ナシスは名残惜しく思うが、主役が終わりだと言うのなら従うしかない。
と顔を上げれば、彼の瞳ではない視覚が、眩しさを捉えた。
おや、という疑問だが、すぐさま解き明かされる。
上天に向けられた鏃が、春の陽を跳ねてこちらの視覚に刺さっていたのだ。
手元を見れば、いつの間にか弓を構えたユーイの姿。
眼差しは穏やかに、ただ一点を見つめる。
やがて、引き絞られた弦は何事もないように放され、山鳥の羽をしつらえた矢の尻を押して飛ばす。
二秒のあと、一抱えもある鳥が地面を叩く。
その目を、まっすぐに貫かれて。
「これは……お見事です」
「春先のエインジドは、栄養を蓄え直しているせいで、脂が新しくて旨い。魔王さまの土産にしてやれ。血抜きは……」
「お任せください。我ら親衛隊、ユーイ様に叩きこまれておりますから」
「おう、なら早く持って帰ってやんな」
「ではさっそく……ユーイ様はこれから……」
「予定通りさ。久しぶりの人里だからな。ついでに馴染みのところに顔を出して、それから戻るよ」
「であればこれを」
弓を背負い直すと、ナシスが首飾りを差し出し握らせる。
大きな獣の牙が数本と黒く輝く鉱石で彩った、どれだけ贔屓目を細めても、
「へったくそだなあ、おい」
「ふふ、魔王さまのお手製通行手形ですよ」
これ以上ない殺し文句だ。苦笑いしながら首にかければ、獲物を担いだ魔族は一礼し深い森へ足を向けていく。肉へ血が回らないうちに、残雪で冷やすつもりなのだろう。
墓参りの付き添いを見送れば、お手製の飾りを手の平に乗せて、その出来栄えをまじまじと確かめる。
けれどやはり、第一印象を拭える好材料は見当たらず、
「あれだけ教えても、不器用なのは治らんものだなあ、魔王さまは」
尊厳の塊であるかの人の、悪戦苦闘ぶりを想像するに思わず頬をほころばすのだった。
手の平の、温かさと、心地よい重みを楽しみながら。
※
数日後。
そのユーイの手の平には今、なんだか安っぽい、白色のカードが乗っけられていた。
がやがやと賑やかな、人の溢れかえる『探索者ギルド』の事務局窓口の前で、壮年は怪訝に眉をひそめて見下ろすばかりである。
そんな、窓口の一つを潰して立ち止まっている彼に、
「いくら地元での実績があっても、探索者なりたての新人が『深林部』どころか魔王領との『緩衝地帯』なんて最前線に行ける訳がないでしょう!」
窓口業務員が、その端正な顔立ちを怒りに歪めてまくしたててく。
「いや、俺はただ知り合いに……」
「コネですか⁉ どんなお偉い貴族さまと知り合いか知りませんが、そういうのもダメです! 素人の軽挙妄動は、他の探索者を危険に晒すんです!」
「いや、だからな……」
「いやもなにもありません!」
こちらの訴えは一顧だにされず、
「とにかくランクを上げて、カードに色を入れるように! 例外や約款飛ばしは、絶対に許しませんからね!」
まなじりを釣り上げ身を乗り出す様は、冬ごもり前の熊より怖えなあ、じゃあこもり損なった熊とおんなじかあ、なんて都会の洗礼に晒されることに。
ユーイこと、ユウィルト・ベンジの不本意で幸先悪い再スタートはこうして切られたのだった。
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